水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

スビン・オフ小説 あんたはすごい! (第九十六回)

2010年09月30日 00時00分00秒 | #小説

  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第九十六回
「それじゃ、また孰(いず)れ…」
「はい! 何かあれば、会館へ寄ります」
「ええ、そうして下さい」
 ドアが開き、沼澤氏は軽く会釈をして駅へ降り立った。沼澤氏の後ろ姿には、他の人々には感じられない異質の何かがあった。それが果してどういうものなのか…、この時点の私には皆目、分からなかった。
 家に帰り着くと、この日もバタン、キュ~という体(てい)たらくで寝てしまっていた。それでも上手くしたもので、意識が遠退く前に、きっちりと目覚ましをセットしていたものとみえ、翌朝は定時にジリリーン! と鳴る聞き慣れた音で目覚めた。家の掃除もままならないほど多忙だったためか、四十半ばの身体は、それをよく知っていた。無理が利いた二、三十代とは違い、さすがに無理出来なくなっていた。家に帰り着いた途端、バタンキュ~などということは若い頃はなかったが…と、思えた。ただ、それだけではなく、多忙な仕事と玉の一件で疲れが溜まっていたのに違いない。救いは、食欲が旺盛なことがバテを防ぎ、仕事上では、部下の児島君がよくやってくれることだった。
「課長、専務がお呼びです」
「んっ? そう…。専務が? …ありがとう」
 私は児島君にそう云い、専務室へ向かった。


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残月剣 -秘抄- 《残月剣③》第七回

2010年09月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣③》第七
そして額に出た玉の汗を稽古着の袖で拭った。その時、気が利いたことに、いつの間に稽古場を抜けたのか、鴨下が白湯(さゆ)が入った茶碗を盆に乗せて入ってきた。
「まあ、ご両人。一杯、お飲み下さい!」
「おお…鴨葱。さすがに気が利く。感心感心!」
「どうも、有難うございます」
 二人は、各々の云い回しで礼を云った。いつも思わない甘露の喉越しは、やはり汗を掻いた所為だろうか…と、左馬介には思えた。
「やれやれ…潤ったぞ」
 誰に云うではなく、長谷川がボソッと吐いて、飲み干した茶碗を盆へ置いた。左馬介は未だ半分方、残っている。よくもまあ、熱い白湯を一気に飲み干せたものだ、と左馬介は考える。余程、喉が渇いていたのだろうか…と考えは膨らんだ。そんなことは、今はどうでもいい雑念だと気づいて、先入観を捨てねば…と左馬介は反省した。剣は兎も角、これでは心が雑念に惑わされているようで、宜しくない。それで左馬介は、湧き起こった雑念を拭い去ろうと思ったのである。瞬時に集中でき、技も冴える左馬介だが、心の鍛錬は未だ道半ばに思えた。飽く迄もそういう想いを抱くのは左馬介一人であり、鴨下や長谷川には左馬介の胸中が分かる筈もない。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第九十五回)

2010年09月29日 00時00分00秒 | #小説

  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第九十五回
「だって、私は私じゃないですか。そうじゃないんですか?」
「ええ、そりゃもちろん、そうですが…。ひとりでおられる時はよろしいんですが、他の方がおられる場では、突飛なことが生じるかも知れませんからご注意を…。まあ、悪いトラブル、ハプニングの類(たぐい)じゃないんですがね。あなたには、すでに霊力が宿っておるのですから…」
「こりゃ、冬場に寒い怪談だ」
「ははは…。まあ、余り気になさらないで…」
 沼澤氏はふたたび陽気に笑った。それで私は少し気が楽になった。その時、電車がホームに入ってきた。ドアが開き、私と沼澤氏は車内へ入った。話は自然と途切れたが、電車が動き出すと復活した。
「沼澤さんは、どちらまで?」
「私ですか? 私は次の早起(はやき)で降ります」
「そうですか。割りと近くだったんですね」
「塩山さんは?」
「私は、その先の新眠気(しんねむけ)です」
「なんだ、兄と同じでしたか」
「えっ? 神主をやっておられる草男さんですか? 奇遇だなあ~」
「はい。私も以前は、新眠気に住んでおったのですよ」
「ご実家でしたか…」
 そうこう話しているうちに、電車は早起駅にゆっくりと停車した。


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残月剣 -秘抄- 《残月剣③》第六回

2010年09月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣③》第六
先程のつまらない躊躇が、嘘のようであった。ただ、左馬介の反応も当然のように素早く、長谷川が動かして打ち込んだ右首筋への竹刀は、無情にも空を斬っていた。先程と同じく、左馬介の身体は飛んで一回転し、もはや長谷川の竹刀の届かぬ所にあった。しかも、スクッと立ち上がった左馬介は、既に構えつつあった。そして、次の瞬間、中段に構え終わった左馬介は、竹刀を引いて下ろした。
「望み通りにいったたようです。次を、お願いします」
「よしっ! 心得た」
 長谷川も、要領が摑めてきたと見え、少し乗ってきた。左馬介は、また最初の位置へ戻って床に座した。その後は同じ繰り返しとなった。というのも、長谷川が突きや打ち込んだ竹刀を、ことごとく左馬介が返したからである。左馬介が一本でも取られていれば、当然ながら同じ繰り返しとはならず、動作は中断した訳だ。それだけ左馬介の受け完璧だったといえる。十数本の受けが続いた頃、長谷川が吐息を荒げて音(ね)をあげ感心した。
「悪いがな…、少し休ませて貰う。ふぅ~、疲れたわ。左馬介、お主は盤石だぞ…」
「私も暫く休みましょう。汗が尋常ではありませんので…」
 そう云うと、左馬介は面防具をゆったりと外した。


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スビン・オフ小説 あんたはすごい! (第九十四回)

2010年09月28日 00時00分00秒 | #小説

  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第九十四回
「沼澤さん、寒くはないですか?」
「なあ~に、私は寒さには滅法、強いんで…」
 沼澤氏は全然、寒さが堪(こた)えていないように明朗に返してきた。
「沼澤さん、寒くはないですか?」
「なあ~に、私は寒さには滅法、強いんで…」
 沼澤氏は全然、寒さが堪(こた)えていないように明朗に返してきた。
「そうですか。今度もし、異変が起これば、連絡させて戴いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、結構ですよ。ママさんにお聞きになったかも知れませんが、火、土の週二回、そこの眠気(ねむけ)会館の二階で心霊教室を開いておりますので覗(のぞ)いてみて下さい」
「眠気会館? 眠気会館は会社の入社面接会場で使わせてもらったことが何度もあり、よく知っております。そうでしたか…、眠気会館でね。世間は広いようで狭い、とはよく云いますが、正にこのことですねえ。ははは…」
 私は軽く笑った。沼澤氏も釣られて笑ったが、顔は笑っていなかった。
「最初に少し匂わせてお話ししたと思いますが、玉に選ばれたあなたは、もうただの塩山さん、あなたではないのですよ…」
 沼澤氏は急に真顔で話し出した。
「えっ? どういうことでしょう? こんな夜更けに、余り脅(おど)かさないで下さいよ」
「いいや、脅かすつもりはないのですが、心づもりは持っていて欲しいと云ったまでです」


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残月剣 -秘抄- 《残月剣③》第五回

2010年09月28日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣③》第五
そして、面防具を着け、先程と同じ不動の体勢に入った。よくよく考えれば、この姿勢は妙義山の洞窟に籠る幻妙斎が岩棚に座す姿と酷似している…と、左馬介脳裡に、ふと、そうした雑念が湧いた。それは、ほんの刹那であったが、いかんいかん…と自らを戒め、左馬介は両の眼(まなこ)を閉ざした。その隙に長谷川が面を打擲(ちょうちゃく)すれば、即ち一本取られる。無論、真剣ならば、即死と迄は、いかないにしろ、かなりの深手を負う破目になるだろう。邪念は隙を呼び、禁物なのだ。それ故、左馬介は自らを戒めたのである。先生ならば、邪念による隙など、寸分もお見せにならなぬに違いない…とも瞬間、左馬介には思えた。しかし、今迄、積み重ねた成果が、左馬介の技だけでなく、心も確実に向上させていた。自らを戒めた刹那、即座に無となれることが過去の左馬介とは違うのだ。無となれるとは、即ち、心を集中出来るということなのだ。それが即座に可能となったという向上であった。
 長谷川は、ふたたび左馬介の周囲を円状に回り始めた。今度は、幾らか気分も軽い。というのも、左馬介が云った、『勝負ではないのですから…』云々の言葉が、あったからである。どこからでも気軽に打ち込めそうな気分に左馬介はなっていた。その気分は、いとも容易く長谷川の腕を動かしていた。


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スビン・オフ小説 あんたはすごい! (第九十三回)

2010年09月27日 00時00分00秒 | #小説

  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第九十三回
 ぼんやりと駅の灯りが見えてきた。眠気(ねむけ)駅は単線で、そう乗降客が多いという駅ではない。しかも、夜の時間帯だから、ほんの疎(まば)らな客が、いるか、いないか…といった程度の侘(わび)しさだった。私と沼澤氏は構内で切符を買い、改札口へ行った。買った切符の駅員が急いで改札口へ回り、パンチ鋏(ばさみ)を手に持って立った。要は一人で、いつも見かける駅長兼駅員だった。あのう…あなた、もう定年じゃないんですか? と、思わず声をかけたくなるような老駅員だった。
「五分ばかり遅れっから、まだぁ~、十五分ほどあるだぁ~よ」
 どこの方言かは分からないが、訛(なまり)のある口調でその老駅員は話しかけてきた。
「ああ、そうですか…。いいです。いいですよねぇ~、沼澤さん」
「ええ、私はどちらでも…」
 私が切符を差し出すと、老駅員は受けとって少し老いた風情でパンチした。後ろに沼澤氏が続いた。
「だば、冷えっから、風邪っこ、ひがねえ~ようにな」
「これはまた、ご親切に…」
 誰もいないプラットホームに二人は出て佇(たたず)んだ。老駅員が云ったとおり、冷気がホームをびっしりと覆い尽くし、客も私と沼澤氏以外はいなかった。いつものことだが、陰鬱(いんうつ)だなあ…と思えた。


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残月剣 -秘抄- 《残月剣③》第四回

2010年09月27日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣③》第四
「そうか? …そこまでお前が云うんなら、続けても構わんが…。しかし、俺が返されるのは目に見えておるがなあ…」
 まだ、渋々の長谷川である。
「別に試合じゃないんですから…。長谷川さんが私と勝負をする訳ではありませんし…」
「…、それはまあ、そうだが…」
 少しずつだが、左馬介が押していた。その時、離れた片隅で眺めていた鴨下が大声を出した。
「続けて下さい!! 私も参考になります!」
 二人は、思わず鴨下の方を見た。
「お前の参考には、ならんと思うがな」
 長谷川は、そう云うと大笑いした。左馬介も釣られて笑った。そして、云った当人の鴨下も続けて笑った。
「お前が笑うのは怪(おか)しいだろうが…。面白い奴だ」
 左馬介は鴨下の人柄を充分に知っているから、長谷川ほどは気にならない。
「鴨下さんの仰せの通りです。お願いします」
「そうだな…。では、そうするか」
 漸く長谷川も応諾し、左馬介は、ふたたび床へと座した。


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スビン・オフ小説 あんたはすごい! (第九十二回)

2010年09月26日 00時00分00秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第九十二回
 私は慌てて右隣の椅子上に置いたトレンチコートを羽織りながら云った。
「私は駅へ出るのですが、塩山さんは?」
「はい、私も同じです。ここへ寄った時は、いつもそうしています…」
 いつものダブルと、この前のコーク・ハイの分を含めて支払いながら、私はそう云った。ママが釣銭を出そうとしたが、沼澤氏が格好よく支払った後だったから、自分だけ間が抜けた、ぶ男に思われるのも嫌で、貰(もら)わずに沼澤氏を追った。
「有難うございました~!!」
「満ちゃん、またねっ!!」
 なんとか格好よさを維持して店を出た。外は冷気が覆っていた。私は駅までトボトボと沼澤氏と歩いた。
「すっかり寒くなりましたなあ~」
 クリスマスが近づいてるのだから当然、寒いのだが、沼澤氏はいままでそのことに気づかなかったような口ぶりで云った。
「ええ…。今度、お会いできるのは年が改まってからですかねえ」
「ははは…。こればっかりは分かりません。明日、ばったりと、なんてこともありましょうし、二度とお目にかかれないってことも…」
「ええ、一期一会などと云いますからねえ…」
「左様ですとも…」
 沼澤氏は、また古風な言葉で返した。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣③》第三回

2010年09月26日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣③》第三
 長谷川にはそれが分かっている。
「…参った!!」
 左馬介が構えに入って間もなく、長谷川は提刀(さげとう)姿勢に戻りつつ、大きく一礼してそう云った。長谷川に頭を下げられては、仕方がない。取り敢えず左馬介は軽く会釈して竹刀を納めた。
「もう一度、お願いします、長谷川さん」
「いやあ…もうよかろう、左馬介。これなら俺の出番はないようだ。隙がない上に、身の熟(こな)しも申し分ない」
「いえ、とてもとても…。今のは、単に運がよかった迄です。他の場所へ打ち込まれれば、果して返せたかどうか…」
「そう謙遜せずともよい、左馬介」
 長谷川は軽く笑いながら、左馬介の言葉を遮った。だが、左馬介としては、一度では困るのだ。何度も、多くの場所から、それも突きだけではなく、打ち込みもやって貰いたい…と、考えていたのだ。そこは下手(したて)より頼み込む一手だ、と思えた。
「いや、別に謙遜している訳ではないのです。何度も…それも様々な位置からお願いしたいのです。長谷川さんだけが頼りですし…」
 左馬介に、そうまで下手に出られれば、顔が立った長谷川も悪い気はしない。


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