幽霊パッション 水本爽涼
第五十二回
「はい、その通りです。私達が生活する三次元空間では説明出来ない世界が現実に存在しているのですよ」
「それと、どういう関係が?」
「ですから、霊動、霊波、霊気などという科学では否定されているものも、強(あなが)ち否定出来ないのだ、ということです。人間が三次元空間で説明する科学も、異次元や宇宙空間では否定されることもある、という概念です」
「…って、科学は私達の世界だけのものだってことですか?」
「…もちろん、私達と似通った空間に存在する星では通用するでしょうが、他の宇宙空間や異次元では完璧に否定されることになるでしょう」
「…確かに。私達の感覚では、行き着く到達点がある、という感覚ですよね。無限に続く、という感覚が把握出来ませんね」
「そういうことです。この機械も、そうした発想の出発点から製作を始めたものです」
「それは分かりましたが、機械そのものの仕組みは、ただの機械工学で生み出されたものですよね?」
「いいえ、上山さん。そこが違うのです…」
佃(つくだ)教授は厳(おごそ)かに上山の言葉を否定した。
「えっ? …って、どういうことでしょう?」
「私達は霊力を感知する物質を発見したのですよ」
「霊力を感知する物質…?」
「ええ、そうです。このことは、まだ極秘事項として、世間には発表していないのです」
「すると、その機械を使っている滑川(なめかわ)教授も?」
「はい…。教授にも、そのことは伏せてあります」
「ああ、それで…」
「なにか、ありましたか?」
「いえね、教授が、不思議そうに機械が反応する様子を窺(うかが)ってられましたから…」
幽霊パッション 水本爽涼
第五十一回
「ああ、あの機械ですか? まあ、云っちゃなんですが、私の自信作のひとつなんですが、それが、何か?」
「何か? と訊(き)かれると困るのですが、構造がどうなっておるのかと、少し興味がありまして…」
「ほう…、どんな風にでしょう?」
「いえね…。滑川(なめかわ)教授の研究を見学させて戴いた折りに、その機械が俄(にわ)かに霊動を感知したのです」
「と云われますと、VUメーターの針が振れ、ランプが点滅したのですか?」
「ええ、正(まさ)に、その通りのことが起こったのです。それでお訊きしたのです」
「…なるほど。上山さんに専門的なことを云ってもお分かりにならないと思いますから、誰もが分かるようにお話ししましょう。まあ、あちらの方へどうぞ」
佃(つくだ)教授は部屋の片隅にある応接セットを指さした。
上山が応接セットに座ると、教授はさっそく語り始めた。
「早い話、霊動、霊波、霊気は科学で説明できないものなのです。私達は、人間が作りだした科学そのものを否定することから始めているのです」
「どういうことでしょう? 私には、さっぱり分かりませんが…」
「話せば長くなりますから、ひとつだけ、上山さんがなるほど! と得心される事象をご説明しましょう。宇宙の大きさは、説明できますか?」
「いいえ…、とてつもない大きさですよね」
「ええ、そうです。私達が考える大きさとは、縦×横×高さで、はっきり分かりますよね。宇宙には、それがないのですよ」
「はあ、まあ…。教授が云おうとされてることは分かります。宇宙は無限に広がってる、ということですよね」
上山は身を乗り出して云った。
幽霊パッション 水本爽涼
第五十回
「どうも、どうも…。態々(わざわざ)、恐れ入ります」
佃(つくだ)教授の出迎えに対し、上山は相応の日本的礼儀で返した。
教授の後方に従い研究室へ入ると、三人の助手が手を止め、上山に軽く一礼した。上山もそれぞれ三人に軽くお辞儀して黙礼で応じた。一端、手を止めた助手達は、ふたたび何やらよく分からない手作業を始めている。上山も白衣で研究する場はいろいろと知っていたが、こういう奇妙な研究の場というのは、人生で初めて体験するものだった。科学者が白衣で首に数珠(じゅず)を掛け、一心不乱に何やら念じてはノートらしき用紙に書き込んでいるのである。
「皆さん、何をしておられるのですか?」
上山は思わず教授に訊(たず)ねた。
「ああ…連中ですか? 彼等は私が命じたデータをとっておるだけです」
「はあ…そうですか」
上山は唖然として二の矢が放てない。教授の言葉を素直に鵜呑みにした。研究室の雰囲気は滑川(なめかわ)教授の室内とは比較にならないほど明るく整っている。しかも、弟子ともいえる助手が三人以上いるとなると、これはもう、本格的な研究所である。ただし、滑川教授とは研究分野がまったく違うから、比較対照にはならないのだが…。
「教授にひとつお伺いをしようと思っていたのですが…」
上山は前を歩く佃(つくだ)教授へ、後ろから小声をかけた。教授はギクッ! として立ち止まり、振り返った。
「ほう! 何でしょう? 私で分かることなら、なんなりとお訊(き)き下さい」
「いやあ、そんな小難しい話ではないのですが…」
「まあ、云ってみて下さい」
「教授が製造された滑川(なめかわ)教授の研究所にある機械についてなんですが…」
幽霊パッション 水本爽涼
第四十九回
幽霊平林に近日中には目鼻をつける、と云った上山だったが、会社の勤めは無視できず、仕方なく次の土、日まで待つことにした。ヒラならまだしも、一応は課長という管理職にいる手前、そう簡単に会社を休むという訳にもいかなかった。しかし、モノは考えようで、一週間のうちには滑川(なめかわ)教授も佃(つくだ)教授へ電話しておいてくれるだろう…という確率が非常に高まるのである。その一週間は瞬く間に過ぎていった。
…そうか、一週間経ったんだ…と、上山は思った。土、日休みの前日の金曜日、上山は秘かに携帯で佃教授へコンタクトをとった。
「詳細は、おとといでしたか、確か。滑川さんから聞いております。私の方は、いつ来て戴いてもよろしいですよ」
佃教授は温厚そうな口調で、ゆったりと答えた。上山は、土曜日でも参上致します、と云って携帯を切った。あれだけよく現れていた幽霊平林が、気になるほどさっぱり現れなくなり、上山は心理的な余裕を取り戻す一方、寂しさも同時に味わっていた。迷惑げに話していたとはいえ、親密味もあったから、余計にそう思えたのである。そんなときは、まあ、いいか…と自分を慰める上山であった。それに、余程のときは、首を一回転すれば、それが合図で幽霊平林が現われるという安心感もあった。
佃教授の研究所は滑川教授のそれとは違い、なんとも整理整頓が行き届いた研究所で、若い助手らしき青年も三人ばかりいた。三人ばかりとは、今日、研究室に来ていない助手がまだいるとのことで、上山には把握できなかったのである。
「ああ…、こられましたか。私が佃です」
現代建築の粋をこらした建物の通用門を抜けると、まず佃教授のこの言葉が上山を出迎えた。教授は、正面玄関の入口に立っていた。そして、笑顔で上山を手招きした。
幽霊パッション 水本爽涼
第四十八回
『ああ…、そういや、ありましたね。なんか、懐かしいなあ…』
「懐かしがってる場合でもないんだけどね」
『はあ…、すみません』
「別に謝らなくったっていいけどな」
『首を一回転、回せば出てくるっていうの、どうです? シンプルですが…』
「ああ、いいね、それ。よし、決まりだな。…それはいいとしてだ、君は、いつでもOKな訳?」
『ええ…、僕達には課長のように睡眠も食事も必要ないですから…』
「ああ、そりゃまあそうだろうな。幽霊が、これから寝ますから・・っていうのも、なんか今一な…」
『ええ…、そういうことです。だから、いつでも24時間体制で頑張れます』
「別に頑張ってもらわなくても、いいけどな。しかし、燃料も電気もいらないから便利だ。…じゃあ、そういうことで」
上山は、ぐるりと首を一回転させた。
『えっ? この場合は?』
「消えるってことで…」
『ああ、はいっ…』
幽霊平林は上山の前からスゥ~っと消滅した。これだなっ! と上山は思わず首を一回転して背伸びをした。その瞬間、消えた幽霊平林がスゥ~っと現れた。
『課長! 何かありました?』
「おおっ! びっくりしたぞ。どうした、君?」
『どうしたって、課長が首を回されたので、現れたまでです』
「ああ、そうか…。これは、すまなかった。別になんでもないんだ」
『そうですか…。首の動きだけは注意して下さいね、すぐ現れますから…』
「ああ、すまんかった」
幽霊平林は、その言葉を聞くと、ふたたび消え去った。上山は、全ての行動を見られているようで、少し嫌な気分がした。
幽霊パッション 水本爽涼
第四十七回
「まあなあ…。研究機関や研究者は買うだろうが…」
『余り売れそうじゃあ、ないですよね』
「ああ…、安眠枕ですら、お蔵入りだったからなあ」
『そうですよね…』
一人と一霊…前にも云ったと思うので、敢(あ)えて今回も二人と呼ぶが、二人は考え込んでしまった。
「しかし君、私達が解明したかったのは、そうじゃないだろ? 君と私が、なぜ因縁を持ってるかってことだよ」
『ああ、そうでした。なぜ、僕の姿が課長にだけ見え、僕には課長が白っぽく見えるのかを探ることでしたよね』
「そうだよ、それそれ! 当初の目的は…」
『売れなくても、いいんでした』
「そうそう、それは佃(つくだ)教授に会うための方法として考えたんだったな」
『ええ、それを忘れてました』
上山は賑やかに陽で笑い、幽霊平林は寂しそうに陰で笑った。
「気楽にいこうや。近日中に目鼻はつけるさ。まあ、孰(いず)れにしろ、他力本願だけどな」
『ええ、そうですよね。佃教授が乗ってくれなきゃ、それまでですしね』
「その通りさ。で、さあ、話は変わるけど、ひとつ頼んでもいいかな?」
『えっ? 僕にですか? どんなことでしょう』
「君さ、現れるときが不規則だろ? 不規則っていう云い方も妙なんだけどね。で、なにか二人だけのサインっていうか、合図みたいのを決めときゃ、どうかと思ってさ」
『はあ…。それって、僕がその合図があれば現れる、なんてことですか?』
「うんっ、まあな…。昔、ヒーローものでさ、ヒーローを呼ぶとき、何かやったろ? そんなのさ」
幽霊パッション 水本爽涼
第四十六回
当然、幽霊平林もスゥ~っと上山の後ろを移動する。
『これでも、身辺には気を遣ってるんですよ、出るときは』
「えっ!? テレビや映画しゃないんだから、なんか、出演するときは・・みたいな云い方、やめてくれないかなあ」
『はあ…、そんなつもりで云ったんじゃないんですが…。正直、云いますと、僕達って、この世に現れると抹香の匂いがするらしいんです。だから、消臭スプレーで消してから現れるんですよ』
「ほう…、あの世にも、そんなもんがあるのかい?」
『ええ、あるんですよ。幽霊本舗ってとこで買ったんですがね』
「幽霊本舗…。なんか、娑婆っぽいね。まっ、いいか…。なにもない世界かと思ってたんだが…」
『いや、そんなことはないんです。ちゃんと、あるんです。現に、この僕が云ってんですから、間違いないじゃありませんか』
「そりゃまあ、そうだけどさ…」
上山はタジタジとして引き下がった。
『まあ、そんなことは、いいんです。それより、先程の続きは?』
「ああ、そうだった。とりあえず佃(つくだ)教授にお会いして、なんとか我が社で作れるようにパテントを取る交渉はしてみる。ただ、商品化となるとなあ…。需要が見込めんからなあ…」
『それに、霊動といっても、まだ実証された訳じゃありませんからね』
「そういうことだ。今の状況では子供の玩具(おもちゃ)としか世間は見ん。ノーベル賞に匹敵するするような発明なら別だが…」
『ええ、まあ…。この話も実証され、ノーベル賞でも受賞となれば、多少の需要はあるのでしょうが…』
二人は合せたように、同時に腕組みをした。
幽霊パッション 水本爽涼
第四十五回
この日の教授は機嫌がよかったから、それが上山には幸いした。コトは思惑通りに運び、上山は研究所を退去した。
家に戻ると、上山はかなり気疲れしている自分に気づいた。上がり框(かまち)へヨッコラショ! と腰を下ろして、フゥ~っと溜息をついたとき、幽霊平林が現われた。最近、決めごとにしている現れ方で、上山の背後からである。
『課長!』
上山は一瞬、ギクッ! とはしたが、現れたか…という馴れ気分で後ろを振り向いた。
「なんだ、さっきは。何も云わず消えたじゃないか」
『すみません。どうも、あの教授、苦手なんですよ』
「そうか? 口は荒いが、いい教授なんだがなあ」
『それは、生前から僕もよく知ってますよ。度々(たびたび)、通ってたんですから…』
「だろ? だったら…」
『ええ、そうなんですよ。いい教授なんですけど、なんか苦手で近寄りがたいところがあるんです』
「君の被害妄想だろう。私なんか、なんともないぞ。まあ、少し気は遣うがな」
『もういいじゃないですか、その話は。それより、どうなりました? 例の話』
「ああ、アレなあ…。上手くいきそうだ。佃(つくだ)教授に会えることになった」
『えっ! そりゃ、よかったじゃないですか。すると、機械が我が社で生産されるってことに?』
「いや、それは、まだどうなるか分からんがな。なにせ、開発した佃教授の腹積もり一つだからなあ」
『はあ…、そりゃまあそうですね』
幽霊平林は、少しもの静かになった。上山は靴を脱ぐとリビングへ移動した。掛け時計は昼を少し回っていた。
幽霊パッション 水本爽涼
第四十四回
機械は俄(にわ)かに沈黙し、研究室内は陰気な薄闇と化した。余計に気味悪くなったぞ…と、上山は思った。横にいた幽霊平林は、いつの間にか消え去っていた。勝手な奴だ…と、上山は少し怒りを覚えた。それでも、そうした気持を教授に悟られては拙(まず)い…と、瞬時に思え、上辺だっては怒りをおし隠す上山だった。
「教授、それにても立派な機械なんですねえ。見てくれは、なんか云いにくいんですが…ポンコツにしか見えませんから…」
「おお、そりゃそうじゃろう…。なんといっても、私ですら一目(いちもく)置く佃(つくだ)教授だからのう…」
滑川(なめかわ)教授は先程のギラついた目とはうって変わり、愛(いと)しむような眼差(まなざ)しで機械を見つめた。ただ黙っていた上山は、幽霊平林が云ったことを、ふと想い出した。
━ 田丸工業で目玉商品にすりゃ、どうなんでしょう ━
その声が上山の脳裡に甦った。
「教授、佃教授にお会いしたいのですが、紹介状か名刺を戴けないでしょうか。誠に厚かましいお願いなんですが…」
「本当に厚かまし奴だ、ははは…。佃教授に会って、どうするというのかね。…まあ、書かなくもないが…。名刺なら、ほれ、これでいいだろう…」
教授はボロ紙のように汚れ、四隅が丸まった名刺を白衣のポケットから取り出した。
「あっ!これで結構です。ちょいと、この機械の構造に興味がありまして…」
「ほう、そうか…。紹介状はどうする?」
「お電話で上山という者がそちらへ行くだろうから、よろしく頼む、とでも云って戴ければ、それで結構でございます」
「おお、それなら、そうしよう…」
幽霊パッション 水本爽涼
第四十三回
まあ、誰もいなくなれば、上山も話すことは可能なのだが…。
『この機械、僕を感知してんですねぇ~。レトロにしては大したもんだ。作ったのは佃(つくだ)教授だとか話されてましたが、かなりのお方のようですねえ…』
「そうだなあ。私も、そう思うよ、大したもんだ」
上山も口先だけではなく、真に大した機械だと思っていた。
『霊力を感知する機械って、よ~く考えりゃ、これってノーベル賞ものなんじゃないですか? 課長』
「うんっ! 確かに君が云うとおりだな…」
上山は納得して返した。
『なら、田丸工業で目玉商品にすりゃどうなんでしょうねぇ~。もちろん、特許なんかも含めてですが…』
「そうだな。上手くいけばな。なにせ、教授はアレだからな…」
『はあ、それはまあ、そうですが…』
二人が、ブツブツ話していると、滑川(なめかわ)教授がトイレから戻ってきた。
「…なんか今、話し声がしておったぞ。君の声か?」
「いえ! 教授の気のせいでしょう。何も話してません」
「そうかあ? 確かに話し声がしたんだが。…まあ、いい。相手もおらんのに、話をする訳がないな、ははは…。ちょっと疲れてるのかも知れん。今日はこの辺でやめるとするか。倒れたら元も子もないからなあ。ああ…、訊(き)くのを忘れていた。君、何か変わったことはなかったか?」
「いえ、先ほどの状態のままです…」
二人の前の機械は、不気味なオレンジ色の点滅とVUメーター針の振りをまだ続けていた。教授は、電源スイッチをOFFにした。