水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

愉快なユーモア短編集-38- お菓子(かし)

2018年09月30日 00時00分00秒 | #小説

 お菓子(かし)は子供達を愉快な気分にさせる格好の食品だが、なにもそれは子供に限ったことではなく、大の大人にも有り難い食料なのである。登山ではチョコレートが貴重な非常食となったりするし、茶道などでは必要材料となる場合だってある訳だ。だいいち、小腹がすいた主婦達にとって、テレビを見ながら食べるお菓子がないと、機嫌が悪くなったりしてしまう代物(しろもの)なのだ。戦後の時代、まだ駄菓子が入手不足(にゅうしゅぶそく)だった頃は代用のお菓子を食べたものだ。私の記憶では、母が竹の皮に三角形にして包んでくれた紫蘇に漬けた梅干と紫蘇の汁を三角形の穴から吸っていた記憶がある。そんなに美味(びみ)ではなかったと思うが、記憶に残っている一品(ひとしな)である。野草もお菓子の代用になった。イタドリは少し酸(す)っぱ味(み)があったが、皮を剥(む)いてポリポリと味わった記憶が今も残っている。何の草かは知らないが、線路の際(きわ)に生えていた綿のような部分を食べた記憶もある。今の時代のように食べ尽くせないほどのお菓子がある時代とは、まったく違ったが、それでも、今ではない長閑(のどか)な気分で愉快に味わえたお菓子の代用品だった。愉快な気分は、お菓子がある、ない・・という尺度では感じ取れないということだろう。…とはいうものの、種々、豊富にあるに越したことはないようだが…。^^
 時は今、…戦国武将、明智日向守さんの連歌ではない。^^ 二人の子供が縁日(えんにち)の綿菓子(わたがし)を美味(うま)そうに舐(な)めながら神社の境内を歩いている。それを遠目(とおめ)に眺(なが)める通りすがりの男が一人、ふと呟(つぶや)いた。
「あの綿のような草、名前、なんだったんだろうな? …」
 名前は、もっか調査中だそうだ。^^

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-37- おざなり

2018年09月29日 00時00分00秒 | #小説

 物事を長い期間、繰り返してやっていると、ついつい、おざなりになってしまうものだ。おざなり・・とは難(むずか)しい言い回しだが、分かりやすく言えば、いい加減で、その場限りの間に合わせである。物事を繰り返しているうちに、それが馴(な)れを生じ、いつの間にか初めのやり様(よう)や風味、出来栄えが消えて損なわれる。それが、おざなりを生み出す訳だ。当然、いつもやっている人は、気づかない。ある種の慢心(まんしん)が生み出す失敗の原因なのかも知れない。━ 初心 忘れるべからず ━ の格言が指(さ)し示す通りである。
 生(い)け花の未生流宗家から名取りを許され有頂天になった、とある老人のお話である。
 なにせ、十数年も通った挙句(あげく)、ようやく頂戴(ちょうだい)できた名取りだけに、老人の心は充足感に満ち溢(あふ)れ、何をやっても愉快な日々が続いていた。そして月日は流れ、老人は近所で確固とした生け花名人としての地位を築いていた。そんなある日のことである。
「ひとつ、先生…次の老人会で生けてもらえませんでしょうかなっ?!」
「ああ、いいですよっ! …その日は確か・・空(あ)いてましたなっ!」
 老人は自慢げに手帳に記(しる)されたスケジュールを確認しながら言った。すでに有名な先生気取りである。老人は生ける花はその日、準備すればいいだろう…くらいのおざなりで、軽く考えた。ここに慢心が生まれたのである。
 老人会の当日、少しばかり早く会場となる公民館へ出向いた・・まではよかったのだ。ところが、届けるよう電話をしていた花が来ていない。老人は慌(あわ)てて花屋へ電話をかけた。
『ええ~~っ!! 今日でしたかっ?! おかしいなぁ~、先生、確か◎日と言われましたよっ?』
「◎日じゃないっ! ○日、今日ですよっ!」
『弱ったなぁ~、生憎(あいにく)、まだ入荷(にゅうか)してないですよっ! それに。残った花も、ほとんど出ちまって…どうしましょう?』
「どうしましょうも、こうしましょうもないよっ! とにかく、残ったのを、早くっ! もう、時間がないんだっ、時間がっ!!」
 花屋は残っている萎(しお)れかかった花を会場へ急いで届けた。老人は、その花で、かろうじて生け終えた。
「ほう!! …先生、作風が変わりましたかっ?」
「えっ? ははは…まあ、そのような…」
 なんとも貧相な花が会場を飾っていた。照明のスポットライトが返って生けられた花を惨(みじ)めにしていた。笑って暈(ぼか)した老人だったが、いつもの愉快な微笑(えみ)は完全に失せていた。老人はおなざりで確認を忘れた注文にを心で悔いていた。
 おざなりは失敗を誘い、愉快な気分を損なうから侮(あなど)れない・・というお話である。^^

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-36- 昔の子供遊び 10> 落とし

2018年09月28日 00時00分00秒 | #小説

 他にも玩具(おもちゃ)屋で買って遊ぶ駒(こま)回しやメンコ[丸や四角形の絵が描かれた小さな紙]、模型作りの紙ヒコーキなど、いろいろとあるが、切りがないので最後に道具を必要としない10>落としを紹介(しょうかい)して終わりとしたい。例によって、知っているから紹介する必要はないっ! あるいは、まったく興味がないっ! とお思いの方は、気持がいい秋風が戦(そよ)ぐ郊外でも散歩していただいていればいい。^^
 落としは昭和35年頃、お菓子のチューインガムの外包みの紙を利用して遊んだ。たくさん集めて札束のように輪ゴムで括(くく)っては箱に保管し、密(ひそ)かに北叟笑(ほくそえ)んだものだ。この遊びは実に簡単で、10cm~1mくらいの高低差がある場所を選び、上から少し出したガムの紙を人差し指で落とし[ちょうど、崖(がけ)の上から谷へ落とすような感じで]、下に落ちたガムの紙の上へ上手(うま)く乗せられれば下のガムの紙を自分のものに出来るというものだ。取られた紙は返してもらえないから、子供ながらも真剣勝負となる。^^ 私の記憶では、初期はメンコでやっていたが、メンコは買う必要があって高くつくから、後期はガムの包み紙になった・・という記憶がある。
 二人の子供が落としで遊んでいる。
「フフフ…これで今日は、4万の稼(かせ)ぎだっ!」
 と息巻いてはいるが、その実、子供が手にしているのはガムの包み紙が40枚だ。
「チェッ!! 今日は大損だっ!」
「破産かっ?」
「なかなかどうして…。明日、またやろう!」
 夕暮れが迫り、二人の子供は遊びをやめ、家へと帰っていった。
 今の時代のようにバーチャル[仮想]ではなく、安くて実感で楽しめた昔の子供の遊びの数々である。^^

                                 

 ※ 大人の遊びのパチンコも、昔は釘(くぎ)の開きを見て台を選んで打つ、愉快な一発打ちや自動台があり、バ-チャルではなく実感で楽しめたものだ。^^


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-35- 昔の子供遊び 9> 缶馬(かんうま) 

2018年09月27日 00時00分00秒 | #小説

 どんどん話を進めることにしよう。9>として缶馬(かんうま)という遊びもあった。缶馬とは呼ばなかったように記憶するが、ここでは便宜上(べんぎじょう)、缶馬と呼ぶことにしたい。この遊びもシンプルこの上(うえ)なく、使うものとしては、空き缶が2個と丈夫で適当な長さの紐(ひも)が2本もあれば事(こと)足りるのである。竹馬(たけうま)と同じような遊び方で、一人でも数人でも遊べる簡単な昔の遊びの一つである。まず、遊び道具を作る。空き缶の底に近い横に釘(くぎ)などで穴を開け、缶の中心とその穴を結ぶ延長線の点[直径の点]にも同じ穴を開ける。そこへ紐を通して左右に出た紐の先を結べば、はいっ! 完成っ! となる。これを2個、作れば、いよいよ遊びだ。缶の上へ両足の先を入れて歩けばいいだけだが、音が響きやすい硬(かた)い地面[石畳(いしだたみ)や舗装路]の上を歩くのが適当で、ポコッ、ポコッ!! と鳴るなんともいい音を楽しむ。音が馬の蹄(ひづめ)の音に似て、実に心地(ここち)よい愉快な遊びなのである。
 数人の子供が缶馬で遊んでいる。家の前の路地(ろじ)だから、周囲の家の中へは丸聞こえだ。
「ったくっ!! 遊んでないで、宿題やってしまいなさいよっ!!!」
 ガラッ! と一軒の家の窓ガラスが開き、母親のきついひと声が開口一番(かいこういちばん)、辺(あた)りに谺(こだま)した。子供達は蜘蛛(くも)の子を散らすように消え去った。
 音が聞こえないところで遊ぶのがいい、長閑(のどか)で愉快な昔の子供遊びである。^^

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-34- 昔の子供遊び 8> お手玉と赤拾(あかひろ)い  

2018年09月26日 00時00分00秒 | #小説

 男の子供遊びばかりを列挙(れっきょ)してきたので、ここで女の子供遊びも一つ紹介(しょうかい)しておきたい。お手玉である。別に紹介などしてもらわなくてもよいっ! とお思いの方は、テレビのサッカー中継でも観ていて下さればそれでいい。^^
 この遊びも一人と数人とやる場合に分かれる。ということは、一人でも十分、楽しめるのである。まず、お手玉を作る必要がある。どんな布切れ(出来れば薄い方がいいようだ)でもいいから用意し、俵(たわら)形、四角形など形は好みで作ればいいようだ。朧(おぼろ)げながらも実際に見た記憶によるものだ。ということで、よく知らないから遊び方の解説はネットの検索でお願いしたい。
 女の子達がお手玉で遊んでいる。その光景を遠くから男の子供達が垣間(かいま)見ている。
「細かいこと、してるなぁ~」
「ああ…僕達は赤拾(あかひろ)いでもしようかっ!」
「だねっ!

 昭和30年代前半の頃は、捨てるより拾(ひろ)う時代だった。赤拾いとは当時、貴重だった銅を含む金属の屑(くず)を拾い集めることを指(さ)し、拾っては竿秤(さおばかり)で量(はか)って買ってもらう訳だ。10円硬貨を一枚、もらった記憶が残っている。^^
 お手玉は楽しいのだろうが、赤拾いも結構、愉快な実益(じつえき)を兼(か)ねた昔の子供遊びである。

 ※ 女の子供遊びには、他に[綾(あや)取り]がありました。^^

                             


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-33- 昔の子供遊び  竹馬(たけうま)

2018年09月25日 00時00分00秒 | #小説

 7>として竹馬(たけうま)がある。これもメジャーな昔の子供遊びとして多くの人の記憶に残っていることだろう。数人で遊ぶというより、個人で楽しむ遊びとなる。もちろん、個々に作って数人でも楽しめるのだが…。作り方は簡単で、適当な真竹が1本と体重を支えられる小さな板切れが2枚あれば事(こと)足りる。竹を身長より高めの適当な長さに切り、20~30cmの高さのところに足が乗る板切れを縄(なわ)や紐(ひも)、ロープなど、適当なもので括(くく)りつけて固定する。で、同じものをもう1本、作れば完成となる。作れば、あとは遊ぶだけだ。手で持って片足づつ板切れの上へ乗せ、上手(うま)く歩けるようになれば、歩く愉快な感覚が味わえるというものだ。上達すれば、数人で速(はや)さを競(きそ)ってもいいし、一人で、まったりと歩き心地(ごこち)を楽しむのも一興(いっきょう)というものである。^^
 カツッ、コツッ・・と音をさせながら、数人の子供が竹馬を楽しんでいる。竹の乗り心地と音が子供達を愉快な気分にさせている。
「速いだろぉ~~!」
 一人の子供が道に引かれた線の上へ一番でゴールし、遅(おく)れて着いた子供達に自慢たらしく言った。
「うんっ!」
 遅れて着いた子供達は頷(うなず)いて認めざるを得なかった。
「なっ! ははは…」
 したり顔で一番速く着いた子供が笑ったときだった。その子供はバランスを崩(くず)して倒れた。
「だ、大丈夫?!」
 遅れて着いた子供達は、竹馬から全員が降り、駆け寄った。
「だ、大丈夫さっ! ははは…」
 速く着いた子供は打身の痛みに顔を歪(ゆが)めながらも強がった。油断は禁物(きんもつ)なのである。^^
 自転車と人だけが道に見られた頃の昔の子供遊びである。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-32- 昔の子供遊び  6> ビー玉

2018年09月24日 00時00分00秒 | #小説

 さて次は、6>ビー玉である。この遊び方も実にシンプルで、遊び道具としてのビー玉が数個あれば事足りる。市販のビー玉も、あることはあったが、なにも市販品を買う必要はなく、駄菓子屋で買ったラムネ(昭和30年代前半は1本、5円)の瓶(ビン)に入ったガラス玉を使ってもよかった。剛(ごう)の子供などは、ラムネ瓶の玉、数個で、お金持ちの子供が買った色付きの綺麗なビー玉を、しこたま、せしめたものだ。で、その数多く手に入れたビー玉を、密(ひそ)かに隠し持って蓄(たくわ)え、宝物として自慢した・・というのが、当時の真相である。遊び方も実にシンプルで、2~数人がジャンケンをして遊びが始まる。場所は土の上が適当である。まず、ジャンケンで勝った最初の一人が1個のビー玉を片手に持ち、他の子供が地面に置いたビー玉に狙(ねら)いを定めて当てる・・という、それだけのものだ。当たれば、当てた玉は自分の物になる・・という寸法である。当然、外(はず)れるまで当て続けられるのだが、当てられた側の子供は、また別の玉を土の上へ置かねばならず、上手く当てられるか? という腕の見せ合いの遊びとなる。まあ、大方は男の子供の遊びで、女の子供はしなかった・・と記憶している。
「ヒヒヒ…これで25個だぜっ!」
 腕のいいガキ大将が数人の子分を従え、せしめたビー玉を数えつつ悦(えつ)に入(い)っている。
「今日はシコタマ、手に入りやしたね、お頭(かしら)っ!」
 子分の子供の一人が、ガキ大将のご機嫌(きげん)を伺(うかが)う。
「そうよ、チョロいもんよっ!」
 一端(いっぱし)の親分風のしたり顔(がお)で、ガキ大将は子分どもを見回す。
「で、お頭、分け前はっ?」
「おっ! そうだったなっ!」
 ガキ大将は、勝ち取ったビー玉を、ほんの数個づつ子分どもに分け与える。その数の少なさに、なんとケチ臭い…と思いながらも口には出せず、有り難く頂戴する子分ども。^^
 まあ、こんな光景が昭和30年代前半は展開されていた訳だが、実に愉快な子供遊びである。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-31- 昔の子供遊び 5> 鉄砲遊び

2018年09月23日 00時00分00秒 | #小説

 さらに続くが、5>鉄砲遊びがある。誤解されるといけないから説明するが、金属の犯罪めいたものではなく、竹木(ちくぼく)を工作して遊び道具にした鉄砲だ。
この鉄砲には各種あり、特に竹で作るものが大半である。挙(あ)げただけでも、水(みず)、吹き玉(だま)、杉の実(み)、紙などがあり、紙鉄砲(かみでっぽう)に至っては木で作るものもある。竹の場合は普通の真竹(まだけ)を使用する場合と女子竹(おなごだけ)[メダケの別名]を使う場合がある。杉の実や吹き玉鉄砲の場合は女子竹だ。女子竹の遊び道具の作り方は簡単で、川原から採(と)ってきた女子竹の節(ふし)と節の間(あいだ)を切り、竹筒(たけづつ)と押し手[手で持てるくらいの竹筒に押し棒の細い竹筒を押し込んだもの]を作る。当時は長閑(のどか)な時代で、子供が鉛筆削りや工作で常用した肥後守(ひごのかみ)という子供用ナイフを使って作ったものだが、今の厳(きび)しい時代は刃物と見られて所持を許されないかも知れない。まあ、それはそれとして、作れば、あとは遊ぶだけだ。ここでは、メジャーな吹き玉鉄砲の場合を説明したい。例によって、説明して欲しいと思わない! 方は、シャワーでも浴びていただけば、それでいい。^^
 まず女子竹の筒に吹き玉[リュウノヒゲと呼ばれる植物の実]を先端に詰め込み、押し棒の細い竹筒で押す。次に、別の吹き玉を先端に詰め込んで勢いよく押し棒の細い竹筒で押せばいいだけだ。竹筒の内部の空気が圧縮され、その圧力が最初に詰め込んだ吹き玉を鉄砲風に{ポンッ! ? …ピシッ! ? …バシッ! ? …という音だったか、当時からかなり経つので忘れてしまった^^]押し出すといった具合だ。数人で遊べば面白い遊びである。余り威力がないから、相手の玉が当たった記憶もなく、音で遊ぶのが味噌だ。あとの各種鉄砲も作り方の差こそあれ、ほぼ同じである。木で作る紙鉄砲だけは他の鉄砲類と違い色彩を異(こと)にした。鉄砲型に切った木片を蝋燭(ろうそく)の蝋で塗って工夫する場合と、工作した鉄砲型の木片の先に輪ゴムをつけ、輪ゴムを伸ばして引き木の先にはめ込み、その間に1cm×5mmぐらいのやや厚めの紙片を挟(はさ)んで引き木を動かし、紙片を飛ばす場合とがある。
 数人の子供が吹き玉鉄砲で遊んでいる。音だけがパシッ! ピシッ! とするだけで、お互いの姿は見えない。それでいて、妙に愉快で楽しい子供達の顔がある。数十分後、音が急にしなくなった。一人の子供が訝(いぶか)しげに他の子供を捜(さが)し始めた。
「? おかしいなぁ~? …音がしないぞ」
 最後まで残っていた子供は、すでに遊びが終わっていることを知らなかった。皆(みんな)、家へ帰ってしまい、一人だけ忘れられたのだ。^^
 鉄砲遊び・・こんな長閑で愉快な昔の遊びもあった。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-30- 昔の子供遊び 4> ケンパ

2018年09月22日 00時00分00秒 | #小説

 なぜか、妙に調子づいてきたが、続いて4>ケンパという子供遊びがある。この子供遊びも数人の子供で出来る昔の子供遊びなのだが、一人(ひとり)一人の技量が問われる個人戦となる。遊びには何も用意する必要がない・・といっても、自分用の小石(こいし)一つは適当なのを拾って持つ必要はある。場所は、適当に湿(しめ)った土の上だ。お寺や神社の境内(けいだい)などが最適である。湿っていないといけない理由は、2>の線切りと同じで、線を描く必要があるからだ。
 遊びを始める前に、線で図形を描く必要がある。まず、適当な大きさ[2m程度]の長方形の線を描く。次にその中の上下線から30cmほど内側のところに線を引く。このとき、長方形は上下の小さな四角形と真ん中の大きな正方形に近い長方形の3つに分割された形となる。次に、上下の小さな四角形を2等分したところに縦線を描く。この段階で、小さい四角形が上下2つづつの4つ、そして真ん中の大きな正方形に近い長方形の計、5つになる。続いて、真ん中の大きな正方形に近い長方形の角(かど)から対角線を2本引く。これが遊ぶ図形[内部の上下に小さな四角形が各2つの計4つ、真ん中に対角線で出来た三角形が4つの計8分割形]となる。さて、土の上に図形が描ければ遊びの開始だ。まず、参加する子供達がジャンケンをして各自の順番を決める。ここでは、一人の最初の競技の内容を解説したい。解説などいいっ! と思われる方は、おやつでも食べてお茶を啜(すす)っていて頂ければ、それで結構だ。^^
 まず、石をすぐ前の2つの四角の片方上へ置く。続いて、置いてない四角を片足で踏んでゆくのだが、横の三角2つのところは広げた両足で踏まなければならない。跳(と)ぶときに片足のときは心でケン! と言い、三角のところでは両足を広げて地面へ足が着いた瞬間、パッ! と叫ぶことがケンパの名の由来のようだ。文章では分かりづらいが、まあ、そんなところだ。ケンケンパッ! ケンパッ![ここで反対を向く] ケンパッ! ケンケンパッ! のようなことで、最後のケン! のとき、片足のまま置いた石を拾って元の四角外へ出られれば競技は成功で、次の四角の位置へ石を置いて競技を続行できる・・というものだ。この遊びも勝ち負け・・というのはなく、愉快な気分で遊ぶだけで順位を決めるものだ。いつの間にか終わって帰っていった…という記憶が残っている。
 一番、遠い四角の一つに石を放り投げた子供が跳び始めた。
「ケンケンパッ! ケンケン[ここで、石を拾う]ケンパッ! ケンケンケンッ!」
 上手(うま)く出来たところで、子供は、ヨッシャ! と無言(むごん)でガッツポーズをした。まだ、前の四角に石を置くところから成功していない子供は見ていて余り愉快ではない。
「僕、帰るっ!」
 そう叫んだその子供は、自分の小石を持ったまま走って帰った。一瞬、シラケた雰囲気が辺(あた)りに漂(ただよ)う。そして誰が言うともなく、自然とケンパの遊びは終わっていた。
 まあ、こんな感じの愉快な昔の子供遊びである。^^
 
                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快なユーモア短編集-29- 昔の子供遊び 3> どん馬(ま)

2018年09月21日 00時00分00秒 | #小説

 続いてその3>だが、どん馬(ま)という子供遊びもあった。これは遊び道具が要(い)らず、複数の子供・・おおよそ10人ばかりも集まれば出来た遊びだ。ただ塀とか家の外板や外壁など、前から押されても後ろへ倒れない背凭(せもた)れが出来る場所が必要となる。これは、どん馬の遊び方によるものだが、これから詳(くわ)しく話すとしよう。例によって、別に聞きたくもない…と思われる方は適当に寛(くつろ)いで鼻糞(はなくそ)でもホジいていて欲しい。^^
 この遊びは参加する子供達が2つのグループに分かれるところから始まる。グループ分けはジャンケンなどで決めたものだが、その方法はどうでもよく、とにかく2つのグループに分かれる訳だ。そして遊びが始まることになる。野球と同じで2つのグループが攻守(こうしゅ)に別れるのだが、守り手のグループは代表一人が建物に背凭れする格好(かっこう)で両脚(りょうあし)を広げて立つ。その脚の間(あいだ)に次の子供は頭を突っ込み、立っている子供の両足を手で持つ。同じように残りの子供達も一人づつ次々に頭を両脚の間へ突っ込んでいく。1本の隊列が完成し、守り手の代表が守りOKを出したところで、もう片方のグループは一人づつ背の上へ、ど~んと崩(くず)れさせるように次から次へと走って跳(と)び乗っていくのだ。全員が背に乗ったとき守り手のグループが崩れなければ、跳び乗った先頭の子供[攻め手の代表]とジャンケンをする。守り手の代表が負ければ攻守は変わらず始めへ戻(もど)り、勝てば両グループの攻守が変わるというルールである。
「またかっ!」
 相手グループが全員、跳び乗ったあとのジャンケンで守り手の代表が負けた瞬間、頭を両脚に突っ込んで重みに耐えている子供の一人が叫んだ。これで5度目だから分らなくもない。
「ちょっと休もう!!」
 ジャンケンで負けた守り手の代表が、罰(ばつ)が悪いのかタイムをかけた。遊びは一端(いったん)中断し、休憩になったかと思われたが、再開されずそのまま流れ解散となった。
 この愉快な子供遊びも勝ち負けがなく、適当なところで終わるから、勝って誇(ほこ)るでもなく、負けて悔(くや)しくもない運動的なものだ。冬場の寒い時期の遊びに向いていて、身体がポカポカと温まるから一挙両得(いっきょりょうとく)で、愉快な昔の子供遊びとなったのである。^^

 
                                


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする