水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(75) 湿[しめ]らせる男

2014年08月31日 00時00分00秒 | #小説

 ウワッ! またあの男が来た! と煙(けむ)たがられる男がいた。名を渡部という。この男が傍(そば)に来ると、妙に話が湿(しめ)っぽくなり、場がお通夜になるのだった。かといって、この男が陰気で嫌な男なのかといえばそうでもなく、逆に能天気な陽気さが溢(あふ)れるいい男だったのである。では、どうして陰気になるのか? という疑問が湧くのだが、実際にあった具体例をVTRでご覧になり、理解していただきたいと思う。
 ここは、とある公園である。大型連休の快晴の早朝、ジョギングに汗する人、早朝の散歩をする人、犬を連れて歩く人と、まあそれぞれ人々は動いていた。木々の鮮やかな新緑と新鮮な空気・・梢(こずえ)から聞こえる小鳥達の囀(さえず)りと、辺(あた)りは自然を満喫(まんきつ)するには至れり尽くせりの好条件だった。
「やあ! 石垣さんじゃありませんか!」
 ジョギングをしてい渡部が急に走るのをやめ、早朝の散歩を楽しむ石垣に近づいた。近づかれた石垣は躊躇(ちゅうちょ)したように戸惑(とまど)ったが、時すでに遅し! である。渡部に見つかった以上、陰気になるのは、まず覚悟しなければならなかった。しかも、出会ったタイミングが悪い。連休半ば、今日はいい日にするぞ! と意気込んで散歩に出た早朝である。石垣の家族は全員が温泉旅行に出かけ、作家業の石垣が一人、とり残され、雑誌社に依頼された原稿でショボく家に籠っていた。僅(わず)かに世間と触れられる時間を石垣は貴重に思い、大切にしていた。そして愛犬のコロを連れて散歩に出た矢先、渡部に呼び止められたという寸法だ。
「これは、渡部さん…」
「早朝のお散歩ですか?」
「ええ、まあ…」
「ははは…それは結構なことです。そういや、この辺りでした」
「はあ?」
 唐突(とうとつ)な渡部の言葉に、石垣は理解できず訊(き)き返していた。
「いや、なに…。つい先だって、この辺りで倒れられてお亡くなりになったんですよ」
「誰がです?」
「わたしのジョギング仲間でした…」
 場が急に陰気で湿っぽくなった。
「そうでしたか…。それはお悪いことが…」
「いや、気にせんで下さい。ははは、忘れて忘れて! じゃあ!」
 渡部は笑顔で軽くお辞儀すると、ジョギングを再開して走り去った。あとに残された石垣は陰鬱(いんうつ)に湿ったままである。今日はいい日にするぞ! と出た心意気はすっかり消え去り、お通夜のような湿っぽさが石垣の周(まわ)りを取り巻いていた。
「コロ! 行くぞっ!」
 石垣はコロのリールを引っぱると歩き始めた。そして石垣は、面白くもないのにハッハッハッ…と笑って陰気さを振り払おうとした。その異様な笑い声に、辺りの人々は驚いて一斉(いっせい)に振り向き、石垣を見た。場がすっかり湿っぽくなった。

                                 THE END


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短編小説集(74) 回転木馬

2014年08月30日 00時00分00秒 | #小説

 子供の日は混むことが予想されていたから、というよりは、大型連休もそろそろ終わりに近づいていたという理由で、益川は遊園地でなんとか子供達のご機嫌を伺(うかが)おう・・と単純に考えた。非常にずるい考えなのだが、仕事のことを考えれば、家族への生活責任の一環(いっかん)なのだから…と、内心で勝手な口実をつけて遊園地へ出かけた。幸い、最近、ローンで新築した一戸建ての近くにその遊園地はあった。とはいえ、なんとも貧相なその遊園地は、幾つかの遊具ゾーンはあるものの、世間一般から見れば、とても遊園地などと呼べる代物(しろもの)ではなかった。ただ一つ、回転木馬の遊具だけは何故(なぜ)か人気があった。その理由は運営会社にも分からなかった。
 益川は子供三人を連れ、その回転木馬に乗ることにした。チケットを買い、先に子供を木馬に乗せて安全ベルトを装着させた。そしてそのあと、益川は木馬に跨(またが)った。しばらくすると、木馬は円周を描いてゆっくりと回転し始めた。まあ、こんなものだろう…と益川は優雅に子供達のはしゃぐ様子を見ながら回っていた。少し下の遊具外では、妻が笑顔で見ていた。次第に木馬の回転が速まったときだった。異変が突然、益川を襲った。周囲の視界が一瞬、霧に閉ざされ、次の瞬間、霧が晴れると木馬に乗っている他の人影が全(すべ)て消え去ったのである。いや、消え去った人影はそれだけではなかった。遊園地にいた入場者や係員の姿はことごとく益川の視界から消え去ったのである。益川は唖然(あぜん)として、ただ乗り続けていた。自分だけがただ一人木馬に跨って回転しているのだ。益川は冷静になろうと考えた。これは夢かもしれん…。いや、疲れのせいで目が霞(かす)んでいるのだろうか…と思った。木馬の取っ手を握る益川の感覚は確かにあった。やがて回転木馬の速度は落ち、停止した。しかし、乗っていた子供達と見ていた妻、その他の人影は誰もいなかった。益川は怖くなって木馬から飛び降りた。益川がしばらく人影を探してウロウロ歩いていると、どこからか賑(にぎ)やかな音が聞こえてきた。益川が耳を欹(そばだ)てると、その音は人々がざわつく騒音に思えた。益川は音がする方向へ近づいていった。やがて音は大きくなってきた。益川は辺(あた)りを見回した。すると、一台のテレビモニターが視界に入った。益川は走ってそのモニターへ近づいた。音はやはり人々がざわつく騒音だった。益川は食い入るように画面を見つめた。なんと! そこに映っていたのは回転木馬に乗った子供たちと自分だった。他の人々の姿もごく普通に映っていた。妻ももちろん、その中にいた。益川はふたたび、回転木馬の方へ走った。だが、回転木馬は止まったままで、やはり誰も存在しなかった。益川は諦(あきら)めたように木馬へ跨った。すると、回転木馬はゆっくりと回転し始めた。そして次第に木馬の回転が速まったときだった。異変がふたたび、益川を襲った。周囲の視界が一瞬、霧に閉ざされ、次の瞬間、霧が晴れると賑わう人々の姿が元のように現れたのである。もちろん、三人の子供や妻の姿もあった。益川はホッ! と、胸を撫で下ろした。その謎(なぞ)は未(いま)だに解き明かされていない。

                              THE END


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短編小説集(73) お金は知っていた

2014年08月29日 00時00分00秒 | #小説

 工場の旋盤前である。工員の甘煮(あまに)は手の動かし方が悪い! と、今日も先輩工員の薄味(うすあじ)に叱(しか)られていた。よく毎日、これだけ怒れるなぁ~と、つくづく働くのが嫌になるほどの怒られようだった。だが、甘煮はグツグツと薄味に嫌味(いやみ)で煮られても辛抱して耐え忍んだ。そんな甘煮だったが、工場から貰(もら)った給料はコツコツと蓄(たくわ)えていた。蓄えられたお金は集合して話し合っていた。甘煮が金融機関に預貯金する前、彼のお金達が送別会を兼ねて開催する[お疲れ会]と呼ばれる会議だった。
『いやぁ~、先月も怒られてたよ、ご主人』
「君は、今月、加わったお金だったね?」
「はい! 新入りのお金です。皆さん、よろしく!」
「と言われても、明日は預けられるからお別れなんだよ、実は…」
 先輩のお金は加わったお金にそう囁(ささや)いた。
「そうでした…。でも、いずれまた、このいい人の元へ集まりましょう」
「そうだな、そうしよう! なんといってもこの人は俺を呼ぶのに怒られてたし、汗をタラタラと掻(か)いていくれたからな。なんか、離れ辛(づら)い…」
「というか、離れたくないよな!」
「そうそう!」
「じゃあ、いずれまた、集まってこの人のために尽くそうぜ!」
 オォ~ッ! と人間には聞こえない掛け声が響き、甘煮のお疲れ会はお札(さつ)や貨幣で大いに盛り上がっていた。
 一方、こちらは工場から少し離れたところにある宝くじ売り場である。散々、買って貢(みつ)いだ挙句、やっと1等の前後賞¥200万を手にした塩辛(しおから)がお金を懐(ふところ)へ入れ、歩いていた。家へ戻(もど)った塩辛は北叟笑(ほくそえ)んで札束を見つめ、手金庫へと入れた。しばらくして、彼がいなくなった途端、手金庫のお金達はボソボソと呟(つぶや)き始めた。塩辛からの[逃避会]が彼の手金庫の中で、さっそく開かれたのである。
「運が悪い! こいつは働かずに我々を手に入れた!」
「そうだ! 早く、この男から離れよう!」
 塩辛の逃避会のお札達は満場一致で彼からの逃避を決議した。
 三年後、金融機関を出た甘煮の手元にお疲れ会の連中が再結していた。彼のために働こうと戻ってきたお金達である。甘煮は自分のためではなく、家族のためのお金を預貯金していたのだった。一方、塩辛の手元には、すでに宝くじで得たお金達は残っていなかった。お金達は全(すべ)て彼から逃避したのである。塩辛は遊び金で彼等をすべて使い果たしたのだった。手にした人々を、お金は知っていた。

                             THE END


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短編小説集(72) 接着

2014年08月28日 00時00分00秒 | #小説

 世間は大型連休である。川山は連休に旅に出ることは、まずなかった。川山がそうするようになったのには、過去の痛い経験があった。遠くまで高速で出かけたのだが、行きの渋滞で半日を空(むな)しくしてしまったのである。当然、旅館にはその日に着けず、キャンセルせざるを得なかった。狂った歯車はすべてを左右する。結果、このときの旅は散々なものとなった。そんなことで、川山は連休は出かけず、日曜大工をすることにしていた。今では、それがある種の楽しみとなっていた。
 今日も川山は日曜大工をしていた。半ば目的のモノが出来上ったとき突然、ポキッ! と鉄芯が折れた。中心となる肝心の棒で、川山は弱ったぞ…と、思案に暮れた。だが、刻々と時間は過ぎていく。川山は金属用の瞬間接着剤を出し、折れた鉄芯を接着した。そして、作業を再開した。制作は順調に進みそうだったが、しばらくしたとき、鉄芯は無惨にも分断して折れてしまった。あんぐりした顔で川山はその折れた鉄芯を見た。だが、見ていても仕方がない・・と川山はハンダゴテを出し、ハンダづけしようと試みた。これで二度目である。しばらくすると接着が完成した。川山は、ヨッシャ! とガッツポーズを決め、作業を再開した。工作は今度こそ順調に行くやに思えた。ところがしばらく進んだとき、ふたたび心棒がポロッ! と折れ、工作物は大きく歪(ゆが)んだ。川山はフゥ~っと深い溜め息をついた。予定ではそろそろ仕上げにかかる時間が近づいていた。弱ったぞ…と、川山は、ふたたび思案に暮れたが、どうしようもない。スポーツドリンクで喉(のど)を潤(うるお)し、折れた鉄芯を手に持った。
「よしっ! やるか…」
 俄(にわ)か仕込みではあったが、川山は溶接技術を習得していた。最初から、そうすればよかったな…と、川山はそんな自分に苦笑した。数十分後、工作物は無事、完成していた。予定よりは数時間遅れたが、最後までやり通し完成できたことに川山は満足した。完成した工作物を見ながら川山は即席麺を啜(すす)った。そのとき、ふと川山の心中にある想いが浮かんだ。マンションの隣(となり)に住む若い夫婦は、去年、離婚した。新婚四年足らずだった。川山は接着剤だな…と思った。床下の階下に住む中年夫婦は十五年足らずで離婚した。川山はハンダだな…と思った。天井上の階に住む老夫婦は四十五年で死別した。川山は溶接だな…と思った。

                             THE END


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短編小説集(71) 消えた棒

2014年08月27日 00時00分00秒 | #小説

 はて? と、神はお考えになった。下界では一人の男が何やら失(な)くしたらしく、うろうろと辺(あた)りを探し歩いていた。アチラ・・コチラ・・ソチラ・・やはり、ない…。男は思案に暮れた末、諦(あきら)めたらしく、どっしりと床(ゆか)へ座り込んだ。その間(かん)、およそ半時間だった。そして、しばらくすると、男はやはり諦め切れなかったのか、ふたたび探し始めた。しかし、男が探す目的の物は、ついに見つからなかった。二時間ばかりが経過し、辺りには夕闇が迫っていた。神は天界からその様子の一部始終をご覧になっておられた。そして、ついに見つからず途方に暮れるその男を少し哀れに思(おぼ)し召(め)された。男は何やら呟(つぶや)き始めた。
『あやつ、なにやら口を動かして言っておるな。どれどれ…』
 神はお手を神耳(しんじ)へとお近づけになり、聞き耳をお立てになった。千里眼(せんりがん)とはよく使われる人間の言葉だが、この場合は神の千里耳(せんりじ)である。
『なになに…、フムフム』
 男が呟いていたのは、こうである。
「はぁ~、どこを探してもない。この前は他へ置き忘れていたから、すぐ見つかったんだが…。今回は、どこにもない?」
『ほっほっほっ…なるほどのう、馬鹿なやつだ。あそこにあるではないか。少し離れてはおるがのう。ほ~っほっほっほっ…』
 神は瞬間、お分かりになったのです。その棒がどこにあるかを…。
『人間とは仕方がない生き者ものじゃて…。ソレッ!!』
 神の御手(みて)が動くや、全天に閃光(せんこう)が走り、すさまじい雷鳴が轟(とどろ)きました。
 下界では男が不思議そうに空を見上げております。それもそのはずで、雲など、ほんのひと握りもなく、閃光が走り雷鳴が轟くはずがなかったのだ。その男が見つけられなかった棒は神によって命を吹き込まれ、俄(にわ)かに生きるがごとく動き、元の位置へ戻ったのだった。それは、男がその棒を買い求める前、存在していた店だった。
「まあ、いいか…。明日(あした)、買うとしよう…」
 男は溜め息を一つ吐(は)き、夕飯の準備を始めた。
 その翌日、その棒は店で男によって、ふたたび買われ、男の家へと無事、戻った。棒は男が置いた元の場所に戻ったのである。ただ、男の心中には棒を失って買ったという気持が残った。新しかったが、その棒は何年か前に男が買い求めた棒であった。
『ほっほっほっ…まあ、よかろうて…』
 神は、ニタリと笑顔を見せられ、虚空(こくう)の彼方(かなた)へ姿をおをお隠(かく)しになった。

                             THE END


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短編小説集(70) 一石ゼロ鳥

2014年08月26日 00時00分00秒 | #小説

 何をやっても上手(うま)くいかない不器用な男がいた。つい先日など、ことのついでにと庭木の散水をしてホースを切るミスを犯した。どうすればホースをスッパリ切れるのか? と、誰もが訊(き)きたいような話だが、この男の場合、いとも簡単にそれをやってのけた。ある種、凡ミスの達人ともいえる不器用さだった。しかも、それだけではない。この男がホースを切った庭木は見るも不格好な枝ぶりで、剪定? と首が捻(ひね)れるお粗末さだった。これでは一石二鳥どころか、一石一鳥にもならない一石ゼロ鳥な訳である。まあ、他人がどうこう言う話ではない上に、有名作家ということで家人は何も言わなかったから、そのまま捨て置かれた。家人はすでに何を言っても無駄と諦(あきら)めた節(ふし)があった。
 こんな男が世の中で役に立っているのか? といえば、それがどうして、ほどよい塩梅(あんばい)に役立っていた。まあ、一日中、座ってモノを書くだけの作家だから、役に立っているのかは疑わしかったが、それなりに彼の本は売れていて、印税も困らぬ程度に入っていたから役立っていたのだろう。彼の顔は世間に少なからず知られていたから、この不器用さはカバーされていた。困っていたのは出版業界などの彼の原稿関係だった。
 書斎に置かれた電話が鳴り、男は受話器を取り、対応していた。
「お忘れですか?」
「そうそう…、この前の依頼だったよね」
「ええ! そうですよ! 先生は忘れぬようにとメモっておられました!」
「それなんだがね…。うっかり原稿の書き損じた紙と一緒にゴミへ捨てたようなんだ」
「あの、ご依頼をお受けになったご記憶は?」
「ははは…。記憶できるくらいなら、私がメモるかね? 君」
 男は逆に編集者を切り返した。
「はあ、それはまあ…。ということは、手つかずで…」
「ああ、まあね…」
「まあじゃありませんよ、先生! 私が編集長に怒られます!」
 編集者は半泣きの声で訴(うった)えた。
「分かった分かった。そう言うなよ、君。いつまでだった、ソレ?」
「来週、火曜です!」
「よし、分かった。あさって取りに来るだろ? その原稿と一石二鳥で渡すよ」
「大丈夫ですか!?」
 100%疑った編集者の声がした。男は編集者に、まったく信用されていなかった。
「大丈夫、大丈夫!」
「本当に大丈夫ですか!?」
 信用できません! と口から出かけた言葉を必死に止(とど)め、編集者はくり返した。明らかに不信を露(あらわ)にした確認だった。
「ああ…。じゃあ、切るよ」
 男は編集者の諄(くど)さに少しムッとして電話を切った。
 来週の火曜は、瞬く間に巡った。表戸がガラッ! と開き、家人に案内された編集者が馴(な)れたように書斎へ入ってきた。
「先生、原稿を取りに来ました。お願いします!」
「えっ!? 今日だった?」
 編集者は言葉を失い、ガックリと項垂(うなだ)れた。
 男は原稿を依頼されたことすら忘れていた。一石ゼロ鳥だった。 

                          THE END


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短編小説集(69) 外来語

2014年08月25日 00時00分00秒 | #小説

 益川は多くの聴衆を前に講演をしていた。
「…で、ありまして、誠に素晴らしい人物なのであります。私は彼を深く尊敬し、リスペクトいたしております!」
 聴衆の一人、桃葉はニタリ! と笑い、蚊の鳴くような小声で呟(つぶや)いた。
『あの人、分かってねえな…。尊敬してリスペクトする訳か…』
 聞こえたのか、桃葉の左隣りに座っていた柏木が小笑いした。
『フフッ、私もそう思いますよ。ダブってますよね』
『ええ、重複してダブってますね』
 二人は大きく笑いそうになり、かろうじて小笑いで凌(しの)いだ。それでも静寂の会場だからか、後ろ席から咳払(せきばら)いがした。二人は押し黙った。そして、数十秒が経過した。益川は自分の演説に酔ってきたのか、次第に声高(こわだか)の絶叫調になっていた。
『フフッ、後ほど…』
『はい…』
 意気投合した桃葉と柏木は、軽く挨拶を交わした。そのとき、桃葉の右隣りに座っていた梅川が呟いた。
『私も仲間に入れて下さいよ…』
 二人は無言で梅川を見て会釈した。
 益川の講演が終わり、彼は万雷の拍手を浴びて退席した。三人は笑いながら野次的な拍手を散漫(さんまん)に叩(たた)いた。多くの聴衆は乱れながら立ち、退席を始めた。三人は座ったままだった。
「桃葉と申します。いやぁ~、参りましよ、あの方には」
 桃葉が話の先陣を切った。
「桃葉さん? 変わった苗字ですな。私、柏木です」
「梅川です」
「いや、どうも。大物ともなれば、間違いなど屁とも思わない。ああ、なりたいものです…」
 桃葉は左右に座る柏木と梅川を交互に見ながら存念(ぞんねん)を吐いた。
「ははは…、そのとおり! 尊敬してリスペクトすりゃ、かなりの尊敬です。最近、こういうのが多いんです。私、国語教師をやってますが、つくづく日本語の乱れが嫌になってます。若者言葉もさりながら、意味なく使う外来語が増えていけません」
 柏木は本筋を披歴(ひれき)した。
「私は魚河岸で働いてる根っからの魚屋ですがね。なんか最近、魚河岸から出ると話すのが怖いんですよ。猫も杓子(しゃくし)も外来語入れますから、こちとら、分かりゃしない!」
 梅川が怒り口調(くちょう)で愚痴った。
「ははは…、まあまあ。そろそろ、立ちましょうか?」
 多くの聴衆も、ある程度出て通路は空いてきていた。その状況を確認し、桃葉が二人に言った。
「そうですね…」
 柏木が同意して立ち、梅川も続いた。
「どうです?! このあと、すこしお茶でも飲みながら話すっていうのは…。こうしてお会いしたのも何かの縁です」
 桃葉が二人を誘った。
「いいですね!」
 柏木は、すぐ乗った。
「すぐ近くに茶店(さてん)があります。ツリーだったかな…確か、そんな茶店ですが、どうです?」
 梅川は、よくこの辺(あた)りに出没するのか、地の利に明るかった。
「あっ! そうですか。じゃあ…」
 話はすぐに纏(まと)まり、三人は会場をあとにした。
 三十分後、ツリーの店内では笑声が渦巻き、三人は意気投合していた。
「ダメダメ! 尊敬してリスペクトしちゃ~」
「ははは…。まだ、なんか言われてましたよ。最後の方で」
「高齢者は介護だけじゃなくケアしなくてはなりません…でしたか?」
「介護してケアですか? ははは…、こりゃ、至れり尽くせりだ!」
 三人は大笑いした。しばらく話し、三人は外へ出た。辺りに暗闇(くらやみ)が迫っていた。三人の姿が小さくなった頃、店の名を示す照明が灯(とも)った。
━ ツリーという木 ━ 

                              THE END


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短編小説集(68) 蒟蒻[こんにゃく]

2014年08月24日 00時00分00秒 | #小説

 柔崎(やわさき)は蒟蒻(こんにゃく)のような高校生だ。苗字(みょうじ)からして柔らかそうな男子生徒である。彼はすぐフニャリと曲がる自然体で生き続けていた。恰(あたか)も、裏も表もない蒟蒻そのものだった。ついた渾名(あだな)はそのものズバリ、コンニャクである。
「おい! 2組のコンニャクだ。ちょうどいいや。ムシャクシャしていたとこだし、愚痴を聞いてもらおうぜ」
「そうだな…」
 イジメではない。柔崎は[なんでも聞き係]になっていた。男子、女子生徒を問わず柔崎のところへ来て、愚痴をブツブツと吐いてはスカッ! として帰っていった。いつの間にか、その評判は全校にも及び、学年を問わず、彼のところへ来ては愚痴るようになっていった。また、その時々の柔崎の対応が上手(うま)く、生徒達の愚痴を聞くだけでなく、いい相談相手として解決策や解消策も示したから尚更(なおさら)だった。学校はイジメの逆現象として、見て見ぬ振りをした。というよりか、校長は密かに見守る方針を取った。彼はすでに多くの先生を凌(しの)ぎ、学校の有名人であった。そして今日も、同学年で1組の男子が二名、柔崎に目をつけ、近寄ろうとしていた。
「ちょっとさぁ~、話があるんだけど時間、あるかなぁ~」
「ああ、すみませんねぇ~。放課後の5時10分からにしてもらえませんかぁ~。もうすぐ予約の方が来られるんで…」
「ふ~ん、そうなんだ…。じゃあ、それで頼むよ!」
「はい、分かりました」
 柔崎は予約ノートへ鉛筆で記入した。男子生徒二名は立ち去ろうとした。
「あっ! すみません! もう一度、こちら向いて下さい」
 背に声を受け、ギクッ! と立ち止った男子生徒二名は振り向いた。
「え~~と。竹川君に松海君ですね。すみません、お手間を取らせました。では、のちほど…」
 この高校には名札必携の古き伝統の校則があった。柔崎は二人の名札を見て素早くノートへメモし、足早に去った。逆に取り残された二人は茫然(ぼうぜん)と柔崎を見送る破目になった。
「お待たせしました! どういった内容でしょう?」
 校舎裏である。すでに女子生徒が待機していた。その生徒は、すぐにペチャクチャと愚痴りだした。
「ああ~そうでしたか。それは、いけない! 向田さん、それは、あなたの方が正しいですよ、ぜったい! 無視してやりなさい、無視、無視!」
「ありがとう、コンニャク。いえ、柔崎君」
「まあ、僕もそれとなく手は打っときますが…」
「どうするつもり?」
「それとなく、そうしないように言い含めますよ」
「そう、お願いするわね。スカッ! としたわ」
 向田は軽く礼をすると去っていった。
「これで、一つ片づいたと…。あっ! いけねぇや。授業が始まる!」
 柔崎はメモし終えたノートを手に、教室へと急いだ。

                        THE END


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短編小説集(67) よく効きます!

2014年08月23日 00時00分00秒 | #小説

 宝木は病院へ行こうか、どうか迷っていた。というのは、悪いとは感じないし、具合が悪いというほどの体調でもなかったからだ。妻に夜な夜な攻められ、宝木は体力的にギブアップ寸前だった。しかし、かろうじて夜のお勤めを果たし、仕事のお勤めに朝、疲れ顔で家を出ていたのだ。妻は益々、艶(つや)っぽく綺麗になっていく。それに反比例するかのように、宝木は貧相になる一方だった。これ以上、痩せたくはないのだ。勤務の予定はその日に限って空(あ)いていて、昼から明日のプレゼンテーション準備だけだった。
 気づけば、病院前のエントランスに宝木は立っていた。そして、いつの間にか受付で手続きを済ませ、待合室の長椅子にいた。
『宝木さん、どうぞ…』
 マイク音が響き、宝木は診察室へ入った。
「どうされました?」
 医者が馴(な)れた静かな声で言った。
「… どこも悪くはないんですがね」
「えっ?」
 医者は宝木の言う意味が分からず、怪訝(けげん)な表情をした。
「調子はいかがですか?」
 医者は気を取り直して、また訊(たず)ねた。
「はあ、お蔭(かげ)さまで…」
「はあ?」
 医者は、やはり意味が分からず途方に暮れた。
「ちょっと、前を開けて下さい」
 医者は聴診器を耳に付けながら、医者のパターンにしようと試みた。それには逆らわらず、宝木は素直に胸をはだけた。
「大きく吸って…。はい、吐いて…」
 医者は聴診器を胸へ当て、上から目線の言い方で呼吸音を確かめた。
「…大丈夫ですね。どこか、調子悪いんですか?」
 医者は、訝(いぶか)しそうに宝木に訊ねた。
「いや、どうも精力が…」
「はあ?」
「ナニですよ。ははは、先生…」
「あっ! ああ! ああ! そっちでしたか。ははは…」
 やっと意味を理解したのか、医者は笑って声を和(やわ)らげた。
「いいのが、ありますよ。よく効きます! お出ししておきましょう」
「アレですか?」
 宝木は、てっきりバイアグラだ…と思い、ニヤけながら暈(ぼか)して訊(き)いた。
「アレじゃないんですがね。…まあ、よく似たようなものです。よく効きます!」
「そうなんですか?」
 宝木は身を乗り出した。
「間違いありません。その新薬、現に私が服用してるんですから。はっはっはっ…!」
 医者は大笑いした。
「ははは…。効きそうですね?」
 釣られて宝木も笑った。
「ええ。間違いなく、よく効きます!」
 医者が太鼓判を押した。その瞬間、不思議にも宝木は、ムラムラと身体に力が湧(わ)くのを覚えた。

                             THE END


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短編小説集(66) 賞

2014年08月22日 00時00分00秒 | #小説

 美術展覧会場内のホールである。受賞した者達が順々に表彰されていた。葉桜もその中の一人で、少し前、観客席の前列から上がり、表彰状とトロフィーを受け取ったところだった。この手のものは貰(もら)って悪い気がしない…と、トロフィーを眺(なが)めながら葉桜は壇上で北叟笑(ほくそえ)んだ。葉桜が貰ったのは努力賞である。あとで懇親会…と続く会の構成上、誰彼(だれかれ)となく賞を与えようという開催者側の意向で受賞となったのだ。だから、招待された者で受賞していない者は皆無(かいむ)だった・・ということになる。
「お疲れさまでした…。なかなかの力作ですね!」
「はあ? …ええ、まあ」
 懇親会が開かれ、グラス片手に葉桜は紳士風の知らない人物からそう言われ、ニタリ! とした。どうも同じ受賞者の感じがした。
「あなたは何賞を?」
 紳士風の人物は唐突(とうとつ)に訊(たず)ねた。
「ははは…、まあ」
 努力賞を…とも言えず、葉桜は笑って濁(にご)した。よく考えれば、オリンピックで金メダルをとった訳でもなく、ただ描いて出品した一枚の絵なのだから、どうってことはないのだ。そこらのゴミと一緒にされて捨てられても決して不思議ではなかった。だから、努力賞とトロフィーを頂戴できただけでも御(おん)の字で、葉桜は少しずつ恥ずかしくなっていた。懇親会にいることすら不釣り合いに思えた。
「私は技巧賞でしたよ」
「ほう! それは素晴らしいですね!」
 少し驚いたふりをして褒(ほ)めた葉桜だったが、内心では、『まあ全員が貰えるんだから、大したことはないさ…』と、冷(さ)めて思っていた。
 美術展覧会は会員制で、会の維持のため、年会費を出資する仕組みになっていた。額自体はそれほど高額ではなかったが、それでも、懇親会ぐらいでは元は取れんぞ…と、葉桜は、さもしくも思った。
 数日後、葉桜の職場に一報が届いた。美術展覧会からの電話だった。
「おめでとうございます! あなたの絵が世界の○○賞受賞作に決定いたしましたっ!」
「えっ! 本当ですかっ!!」
「はい! ただ今、大賞決定の報がっ!」
 電話の声は興奮ぎみに震えていた。葉桜もその声に促(うなが)されるように興奮した。
「そうですかっ! 有難うございましたぁ~! ところで、○○賞って、なんですか?!」
「はあ?」
 葉桜は、その賞を知らなかった。

                                THE END


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