水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(79)猫繁盛 <再掲>

2024年10月31日 00時00分00秒 | #小説

 江戸の半ば、大阪は船場の道修町(どしょうまち)界隈のお話でございます。道修町と申しますと、これはもう薬問屋が立ち並ぶ薬一色(くすりいっしょく)の町でございました。と、いいましても、私もこの目で見た訳ではございませんで、資料館なるものの歴史的な知識をお借りいたしましてお話を進めさせていただこうと、かように思う次第でございます。
 道修町のとある薬問屋の丁稚(でっち)に留吉(とめきち)と申す年の頃は十(とお)を出たての小僧がおりました。なかなか愛想のよい知己(ちき)に富んだ丁稚でございまして、店の者からは留吉(とめきっ)とんと、親しみを込めて呼ばれていたそうにございます。知己に富むとは早い話、頭よし・・ということでございますかな。
 あるとき、この留吉とん、番頭の与助から頼まれました薬を小売の店へと届けに参ります。その道半ばのこと、前方の道脇に一匹の猫が立ち止って座り、じぃ~~っと留吉とんを見ております。留吉とん、けったいな猫やなぁ~…と思いながら、その猫の前を横切ります。するとどうしたことか、その猫は立ち上がり、留吉とんのあとを追いかけようといたします。それに気づいた留吉とん、「シィーシィーあっちへ行け!」と、追い払いますが、猫はいっこうに引き下がりません。根負けした留吉とん、まあ、仕方ないか…と、付いてくる猫のするに任せ、先を急ぎます。しばらく歩きまして、ようやく小売の店へ着きました留吉とん、店の暖簾(のれん)を潜(くぐ)ろうと、ひと呼吸、整えます。
「おはようさんでございます! お届けものを、もて参じました!」
 留吉とん、暖簾越しに、大声を出します。そのときでございます! 猫は何を思うたか、ひと声、ミャ~~~! と、鳴きますというと、留吉とんの着物の裾(すそ)を咥(くわ)え、中へ入らせないよう、押しとどめます。その様子を店の手代が内より見ておりまして、慌(あわ)てて飛び出て参ります。手代は猫を足蹴(あしげ)りにしますというと、留吉とんから追い払います。猫は少し遠退いて避(よ)けはいたしますが、それでもその店から離れようとはいたしません。座り込みますというと、またひと声、ミャ~~~! と、鳴きます。
「けったいな猫やでぇ~。ごくろうさんやったな。さあ、中へ…」
 その猫を横目に見ながら、手代は留吉とんを中へ招き入れます。留吉とん、訳が分からず、首を捻(ひね)りながらも中へと入ります。そのときは、それだけのことで済んだのでございました。
 さて、日が改まりまして、また同じようなことが、別の店へ届けに行った先でも起こります。そのときの猫は、付いては来ましたが、店の前へ座りますというと、鳴きはしまへんで、そのまま静かにしておりました。そういうことが度々(たびたび)、ありまして、一年ばかりが過ぎ去った訳でございます。
 そうこうしたある日のこと、留吉とん、あることに思い当ります。
「鳴いた店は年が越せなんだ…。そやのに、おとなしゅうしとった店は繁盛しとる…」
 留吉とん、そう呟(つぶや)きながらその猫をじぃ~っと見ます。すると、その猫の額(ひたい)の真中に白い黒子(ほくろ)が一つ、浮かび出ておるではございませんか。茶色の猫でございますから、なんとも不思議な話で、おやっ?! となりますわな。それに、黒子というものは黒いから黒子でございまして、白い黒子などというものは、まずないのが道理でございます。留吉とん、このことを番頭の与助に話します。与助は主人の嘉平に話します。嘉平は大層(たいそう)、驚きまして、留吉とんから事(こと)の仔細(しさい)を聞き出します。
「そないな不思議なことがあったんかいな…。そら、ここの神さんの使いやで! それに、違いない!」
 大層、信心深い嘉平は、店でその猫を飼うことにいたしました。それ以降、留吉とんの薬問屋は猫のお伺いのお蔭(かげ)で大繁盛し続けたそうにございます。
 え~~、古典風新作・猫繁盛の一席にてご機嫌を伺わせていただきました。おあとが、よろしいようで…。

                THE END


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短編小説集(78)国境 <再掲>

2024年10月30日 00時00分00秒 | #小説

 ━ A国とB国は、とある諸島の領有権を主張して争っていた。端的に言えば、国境争いである。A国は長年、領有権は自国のものだとしながらも曖昧(あいまい)にしてきた諸島の国有化を推(お)し進め、全世界へ宣言してしまったのである。のちになって関係者が陰で囁(ささや)いたのは、国有化宣言は勇み足だったのではないか・・ということだった。さあさあ、この宣言で業(ごう)を煮やしたのはB国である。その対抗策として、たびたび諸島周辺へ巡視の艦船を派遣(はけん)し、A国を威嚇(いかく)した。A国も負けじと、巡視艇でB国の艦船へ退去命令を出した。これでは埒(らち)が明かないと、B国は新たな策として領海識別圏という主張を国際社会にし、その諸島を自国の識別圏に組み入れた。事実上の国有化宣言だった。その結果、その諸島はA、B二国の国境が重複する島々となってしまったのである。
 その頃、すでに世界情勢は大きく変化し、国際連合は破綻(はたん)していた。様々な国際紛争を収束できなかったことに端(たん)を発したのである。その後の世界組織として、地球連合[地連]が創設された。地連本部は陸上にはなく、海面に浮かぶ大型空母の上であった。地連は、この問題に対し果敢(かかん)に攻めの姿勢で取り組もうとした。まず、一方的にその島の領有権をA、B両国から剥奪(はくだつ)し、地連領としたのである。そして、その島に属する権益に関しては、海水面と海底面に分割し、海水面の漁業権に関してはA、B両国に自由漁獲権を認め、海底面の権益に関してはA、B両国の収益を折半にする・・という裁定案を提示したのである。裁定案とはいえ、これにはある種の説得力があった。これにより、A、B両国の間で長年、もめ続けた領有権問題は解決を見た。地連が設立された究極の目標は、地球上から国境を失(な)くし、将来的に地球上に生息するすべての人類を地球星人に統一しようという壮大なスケールの目標であった。そこが、過去に埋没した国際連盟、国際連合とは大きく異なった。地連には本部となる平和空母が存在し、世界の各国代表が乗り込んでいた。その艦内では国境の解消問題などの国際的な諸問題が真摯に討論、研究されていた。そしてその具体的解決案の策定化作業も進められていた。策定されれば、すぐ実行された。地球星という名の下(もと)に、拒否権などというまやかしは存在しなかった。語られる言葉は、国境を越え、新たに完成を見た地球語だった。━

 アジアの領有権を主題とした国境問題の座談会は疾(と)うに終わり、テレビ画面は白黒点が混在して瞬く、深夜となっていた。男は夢を見ていたのか…と思った。窓ガラスの外は雪が音もなく降っていた。男は急に寒さを覚え、熱いココアを啜(すす)った。いい夢を見た…と思った。

                 THE END


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短編小説集(77)しょうもな… <再掲>

2024年10月29日 00時00分00秒 | #小説

 高速道の車は渋滞していた。大阪出身の鴻川(ごうのかわ)は諦(あきら)めたようにハンドルを放し、座椅子に身体を預けた。
「しょうもな…」
 鴻川は、ぽつりとそう呟(つぶや)いた。前も車、後ろを見ても車・・鴻川の計算では、こんなはずではなかった。今頃は露天風呂に浸(つ)かり、沈みゆく夕陽を眺(なが)めながら、湯舟に浮かせた盆の上の熱燗(あつかん)をグビッ! と一杯、やってるところだったのである。それが、味も素(そ)っ気(け)もない車列を見る破目に陥(おちい)っていた。これなら、もうひとつ考えていた前日の夜、出るべきだった…と、鴻川は思った。が、時すでに遅し・・である。車を放(ほう)って外へ脱出しないかぎり、動きようがなかった。点(つ)けたカーラジオの交通情報が、この周辺は30km渋滞だと言っている。
「しょうもな…」
 鴻川は、ふたたびそう呟いた。言いながら、鴻川がふと、前方を見たとき、突然、前の車列が消えていた。ば、馬鹿な! と、鴻川は目を擦(こす)った。だが確かに、前に続いていた車列は消え去り、前方の道に障害物は何もなかった。驚いた鴻川は戸惑(とまど)いながら後ろを振り返った。すると、後続車の車列も一台残らず消えているではないか。鴻川は有り得ない現実に手指で反対の手を抓(つね)った。感覚があり、痛かった。とすれば、これは現実なんだ…と、少し鴻川は怖(こわ)くなってきた。そうはいっても、日は傾き、日没が近づいていた。鴻川は、なるとままよ! と思い切り、アクセルを吹かすと車を発進させた。渋滞なら当然、前に車があるのだから、追突して偉(えら)いことになる。だが、車はスムーズに走行を開始して加速していった。半時間ばかりで高速を下(お)り、あとは夕陽を見ながら下の道を走った。そして、なんとか予約した一流旅館へと無事着いた。日はとっぷりと暮れていたが、それでも露天風呂に浸かりながら波の音で一杯は飲めた。計画通りではなかったが、まあいいさ…と、鴻川は思った。車中泊では目も開いてられない話だからである。出された美味い料理をホロ酔い気分で賞味し、満腹になった鴻川は、いつしか目を閉じ、ウトウトしかけた。しばらく、いい気分でいると、突然、鋭いクラクションの音がし、鴻川は驚いて目を見開いた。渋滞の車列が進み始めていた。鴻川の前の車はすでに10mばかり前方を走っていた。クラクションの音は鴻川のすぐ後ろの車だった。慌てた鴻川は、エンジンを急いで始動すると車を発進させた。外はすでに薄暗かった。前照灯をあと点けし、しばらく走ったとき、ようやく鴻川は冷静さを取り戻していた。
「しょうもな…」
 鴻川は三度(みたび)、そう呟いた。俺は夢を見ていたんだ…と、鴻川は思った。だがどういう訳か、鴻川の心には旅を終えたような満足感があった。鴻川の車の後部座席に、ないはずの旅館のタオルが一枚、置かれていた。

                THE END


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短編小説集(76)成形 <再掲>

2024年10月28日 00時00分00秒 | #小説

 滝口は、手元が狂い、不調法で割ってしまったコップをどうしようかと思案していた。割れれば捨てて、新しいコップを買うか、或(ある)いは家の代替え品を使えばいい…という、ただそれだけのことなのだが、なぜか捨てきれず、滝口は迷っていた。なんとか元へ戻せぬものか…と滝口は考えた。だがそれは誰が考えも無理な相談で、一度、高熱炉で溶かしてガラスを粘質にし、作り直さねば無理な相談だった。いや、それにしても、元のコップではないだろう…と、滝口には思えた。では、どうするか? と、滝口は巡った。捨てないとすれば、なんとか見られる形に成形しなければならない。ガラス切り用のカッターがあるにはあったが、モノが曲線では、それもままならない。滝口は自動の研磨(けんま)機[サンダー]を取り出して割れた部分を削(けず)り始めた。割れた部分の一番、下の部分を水平にカットして切り口を滑(なめ)らかにすれば、コップは見られる形にはなる…と踏んだのだ。滝口は工作、…いや、成形を開始した。最初は上手(うま)くいった。ところが、ある程度進んだところで、新たな皹(ひび)が入った。こうなれば仕方がない…と、滝口は成形を断念し、新聞紙に包んで燃えないゴミ袋へ捨てた。滝口に達成感が損なわれた空虚な時が流れた。しばらくして、ふと、滝口はもう少し、やってみよう…と思い直した。滝口は一端捨てた新聞紙の塊(かたまり)を拾(ひろ)い出し、中の割れたコップを手にした。
 ふたたび、滝口の成形作業が始まった。滝口の読みは、こうだった。
━ 薄い側壁のガラス面は無理だろう。だが下から1cm程度は、見たところ、幾らかブ厚くなっていた。そこなら研磨しても割れないだろう… ━
 というものだった。で、滝口は実行した。結果は成功だった。サンダーで研磨されながら切断され、手術? いや、成形は無事、成功した。そのあと、サンド・ぺーパーで切断面を滑らかにし、滝口は最終成形し終えたコップを満足げに見遣(みや)った。すでにコップの形状ではなかったが、なんか捨てずに済んだという安堵(あんど)感と達成感が、沸々(ふつふつ)と滝口の心中に湧き起こっていた。
━ 付けダレの器(うつわ)だな… ━
 割れたコップに新たな命が吹き込まれ、新しく生まれ変わった瞬間だった。成形作は記念として、記念用陳列棚に収納された。殿堂入りである。

                 THE END


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短編小説集(75)湿[しめ]らせる男 <再掲>

2024年10月27日 00時00分00秒 | #小説

 ウワッ! またあの男が来た! と煙(けむ)たがられる男がいた。名を渡部という。この男が傍(そば)に来ると、妙に話が湿(しめ)っぽくなり、場がお通夜になるのだった。かといって、この男が陰気で嫌な男なのかといえばそうでもなく、逆に能天気な陽気さが溢(あふ)れるいい男だったのである。では、どうして陰気になるのか? という疑問が湧くのだが、実際にあった具体例をVTRでご覧になり、理解していただきたいと思う。
 ここは、とある公園である。大型連休の快晴の早朝、ジョギングに汗する人、早朝の散歩をする人、犬を連れて歩く人と、まあそれぞれ人々は動いていた。木々の鮮やかな新緑と新鮮な空気・・梢(こずえ)から聞こえる小鳥達の囀(さえず)りと、辺(あた)りは自然を満喫(まんきつ)するには至れり尽くせりの好条件だった。
「やあ! 石垣さんじゃありませんか!」
 ジョギングをしてい渡部が急に走るのをやめ、早朝の散歩を楽しむ石垣に近づいた。近づかれた石垣は躊躇(ちゅうちょ)したように戸惑(とまど)ったが、時すでに遅し! である。渡部に見つかった以上、陰気になるのは、まず覚悟しなければならなかった。しかも、出会ったタイミングが悪い。連休半ば、今日はいい日にするぞ! と意気込んで散歩に出た早朝である。石垣の家族は全員が温泉旅行に出かけ、作家業の石垣が一人、とり残され、雑誌社に依頼された原稿でショボく家に籠っていた。僅(わず)かに世間と触れられる時間を石垣は貴重に思い、大切にしていた。そして愛犬のコロを連れて散歩に出た矢先、渡部に呼び止められたという寸法だ。
「これは、渡部さん…」
「早朝のお散歩ですか?」
「ええ、まあ…」
「ははは…それは結構なことです。そういや、この辺りでした」
「はあ?」
 唐突(とうとつ)な渡部の言葉に、石垣は理解できず訊(き)き返していた。
「いや、なに…。つい先だって、この辺りで倒れられてお亡くなりになったんですよ」
「誰がです?」
「わたしのジョギング仲間でした…」
 場が急に陰気で湿っぽくなった。
「そうでしたか…。それはお悪いことが…」
「いや、気にせんで下さい。ははは、忘れて忘れて! じゃあ!」
 渡部は笑顔で軽くお辞儀すると、ジョギングを再開して走り去った。あとに残された石垣は陰鬱(いんうつ)に湿ったままである。今日はいい日にするぞ! と出た心意気はすっかり消え去り、お通夜のような湿っぽさが石垣の周(まわ)りを取り巻いていた。
「コロ! 行くぞっ!」
 石垣はコロのリールを引っぱると歩き始めた。そして石垣は、面白くもないのにハッハッハッ…と笑って陰気さを振り払おうとした。その異様な笑い声に、辺りの人々は驚いて一斉(いっせい)に振り向き、石垣を見た。場がすっかり湿っぽくなった。

                 THE END


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短編小説集(74)回転木馬<再掲>

2024年10月26日 00時00分00秒 | #小説

 子供の日は混むことが予想されていたから、というよりは、大型連休もそろそろ終わりに近づいていたという理由で、益川は遊園地でなんとか子供達のご機嫌を伺(うかが)おう・・と単純に考えた。非常にずるい考えなのだが、仕事のことを考えれば、家族への生活責任の一環(いっかん)なのだから…と、内心で勝手な口実をつけて遊園地へ出かけた。幸い、最近、ローンで新築した一戸建ての近くにその遊園地はあった。とはいえ、なんとも貧相なその遊園地は、幾つかの遊具ゾーンはあるものの、世間一般から見れば、とても遊園地などと呼べる代物(しろもの)ではなかった。ただ一つ、回転木馬の遊具だけは何故(なぜ)か人気があった。その理由は運営会社にも分からなかった。
 益川は子供三人を連れ、その回転木馬に乗ることにした。チケットを買い、先に子供を木馬に乗せて安全ベルトを装着させた。そしてそのあと、益川は木馬に跨(またが)った。しばらくすると、木馬は円周を描いてゆっくりと回転し始めた。まあ、こんなものだろう…と益川は優雅に子供達のはしゃぐ様子を見ながら回っていた。少し下の遊具外では、妻が笑顔で見ていた。次第に木馬の回転が速まったときだった。異変が突然、益川を襲った。周囲の視界が一瞬、霧に閉ざされ、次の瞬間、霧が晴れると木馬に乗っている他の人影が全(すべ)て消え去ったのである。いや、消え去った人影はそれだけではなかった。遊園地にいた入場者や係員の姿はことごとく益川の視界から消え去ったのである。益川は唖然(あぜん)として、ただ乗り続けていた。自分だけがただ一人木馬に跨って回転しているのだ。益川は冷静になろうと考えた。これは夢かもしれん…。いや、疲れのせいで目が霞(かす)んでいるのだろうか…と思った。木馬の取っ手を握る益川の感覚は確かにあった。やがて回転木馬の速度は落ち、停止した。しかし、乗っていた子供達と見ていた妻、その他の人影は誰もいなかった。益川は怖くなって木馬から飛び降りた。益川がしばらく人影を探してウロウロ歩いていると、どこからか賑(にぎ)やかな音が聞こえてきた。益川が耳を欹(そばだ)てると、その音は人々がざわつく騒音に思えた。益川は音がする方向へ近づいていった。やがて音は大きくなってきた。益川は辺(あた)りを見回した。すると、一台のテレビモニターが視界に入った。益川は走ってそのモニターへ近づいた。音はやはり人々がざわつく騒音だった。益川は食い入るように画面を見つめた。なんと! そこに映っていたのは回転木馬に乗った子供たちと自分だった。他の人々の姿もごく普通に映っていた。妻ももちろん、その中にいた。益川はふたたび、回転木馬の方へ走った。だが、回転木馬は止まったままで、やはり誰も存在しなかった。益川は諦(あきら)めたように木馬へ跨った。すると、回転木馬はゆっくりと回転し始めた。そして次第に木馬の回転が速まったときだった。異変がふたたび、益川を襲った。周囲の視界が一瞬、霧に閉ざされ、次の瞬間、霧が晴れると賑わう人々の姿が元のように現れたのである。もちろん、三人の子供や妻の姿もあった。益川はホッ! と、胸を撫で下ろした。その謎(なぞ)は未(いま)だに解き明かされていない。

                 THE END


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短編小説集(73)お金は知っていた<再掲>

2024年10月25日 00時00分00秒 | #小説

 工場の旋盤前である。工員の甘煮(あまに)は手の動かし方が悪い! と、今日も先輩工員の薄味(うすあじ)に叱(しか)られていた。よく毎日、これだけ怒れるなぁ~と、つくづく働くのが嫌になるほどの怒られようだった。だが、甘煮はグツグツと薄味に嫌味(いやみ)で煮られても辛抱して耐え忍んだ。そんな甘煮だったが、工場から貰(もら)った給料はコツコツと蓄(たくわ)えていた。蓄えられたお金は集合して話し合っていた。甘煮が金融機関に預貯金する前、彼のお金達が送別会を兼ねて開催する[お疲れ会]と呼ばれる会議だった。
『いやぁ~、先月も怒られてたよ、ご主人』
「君は、今月、加わったお金だったね?」
「はい! 新入りのお金です。皆さん、よろしく!」
「と言われても、明日は預けられるからお別れなんだよ、実は…」
 先輩のお金は加わったお金にそう囁(ささや)いた。
「そうでした…。でも、いずれまた、このいい人の元へ集まりましょう」
「そうだな、そうしよう! なんといってもこの人は俺を呼ぶのに怒られてたし、汗をタラタラと掻(か)いていくれたからな。なんか、離れ辛(づら)い…」
「というか、離れたくないよな!」
「そうそう!」
「じゃあ、いずれまた、集まってこの人のために尽くそうぜ!」
 オォ~ッ! と人間には聞こえない掛け声が響き、甘煮のお疲れ会はお札(さつ)や貨幣で大いに盛り上がっていた。
 一方、こちらは工場から少し離れたところにある宝くじ売り場である。散々、買って貢(みつ)いだ挙句、やっと1等の前後賞¥200万を手にした塩辛(しおから)がお金を懐(ふところ)へ入れ、歩いていた。家へ戻(もど)った塩辛は北叟笑(ほくそえ)んで札束を見つめ、手金庫へと入れた。しばらくして、彼がいなくなった途端、手金庫のお金達はボソボソと呟(つぶや)き始めた。塩辛からの[逃避会]が彼の手金庫の中で、さっそく開かれたのである。
「運が悪い! こいつは働かずに我々を手に入れた!」
「そうだ! 早く、この男から離れよう!」
 塩辛の逃避会のお札達は満場一致で彼からの逃避を決議した。
 三年後、金融機関を出た甘煮の手元にお疲れ会の連中が再結集していた。彼のために働こうと戻ってきたお金達である。甘煮は自分のためではなく、家族のためのお金を預貯金していたのだった。一方、塩辛の手元には、すでに宝くじで得たお金達は残っていなかった。お金達は全(すべ)て彼から逃避したのである。塩辛は遊び金で彼等をすべて使い果たしたのだった。手にした人々を、お金は知っていた。

                 THE END


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短編小説集(72)接着<再掲>

2024年10月24日 00時00分00秒 | #小説

 世間は大型連休である。川山は連休に旅に出ることは、まずなかった。川山がそうするようになったのには、過去の痛い経験があった。遠くまで高速で出かけたのだが、行きの渋滞で半日を空(むな)しくしてしまったのである。当然、旅館にはその日に着けず、キャンセルせざるを得なかった。狂った歯車はすべてを左右する。結果、このときの旅は散々なものとなった。そんなことで、川山は連休は出かけず、日曜大工をすることにしていた。今では、それがある種の楽しみとなっていた。
 今日も川山は日曜大工をしていた。半ば目的のモノが出来上ったとき突然、ポキッ! と鉄芯が折れた。中心となる肝心の棒で、川山は弱ったぞ…と、思案に暮れた。だが、刻々と時間は過ぎていく。川山は金属用の瞬間接着剤を出し、折れた鉄芯を接着した。そして、作業を再開した。制作は順調に進みそうだったが、しばらくしたとき、鉄芯は無惨にも分断して折れてしまった。あんぐりした顔で川山はその折れた鉄芯を見た。だが、見ていても仕方がない・・と川山はハンダゴテを出し、ハンダづけしようと試みた。これで二度目である。しばらくすると接着が完成した。川山は、ヨッシャ! とガッツポーズを決め、作業を再開した。工作は今度こそ順調に行くやに思えた。ところがしばらく進んだとき、ふたたび心棒がポロッ! と折れ、工作物は大きく歪(ゆが)んだ。川山はフゥ~っと深い溜め息をついた。予定ではそろそろ仕上げにかかる時間が近づいていた。弱ったぞ…と、川山は、ふたたび思案に暮れたが、どうしようもない。スポーツドリンクで喉(のど)を潤(うるお)し、折れた鉄芯を手に持った。
「よしっ! やるか…」
 俄(にわ)か仕込みではあったが、川山は溶接技術を習得していた。最初から、そうすればよかったな…と、川山はそんな自分に苦笑した。数十分後、工作物は無事、完成していた。予定よりは数時間遅れたが、最後までやり通し完成できたことに川山は満足した。完成した工作物を見ながら川山は即席麺を啜(すす)った。そのとき、ふと川山の心中にある想いが浮かんだ。マンションの隣(となり)に住む若い夫婦は、去年、離婚した。新婚四年足らずだった。川山は接着剤だな…と思った。床下(ゆかした)の階下に住む中年夫婦は十五年足らずで離婚した。川山はハンダだな…と思った。天井(てんじょう)上の階に住む老夫婦は四十五年で死別した。川山は溶接だな…と思った。

                  THE END


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短編小説集(71)消えた棒<再掲>

2024年10月23日 00時00分00秒 | #小説

 はて? と、神はお考えになった。下界では一人の男が何やら失(な)くしたらしく、うろうろと辺(あた)りを探し歩いていた。アチラ・・コチラ・・ソチラ・・やはり、ない…。男は思案に暮れた末、諦(あきら)めたらしく、どっしりと床(ゆか)へ座り込んだ。その間(かん)、およそ半時間だった。そして、しばらくすると、男はやはり諦め切れなかったのか、ふたたび探し始めた。しかし、男が探す目的の物は、ついに見つからなかった。二時間ばかりが経過し、辺りには夕闇が迫っていた。神は天界からその様子の一部始終をご覧になっておられた。そして、ついに見つからず途方に暮れるその男を少し哀れに思(おぼ)し召(め)された。男は何やら呟(つぶや)き始めた。
『あやつ、なにやら口を動かして言っておるな。どれどれ…』
 神はお手を神耳(しんじ)へとお近づけになり、聞き耳をお立てになった。千里眼(せんりがん)とはよく使われる人間の言葉だが、この場合は神の千里耳(せんりじ)である。
『なになに…、フムフム』
 男が呟いていたのは、こうである。
「はぁ~、どこを探してもない。この前は他へ置き忘れていたから、すぐ見つかったんだが…。今回は、どこにもない?」
『ほっほっほっ…なるほどのう、馬鹿なやつだ。あそこにあるではないか。少し離れてはおるがのう。ほ~っほっほっほっ…』
 神は瞬間、お分かりになったのです。その棒がどこにあるかを…。
『人間とは仕方がない生き者ものじゃて…。ソレッ!!』
 神の御手(みて)が動くや、全天に閃光(せんこう)が走り、すさまじい雷鳴が轟(とどろ)きました。
 下界では男が不思議そうに空を見上げております。それもそのはずで、雲など、ほんのひと握りもなく、閃光が走り雷鳴が轟くはずがなかったのだ。その男が見つけられなかった棒は神によって命を吹き込まれ、俄(にわ)かに生きるがごとく動き、元の位置へ戻ったのだった。それは、男がその棒を買い求める前、存在していた店だった。
「まあ、いいか…。明日(あした)、買うとしよう…」
 男は溜め息を一つ吐(は)き、夕飯の準備を始めた。
 その翌日、その棒は店で男によって、ふたたび買われ、男の家へと無事、戻った。棒は男が置いた元の場所に戻ったのである。ただ、男の心中には棒を失って買ったという気持が残った。新しかったが、その棒は何年か前に男が買い求めた棒であった。
『ほっほっほっ…まあ、よかろうて…』
 神は、ニタリと笑顔を見せられ、虚空(こくう)の彼方(かなた)へ姿をおをお隠(かく)しになった。

                  THE END


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短編小説集(70)一石ゼロ鳥<再掲>

2024年10月22日 00時00分00秒 | #小説

 何をやっても上手(うま)くいかない不器用な男がいた。つい先日など、ことのついでにと庭木の散水をしてホースを切るミスを犯した。どうすればホースをスッパリ切れるのか? と、誰もが訊(き)きたいような話だが、この男の場合、いとも簡単にそれをやってのけた。ある種、凡ミスの達人ともいえる不器用さだった。しかも、それだけではない。この男がホースを切った庭木は見るも不格好な枝ぶりで、剪定? と首が捻(ひね)れるお粗末さだった。これでは一石二鳥どころか、一石一鳥にもならない一石ゼロ鳥な訳である。まあ、他人がどうこう言う話ではない上に、有名作家ということで家人は何も言わなかったから、そのまま捨て置かれた。家人はすでに何を言っても無駄と諦(あきら)めた節(ふし)があった。
 こんな男が世の中で役に立っているのか? といえば、それがどうして、ほどよい塩梅(あんばい)に役立っていた。まあ、一日中、座ってモノを書くだけの作家だから、役に立っているのかは疑わしかったが、それなりに彼の本は売れていて、印税も困らぬ程度に入っていたから役立っていたのだろう。彼の顔は世間に少なからず知られていたから、この不器用さはカバーされていた。困っていたのは出版業界などの彼の原稿関係だった。
 書斎に置かれた電話が鳴り、男は受話器を取り、対応していた。
「お忘れですか?」
「そうそう…、この前の依頼だったよね」
「ええ! そうですよ! 先生は忘れぬようにとメモっておられました!」
「それなんだがね…。うっかり原稿の書き損じた紙と一緒にゴミへ捨てたようなんだ」
「あの、ご依頼をお受けになったご記憶は?」
「ははは…。記憶できるくらいなら、私がメモるかね? 君」
 男は逆に編集者を切り返した。
「はあ、それはまあ…。ということは、手つかずで…」
「ああ、まあね…」
「まあじゃありませんよ、先生! 私が編集長に怒られます!」
 編集者は半泣きの声で訴(うった)えた。
「分かった分かった。そう言うなよ、君。いつまでだった、ソレ?」
「来週、火曜です!」
「よし、分かった。あさって取りに来るだろ? その原稿と一石二鳥で渡すよ」
「大丈夫ですか!?」
 100%疑った編集者の声がした。男は編集者に、まったく信用されていなかった。
「大丈夫、大丈夫!」
「本当に大丈夫ですか!?」
 信用できません! と口から出かけた言葉を必死に止(とど)め、編集者はくり返した。明らかに不信を露(あらわ)にした確認だった。
「ああ…。じゃあ、切るよ」
 男は編集者の諄(くど)さに少しムッとして電話を切った。
 来週の火曜は、瞬く間に巡った。表戸がガラッ! と開き、家人に案内された編集者が馴(な)れたように書斎へ入ってきた。
「先生、原稿を取りに来ました。お願いします!」
「えっ!? 今日だった?」
 編集者は言葉を失い、ガックリと項垂(うなだ)れた。
 男は原稿を依頼されたことすら忘れていた。一石ゼロ鳥だった。

                  THE END


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