生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

不思議な縁(えにし)

2018-09-03 23:39:55 | 日々の暮らし
突然に婚約者や恋人を亡くしてしまい、悲しい思いをしている
貴方に贈ります。



日露戦争が開戦された。日本陸軍は最後の決戦場、
203高地で大激戦を繰り広げていた。

敵のコンクリートのトーチカからの砲撃で屍の山をきづく苦戦をしていた。

大本営から我が特攻隊へ出兵の知らせがきた。


最後の別れをしてくるようにとの部隊長の命令でやってきた。

結婚を約束した彼女に会いに。


夏祭り浴衣姿の君をまぶたに焼き付け帰ったら結婚しよう!


もし、帰れなかったら、次の世で会おう。


分かるように、同じ、しるしを身につけよう。


うなずく彼女の前で、私はいつまでも、いつまでも、敬礼した。





戦地に着いた。

私達特攻隊50名は体にダイナマイトを背負い、側面の険しい山を登り、敵トーチカに次々飛び込んでいった。


あちこちで大爆発が起こり、トーチカは壊滅された。


それをみた日本軍本隊は突撃し、

203高地に日の丸が掲揚された、

敵の将軍ステッセルは降伏の調印にサインしたのだった。



特攻隊全員戦死。





100年後。

私は急に、夏祭りに行きたくなり
やってきたのでした。

盆踊りの輪の中にいる一際目立つ


浴衣姿の女性に
見とれていました。

彼女も気付き、

驚きの顔をした。
目の前に走り寄り
あのお!


おでこの


三日月の傷は


どうされたの?


あっ!
これは生まれつき
医者は何かの爆発の傷のようだと
言ってました。

よくわかりません。

どうして、そんなこと聞くのですか?


実は私も同じ形した傷後が左胸にあるのです。

薄くてわかりませんが。


そうでしたか、



初めて会った気が

しませんね。


はい。


彼女は僕をじっと


強いまなざしで



見つめていました。


僕はあわてて


敬礼してました。


二人は



やっと結ばれました。



合掌。

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涙川の夜

2018-09-03 20:02:44 | 日々の暮らし
涼しくなったら夜には、古文を読むと心が落ち着くものです。

私の心根は古代なのかもしれません。

ある言葉を見つけました。


「涙川」です。


万葉集にはない言葉です。


古今和歌集になると、

突如現れるのです。

その時代の流行語なのでしょうか。

多くのよみ人しらず

の方が歌っています。


涙を川と見立てたり、


激しく流れる涙を


たとえとして用いたり


しています。

その中から、


「涙川

枕ながるる

浮き寝には

夢もさだかに

見えずありける」

(古今和歌集・よみ人しらず)


愛しい人を思って

川のように流す涙で

枕が流れるほどの


床では


とても寝られず、

あの方の夢さえも

はっきりと


見えなかったのだった。

すごい歌ですね。


古代では思う人が夢に現れると、


相手も自分のことを


思ってくれていると


いわれていました。



小野小町の歌にも



恋しい人の夢を見たさに


寝巻きを裏返しにして



寝たという歌があります。




寝間着を裏返しにして



寝ると恋しい人の夢が



見られると


信じられていたからです。


涙川と寝巻きの裏返しに


恋しい人を思う



古代の人に



親しみを感じて


しまいます。




また、月を見ては




あの人もきっと



見ているに違いないと


歌ったり。


秋の夜くらい


古代に戻るのも

いいものです。

あなたを思って
今宵は寝間着を裏返して寝ようかな。



合掌





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祈り

2018-09-03 06:11:28 | 日々の暮らし
今日は忘れられない、若い聖僧(アバター)と老僧の会話を話したいと思います。

老僧が

「君が私に神がどこにいるかを示すことができれば、

このオレンジを一個あげよう」

若い聖僧は答えました。

「先生が私に、神がいないところを示すことができれば、

私はオレンジを二個差し上げましょう」

素晴らしい問答です。

この話のポイントは

キリスト教の教えでは

「神は至るところにいる」からです。

では、歴史に記録されているあらゆる祈りの中で、

最も有名で不朽の生命をもっていると言われる、
聖フランチェスコの祈りを紹介します。

私は聖フランチェスコが大好きです。

子供好きで恋人もいてあらゆる宗派の人にも好かれていました。
(良寛さんに似ています)

830年前にイタリアのフランシスコ修道院の創始者でもある彼の生き方に引かれて本も読みました。

『主よ、私はあなたの平和の使いとしてください。

私が、憎しみあるところには、愛を

争いあるところには、許しを

疑いあるところには、信仰を

絶望あるところには、希望を

闇あるところには、光を

そして、悲しみあるところには、喜びを

もたらすことができますように。

ああ、神聖なる主よ、

私が慰められるよりも、

むしろ慰めることを、

理解されるよりも、

むしろ理解することを、

愛されるよりも、

むしろ愛することを、

求めることができますように

お導きください。

というのは、私たちは

与えることによってこそ

自ら与えられ

許すことによってこそ

自ら許されるからです。

そして、死すことにおいてこそ、

私たちは、永遠の光の

中に生まれるのです』

(聖フランチェスコ)

なんと、素晴らしい言葉でしょう。

法華経の心と同じ

尊い言葉です。


私は思うのです。

神との交信には

「神の喜ぶことを

入れて祈ること」

絶対に忘れては

ならないと。

今日の気づきになれば


合掌





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