生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

そったく同時

2018-09-15 18:33:38 | 日々の暮らし
臨済宗の言葉に
「啐啄同時(そったくどうじ)」
があります。

「啐」とは卵の中でひな鳥が育ち外へでようとする時に殻の内側をくちばしでつつきます。
そのことをいいます。

その合図で母鳥が外から殻を啄(たた)きます。
これを「啄(たく)」といいます。

内と外とが同時でないとひな鳥は生まれることができません。

悟りの道を導く立場にある人は機をとらえた適切な指導が必要との意味があります。

暴力にたよるパワハラスメントの指導では人を導くことができない。
啐啄同時の指導が
大切と教えています。

合掌
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毘沙門天とネズミ塚

2018-09-15 02:03:04 | 日々の暮らし
昔、インドに小さな国がありました。

この小国は穀物が多くとれ財宝も豊かでした。

この国の国王は、毘沙門天(びしゃもんてん・七福神)の額が裂けて生まれたという。

ところが隣国から百万の大軍が押し寄せて、この国を侵略しようとしていました。

毘沙門天は武勇の神です。

その子ですから、勇気もあり兵法にもすぐれていました。

兵を集めて国境近くまで行って布陣しましたが、軍勢は四十万しかありませんでした。

国境にある大きな墳墓(ふんぼ・土で盛り上げてあるお墓。古いのを古墳という)

を挟んで夜を迎えました。

すると1メートルもある金色のネズミが出てきて、食物を探していました。

国王が「お前はどこのネズミか」とたずねると、

「私はこの鼠塚の墳墓を守るネズミの王様です」と答えた。

「同じこの国に住んでいるなら、お互い力を合わせて戦おう。

もし勝ったなら、国をあげてネズミ塚の盛大なお祭りをしよう」と述べました。

「ご安心ください。夜が明けるやいなや攻撃を開始してください」と答えた。

夜明けとともに太鼓を打ちならし、

旗を振って総攻撃を開始した。

敵は驚き、跳ね起き象や馬に鞍を置こうとしたら、腹帯も手綱もずたずたに食いちぎられていた。

弓の弦(つる)も、矢も、かぶとの紐も刀の下げ紐も下着の紐まで食い切られていた。

もうこれでは、軍隊ではありません。

百万の大軍は逃げていきました。

この日を戦勝記念として、ネズミの墳墓の盛大なお祭りが始まったという。

墳墓へ行って、願い事を祈願すると必ずご利益があったといいます。

勇気が出る話だと思い、
私もこのネズミのように皆様の力になれたらと思いましたよ。


合掌



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