空手(くうしゅ)とは、素手(すで)のこと。
すなわち「手ぶら」という意味です。
道元和尚が中国から帰国した時に「空手にして郷(くに)に帰る」
と述べたといいます。
何も持たずに故郷に帰って来たという意味です。
『悟りとは何も持たないこと』と述べています。
無に通じるのでしょう。
よく、旅慣れた人は小さなバックひとつで旅に出ます。
旅慣れない人は、あれもこれも持って行くためトランク一杯になってしまいます。
手ぶらで旅をする勇気。
『放(はな)てば手に
みてり』
(物も思いも手放したら楽になって手に満ちてくる)
人はさまざまな思いを抱き、生きるすべを思いめぐらせて生きるものです。
「思いを手放してごらんなさい」
そうすれば必要なものは自然に手に満ちてくるといっています。
イエス・キリストも手ぶらの旅でした。
弟子たちに、すべて投げ捨てて付いてくるように命じていました。
『空手、無、手放す』
まだまだ欲のある身です。
気づくのは
遠い先です。
面目ない。
合掌。
すなわち「手ぶら」という意味です。
道元和尚が中国から帰国した時に「空手にして郷(くに)に帰る」
と述べたといいます。
何も持たずに故郷に帰って来たという意味です。
『悟りとは何も持たないこと』と述べています。
無に通じるのでしょう。
よく、旅慣れた人は小さなバックひとつで旅に出ます。
旅慣れない人は、あれもこれも持って行くためトランク一杯になってしまいます。
手ぶらで旅をする勇気。
『放(はな)てば手に
みてり』
(物も思いも手放したら楽になって手に満ちてくる)
人はさまざまな思いを抱き、生きるすべを思いめぐらせて生きるものです。
「思いを手放してごらんなさい」
そうすれば必要なものは自然に手に満ちてくるといっています。
イエス・キリストも手ぶらの旅でした。
弟子たちに、すべて投げ捨てて付いてくるように命じていました。
『空手、無、手放す』
まだまだ欲のある身です。
気づくのは
遠い先です。
面目ない。
合掌。