生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

戒めの声

2019-02-12 14:45:09 | 日々の暮らし

インドのヒマラヤに住むという想像上の鳥に 寒苦鳥(かんくちょう)があります。 これがね何か私の事を言ってるのではないかとドキ! としてしまうのです。 この時季のことなのです。 夜はとても寒いので 「夜が明けたら 巣をつくろう」 と鳴くのです。 日が昇ると朝陽が暖かいので、忘れてしまう。 結局巣を作らないで、 夜を迎えてしまう。 また、寒さに震えてしまう。 「明日こそ、巣を作ろう」 しかし、また次の日に なると忘れてしまう。 そうやって、一生巣を 作ることもなく、空しく鳴きつづける鳥なのだそうです。 寒苦鳥 お前のことだ! と言われているようで ドキ! としています。 さあ、今日は巣を作ろう! 違う勉強しよう。 寒苦鳥の声が聴こえませんように。         合掌

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心を洗う

2019-02-12 04:56:55 | 日々の暮らし

今日の日記を読んでいて、なぜかヘッセの「シッダールタ」にあった主人公の言ったことを思い出しましたよ。 あなたはどうしてそんなに何でも知っているんですかと、人から問われます。そしてこんな風に答えますよ。 「私は、川からすべてを教わりました」 この主人公は、お釈迦さんなんですよ。 いい芸術には、心の底にある何かを呼び覚ます働きがあるような気がしますね。 2019年 02月12日 ミケ。 ミケさんありがとうございます。いつも素敵なコメントに感謝しています。 不思議ですね。私は夢で川底に沈んでいる石になって川面を見ています。 すると沢山の言葉や物語が流れてくるのです。 その中から感じた物を書き留めていましたので、川が教えてくれていると思っていました。 川や水は言葉の泉です。 神様に感謝です。 さて、神社仏閣での 手水鉢(ちょうずばち)は、手を洗い口を清めるだけでなく、 『心も洗う』 ために置いてあるという。 汚れた心、曇った心を 洗い綺麗な体でご祈祷 しなさいということか。 昔の人は、井戸で全身に水をかぶってからお参りしていたと聞いた。 滝に打たれることも、洗心になると思います。 教会も入る時、聖水を体にかけますね。 さて、よく私は必要とされていなのではと感じている方が結構多いのです。 『この世の最大の不幸は貧しさや、病ではありません。 誰からも自分は必要とされていないと感じることです。』 (インドのスラム街で生きる希望を与え続けたマザー・テレサの言葉) もし、あなたも同じように疎外感や孤独感を味わっているとしたら 一度気持ちを洗心して下さい。 物事をシンプルに考えてみましょう。 『自分は何かをしても らう人』になるのもい いのです。 あなたが誰かを必要とするならば、あなたは必要な人なのです。 駄目な僕をフォローし てくれるあなたは僕には必要な人。 そう逆に考えるだけで あなたの活躍の場が広がりませんか。 必要のない人などいないからです。 今日も負けないであなたらしく精一杯いきましょう。        合掌

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仏の言葉

2019-02-12 03:49:17 | 日々の暮らし

仏教の教えに 「草木成仏」があります。 心のない木や草も、仏に成ることができるという教えです。 春になれば満開の花を咲かす桜や、種の状態で土の中で機会を待つ雑草たちにも仏に成る種を持っている。 芽が出て、花が咲き、実が成る種はあなたの中にもあります。 (日蓮宗住職) そうなんです、草や木も成仏できるという教えは、自然を奇蹟と考える仏教だからです。 また神社(神道)は太陽を神格化した 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」ですが、 自然を含む 「八百万の神」といわるほどの様々な神様の 力を借りて成り立っています。 そういう意味で、仏教も神社も自然を神と考えていることは同じだと思います。 「自然界の響きは宇宙の声であり、すべての仏の言葉である。 風も光も緑も水も、 すべては仏からの メッセージなのだ」 と空海は述べています。 「自然の姿は仏の姿そのものであり、我が身と一体なのだ」 (道元) どんなに時代が変わっても、自然に敬意を表し、五感で自然の声を聴き、仏の声を受け止め感謝したいと思います。       合掌  

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