『そぞろ寒む
心の暇(いとま)
秋思(しゅうし) かな』
(秋になると朝夕うっすらと寒むさを感じ、心穏やかな時人生のしみじみとした哀れや寂しさを感じてあれこれ、もの思いにふけってしまうものです。)
真夏を終えて、朝夕の肌寒い秋風にほっとすると同時にこれからくる寒い冬に身構えたりしてしまいます。
辛い事や嫌な事をあれこれ思い出したりする秋思…。
人は幸せや通常の日々を失うと、ショックを受けやすいものです。
幸せは簡単に手に入るものではないからでしょうか。
今置かれている立場にきっと、不平、不満、嫉妬、怨み、ねたみ、失望に悩まされている人もいるでしょう。
それは、幸せの糧(かて)になる苦労なのだと考えて受け入れましょう。
大きな財産と地位、健康と、愛する人や円満な家庭があることが幸せと考えてしまいがちですが、幸せとは得ることでなく、自分が苦しみながら『自覚』すること。
だから苦しみにも耐えられるのかもしれません。
誰しも、心にも、身体にもいためた傷口があるはずです。
その痛みに耐えたから、幸せを感じる大きな心ができ思いやりができるるのだと思います。
幕末にやって来たイギリスの外交官がイギリス領事館に刀を抜いて襲って来た武士を見て、なんと日本人は野蛮な人種と思ったそうです。
ところが旅をした時、茶店の椅子の端に貧しい旅人が座って、何も注文しないでいると、 茶店の女性が誰彼となくお茶を出していた。
日本人はなんと思いやりがある人種なんだろうと考えを新たにした。
また、外国人は禁止だった富士山も政府を説得して登頂した時、山頂で皆と抱き合って一つになれた。
そんな手記を本国に送り記事になったと言う。
昔から日本の庶民は優しいおもてなしや思いやりがある人種だったのです。
与える愛、奉仕の愛、無償の愛それが不平不満から逃れるすべであり、心豊かになれるのです。 そう考えて行きたいと思います。
まだまだ自我が強いのと、自分の都合にあった生き方をしてしまいがちです。
人生に疲れ椅子の端にそっと腰掛ける貧しい旅人の私に 『熱いお茶をどうぞ』 と渡されたらどれだけ幸せを感じた事でしょう。
オリンピックを控えその心を受け継ぎたいと思います。
粗茶をどうぞ 合掌
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