詩集「アルコ ール」(1913)収録 堀口大學訳]
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
かうしていると
われ等の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでいく
恋もまた死んでゆく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
日が去り、月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
(追記:言葉の並べ方を『月下の一群』新潮社文庫を参照して、その通りに修正しました。)
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*別訳です。(誰の訳か調べがつきませんでした)
ミラボー橋の下をセーヌは流れる
そして私たちの愛も
思い出さねばならないのか?
悲しみの後に必ず喜びが来たことを
夜が来て、鐘が鳴り
日々は去り、我は一人。
手に手を取り
顔に顔を合わせ
私たちの腕が作る橋の下を
永遠の微笑みが流れる間に
水は疲れていった
夜が来て、鐘が鳴り
日々は去り、我は一人。
愛は流れ行く水のように去っていく
愛は人生は遅すぎるかのように
そして望みは無理であるかのように
去っていく
夜が来て、鐘が鳴り
日々は去り、我は一人。
日々が去り、週が去って行くのに
時は去らず
愛は戻らない
ミラボー橋の下をセーヌは流れる
夜が来て、鐘が鳴り
日々は去り、我は一人。
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窪田般弥氏訳です。
ミラボー橋の下をセーヌが流れる
二人の恋も
僕は思い出さねばならないのか
喜びはつねに苦しみのあとにきた
夜よこい 鐘もなれ
日々はすぎ 僕は残る
手に手を重ねて向きあったままでいると
二人の腕の橋下を
永遠の眼ざしをした
あんなに疲れた波が流れる
夜よこい 鐘もなれ
日々はすぎ 僕は残る
恋はすぎる この流れる水のように
恋はすぎ去る
人の世の何と歩みのおそいこと
希望ばかりが何と激しく燃えること
夜よこい 鐘もなれ
日々はすぎ 僕は残る
日々が去り月日が消える
すぎた時も
昔の恋も戻ってこない
ミラボー橋の下をセーヌが流れる
夜よこい 鐘もなれ
日々はすぎ 僕は残る
(窪田般弥『ミラボー橋の下をセーヌが流れ~フランス詩への招待~』より)
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福永武彦氏訳
ミラボー橋のしたセーヌは流れる
僕等の恋も
悩みが尽きれば悦びが来ると
せめてそれでも思ひださうか
夜よ来てくれ鐘は鳴れ
日は過ぎ去つて僕のみは
手には手を取り顔見合わせて
僕等の腕の
結ぶ橋のした疲れた波は
永遠の眼指流れもしようが
夜よ来てくれ鐘は鳴れ
日は過ぎ去つて僕のみは
恋は過ぎ行く流れる水か
恋は過ぎ行く
なんと人生は足のろで
「希望」の星のみ輝きまさるが
夜よ来てくれ鐘は鳴れ
日は過ぎ去つて僕のみは
日は過ぎて行く週また月
死んだ時も
恋もまたもう返らぬ
ミラボー橋のしたセーヌは流れる
夜よ来てくれ鐘は鳴れ
日は過ぎ去つて僕のみは
(福永武彦訳詩集『象牙集』より)
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飯島耕一氏訳です
ミラボー橋のしたセーヌは流れ
そしてわたしたちの恋も流れる
せめて思い出そうか
悩みのあとには喜びが来ると
夜は来い鐘は鳴れ
日は過ぎ去ってわたしは残る
手と手をとり向きあって
こうしていると
わたしたちの腕の橋のした
永遠の眼差しのあんなにも疲れた波が通って行く
夜は来い鐘も鳴れ
日は過ぎ去ってわたしは残る
恋は過ぎ去るこの流れる水のように
恋は過ぎ去る
何と人生の歩みはおそく
何と希望のはげしいことか
夜は来い鐘は鳴れ
日は過ぎ去ってわたしは残る
日が経ちいくつもの週もまた
過ぎた時も
恋ももうもどって来ない
ミラボー橋のしたセーヌは流れ
夜は来い鐘は鳴れ
日は過ぎ去ってわたしは残る
(青土社版『アポリネール全集』第一巻より)
ふろく:
ギヨーム・アポリネール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire, 1880年8月26日 - 1918年11月9日)は、イタリア出身のポーランド人の詩人、小説家、美術批評家。本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ(Wilhelm (Albert Vladimir) Apollinaris de Kostrowitzky / Wiliam (Albert Włodzimierz) Apolinary Kostrowicki)。
印象派批判主義「キュビスム」の先導者。のちにシュルレアリスムと名付ける。主な作品に『ミラボー橋』がある。
[編集] 生涯
ローマにて出生。母はナヴァフラダク近郊出身のシュラフタ(szlachta: ポーランドの貴族)。父の素性は不明であるが、アポリネールの幼少期に姿を消したスイス系イタリア人貴族、フランチェスコ・フルージ(Francesco Flugi d'Aspermont)であるとみられる。
19歳のとき、パリに赴く。市内のモンパルナスにはパブロ・ピカソ、マルク・シャガール、マルセル・デュシャンら錚々たる芸術家が集ったが、中でも彼は、特に人気のある部類に属していた。1911年、キュビズムを奉ずる一派「ピュトー・グループ」に参加。同年9月7日、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』盗難事件の犯人として逮捕されるが、1週間で釈放された。
詩人としては、詩集『腐ってゆく魔術師』(L'enchanteur pourrissant, 1909年)や『アルコール』(Alcools, 1913年)で、名声を確立した。これらは象徴主義の影響を受けている。また、随筆『キュビストの画家たち』(Les Peintres cubistes, 1913年)は、多くの前衛画家の存在と価値とを世に知らしめた。死の直後に公刊された『カリグラム』(Calligrammes, 1918年)では、文字で絵を描くという斬新な手法で高い評価を得た。
『アルコール』は、句読点を一切用いない独特の文体で知られる。また、同書に収められた『ミラボー橋』(Le pont Mirabeau)は、画家マリー・ローランサンとの恋とその終焉を綴り、シャンソンの曲として歌われるようになった。
小説の分野では、同性愛やサディズム、殺人に関する描写をふんだんに盛り込んだ『一万一千本の鞭』(Les Onze Mille Verges, 1907年)を上梓。しかし直ちに発禁処分を受け、以後フランスでは1970年まで公刊されなかった。
匿名で出版した『若きドン・ジュアンの冒険』(Les exploits d'un jeune Don Juan)では、姉や叔母、妊娠中の女など、様々な女性と関係する主人公ロジェの奔放な性生活を綴り、ベストセラーとなった。同書は1987年に映画化されている。また、短編集『異端教祖株式会社』(L'hérésiaque Et Cie)では、語呂合わせの技法を縦横に駆使した幻想的な世界を展開した。
批評家としては、マルキ・ド・サドの自由主義的思想を激賞し、モーリス・エーヌ(Maurice Heine)と共に、サドの再評価とサド文学の復興に尽力した。
第一次世界大戦に従軍するが、1916年に負傷(冒頭の写真を参照)。翌1917年、戯曲『ティレシアスの乳房』(Les Mamelles de Tirésias)が上演された。
1918年、スペイン風邪で病死した。38歳。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
唄→Yvette Giraud - LE PONT MIRABEAU(イヴェット・ジロー ミラボー橋)
朗読:→
APOLLINAIRE, Guillaume - Le pont Mirabeau.
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Et nos amours
Faut-il qu'il m'en souvienne
La joie venait toujours après la peine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
Les mains dans les mains restons face à face
Tandis que sous
Le pont de nos bras passe
Des éternels regards l'onde si lasse
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
L'amour s'en va comme cette eau courante
L'amour s'en va
Comme la vie est lente
Et comme l'Espérance est violente
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
Passent les jours et passent les semaines
Ni temps passé
Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
Guillaume Apollinaire (1880 - 1918)
ミラボー橋の下を
セーヌ川が流れていく
そして 私たちの愛も流れていく
私は思い出す
歓びは いつも悲しみのあとに来たことを
夜よ 来たれ
時を告げる鐘もなれ
日々は過ぎて行き
私はとどまる
手と手をつなぎ 向かい合ったままでいよう
そうしていると
私たちの腕の橋の下を
永遠の眼差しや
とても退屈な波が流れていく
夜よ 来たれ
時を告げる鐘も鳴れ
日々は過ぎて行き
私はとどまる
この流れる水のように
愛は流れ去っていく
愛は消え去っていく
人生は何とゆるやかに進んでいくことか
そして 希望はなた何と強烈であることか
夜よ 来たれ
時を告げる鐘も鳴れ
日々は過ぎて行き
私はとどまる
日々は過ぎ 月日が流れていく
過ぎ去った時も 昔の愛も
戻ってくることはない
ミラボー橋の下を
セーヌ川が流れていく
夜よ 来たれ
時を告げる鐘も鳴れ
日々は過ぎて行き
私はとどまる
平田穂積
『現実と文学』(第45号:2010年11月)より
ミラボー橋の下セーヌは流れ、私たちの恋も流れる
という出だし。それが、詩というものだともしらず、アポリネールという名前さえ知りませんでした。が、いつしか自分の部屋で過ごすようになり、紙袋もなくなりましたが、忘れられずにいました。その後、さまざまな翻訳による詩を読みましたが、あの、キンカ堂の手提げ紙袋の訳詞には巡り会えないままです。