とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

続『雪の女王』アンデルセン

2006年04月29日 18時59分02秒 | 児童文学(絵本もふくむ)
        「雪の女王」
1)大塚勇三訳《福音館》1979年10月初版
          2005年2月第3刷 ラース・ボー画

第一の話
鏡と、そのかけらのこと



さあ、いいですか!では、はじめましょう。このお話をしまいまで聞いたら、今わ
かっているより、もっとたくさんのことがわかるようになります。というのもね、
じつは、わるいトロル(小鬼)がひとりいたんです!そいつは、トロルのなかでも
いちばんたちがわるいやつで、つまり《悪魔》だったのでした。


2)大畑末吉訳(岩波文庫)1984年5月改版(初版は昭和35年、25年後に改筆)
           2005年11月第28刷(挿絵は、アンデルセンの知人二人)
お話 その一

鏡とそのかけらのこと

さあ、いいですか!お話をはじめますよ。このお話をしまいまで聞きますと、
わたしたちは今よりも、もっとたくさんのことを知るようになりますよ。そ
れはこういうわけなのです。あるところに、一人の悪い小びとの魔ものがい
たのです。それは、仲間のうちでも一番わるい魔ものの一人でした。つまり
「悪魔」だったのです。

3)木村由利子訳(偕成社)2005年4月初版第1刷
             朝比奈かおる・絵
第一話 かがみとそのかけらについて

さあて。では、お話をはじめましょう。このお話が終わるころには、わたしたちは、い
まよりもずっとかしこくなっていますよ。なにしろこれは、悪いかいぶつのお話ですから。それも、きわめつけのワルで、「悪魔」という名前のかいぶつです。


こうして比較すると、どう、思われました?冒頭部分だけですのでよく分からないと思いますが、同じお話でも訳す人がちがうと、微妙に雰囲気がかわってきて楽しくないですか?どれを好むかは、個人的趣味なので、自分の趣味は無言です。

物語は、悪魔と神、あるいは善と悪、祈りや死という苦難に満ちた課題が待っているが、最後は救われるとか、勝利するところがいい。
悪魔の鏡が目と心臓につきささり、雪の女王にさらわれたカイを、ゲルダという少女が、雪の女王の城までの苦難の道を超えてたどり着き、ついに救い出す。

以下の文は大塚勇三訳を拝借。
「あの子は、力なんてものを、わたしから教えてもらうことはない。その力は。あ
の子の心の中に、ちゃんとある。あの子が愛らしくて罪のないこだというのが、
りっぱな力なのさ。もしもあの子が、自分で雪の女王のところまでいって、カイ
のなかにはいっているガラスをぬきだせないようなら、わたしたちでは、なんと
もできないんだよ。」と、手をかしてくれたフィン人のおばさん。

こういった部分が、きっと子どもたちの心に勇気となって残るのでしょうね。
ゲルダをはじめ、登場人物の女性たちは、みんな強い。

「だれでも、おさなごのようでなければ、けっして神の国にはいることはできな
い」

カイを雪の女王から無事に救ったゲルダがならんでいる、ラストシーン。

「バラの花 かおる谷間に
 おわします おさなごの イエスさま!

こうして、大人だけれど子どもの、そう、心が子どものふたりは、そこにすわっ
ていました。それは、夏のことでした。あたたかい、めぐみあふれる夏でした。」

悪魔を退治して、にっこりとするラスト。神さまや清純さは強い。

以下は、岩波文庫の初版訳者序より
《「慣例に従って童話としておきましたが、本来は「お話と物語」です。アンデルセンが、はじめて「お話」を出した時は、「子供のためのお話」という表題をつけましたが、子供ばかりでなく、大人も喜んで読みましたので、後には「子供のため」という表題をとってしまいました。
「お話」の第一集が出たのは1835年、アンデルセンが数え年31歳の時であります。それから一生を終わるまで40年というもの、アンデルセンは童話を書き続けたのでした。まことに、アンデルセンの童話は、彼の生涯の真剣な仕事でありました。そのどの一つにも、アンデルセンの生活がにじみでています。(後略)》


だ、そうです。こうして、アンデルセンに一歩一歩ちかづく予定。
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