秋がきた。それでは、さっそくこの詩をひっぱりだしてこよう。去年と同じだけど。(出典:『ことばたち』ぴあ株式会社)
「枯葉」 ジャック・プレヴェール 高畑勲訳
ああ!思い出しておくれ
ぼくたちが恋人だったしあわせな日々を、
あの頃 人生は今日よりももっと美しく
太陽はもっと輝いていた
枯葉はシャベルで集められる....
ほらね ぼくは忘れていないよ、
枯葉はシャベルで集められる
思い出も未練もおなじこと
そして北風はそれらを運び去る
忘却の冷たい夜のなかへと、
ほらね ぼくは忘れていないよ
きみが歌ってくれたあの唄を
♪ それはぼくらに似合う唄
きみは ぼくを愛していた
ぼくはきみを愛していた
そしてぼくらは暮らしていた ふたり一緒に
ぼくを愛していたきみと、
きみを愛してたぼくと、
けれども人生は 愛し合う仲を引き裂く
やさしくそっと
音もたてずに
そして海は消し去る 砂の上
別れた恋人たちの足跡を
枯葉は積もる うずたかく
思い出も未練もおなじこと
けれどもぼくの愛は 黙ったまま忠実に
いつも微笑み 人生に感謝する
ぼくはきみをうんと愛し きみはとてもきれいだった
どうやてきみを忘れろっていうんだい
あの頃 人生は今日よりももっと美しく
太陽はもっと輝いていた
きみはいちばんやさしい恋人だった....
だけど ぼくは未練に用はない
そしてきみの歌っていたあの唄が
いついつまでも ぼくに聞こえてくるだろう
それはぼくらに似合う唄
きみは ぼくを愛していた
ぼくは 君を愛していた、
そしてぼくらは暮らしていた ふたり一緒に
ぼくを愛していたきみと
きみを愛してたぼくと、
けれども人生は 愛し合う仲を引き裂く
やさしくそっと
音も立てずに、
そして海は消し去る 砂の上
別れた恋人たちの足跡を。
ああ、いい詩ですよねえ~!つくづくと、日本に完訳をだしてくださった高畑さんの快挙に心から喝采します。
「枯葉は積もる うずたかく。思い出も未練もおなじこと」って部分と、「あの頃 人生は今日よりももっと美しく、太陽はもっと輝いていた。」って部分は、いい。他の部分もいっぱい気に入っている。
しかし、この詩を何回も読んでいると、非常に客観性に満ちているのに驚きを感じます。
「 そして海は消し去る 砂の上
別れた恋人たちの足跡を。」って部分も、あまりにも事実なので、とんとんと読める。
「敗れたもの」をこれほど冷静に書き並べられ、しかも希望も絶望も、哀愁もノスタルジーも愛し続ける意志も共生させているというのは、すごいなあ、と思います。まさに「ぼくは 未練に用はない」ですよね。
どうせ、なにもかも消えちまうんだ、というやけっぱちが入ってこないのは、美しい。シャンソンをさびしい唄だなあ、という感想を書いていた方がいらっしゃっいましたが、さびしいでしょうか?事実と意志の塊で、すがすがしく しみじみできて、どこが さびしいのか分からない。どうせ言うなら、明るくも暗くも、さびしくもない、と言ってほしい。むしろ、楽しい。太陽が弱弱しくであるが射し続け、だから、しみじみとするとか。
これがアメリカに渡ると、タイトルが「北風」になるそうです。忘却が強調されそうで、おじけづいて、どんな詩に翻訳・改ざんされているのか、調べる勇気が出ない。(笑い)
......なんか、さっぱりしない意見ですねえ。だめです。今年は、これ以上は考えられません。
「枯葉」 ジャック・プレヴェール 高畑勲訳
ああ!思い出しておくれ
ぼくたちが恋人だったしあわせな日々を、
あの頃 人生は今日よりももっと美しく
太陽はもっと輝いていた
枯葉はシャベルで集められる....
ほらね ぼくは忘れていないよ、
枯葉はシャベルで集められる
思い出も未練もおなじこと
そして北風はそれらを運び去る
忘却の冷たい夜のなかへと、
ほらね ぼくは忘れていないよ
きみが歌ってくれたあの唄を
♪ それはぼくらに似合う唄
きみは ぼくを愛していた
ぼくはきみを愛していた
そしてぼくらは暮らしていた ふたり一緒に
ぼくを愛していたきみと、
きみを愛してたぼくと、
けれども人生は 愛し合う仲を引き裂く
やさしくそっと
音もたてずに
そして海は消し去る 砂の上
別れた恋人たちの足跡を
枯葉は積もる うずたかく
思い出も未練もおなじこと
けれどもぼくの愛は 黙ったまま忠実に
いつも微笑み 人生に感謝する
ぼくはきみをうんと愛し きみはとてもきれいだった
どうやてきみを忘れろっていうんだい
あの頃 人生は今日よりももっと美しく
太陽はもっと輝いていた
きみはいちばんやさしい恋人だった....
だけど ぼくは未練に用はない
そしてきみの歌っていたあの唄が
いついつまでも ぼくに聞こえてくるだろう
それはぼくらに似合う唄
きみは ぼくを愛していた
ぼくは 君を愛していた、
そしてぼくらは暮らしていた ふたり一緒に
ぼくを愛していたきみと
きみを愛してたぼくと、
けれども人生は 愛し合う仲を引き裂く
やさしくそっと
音も立てずに、
そして海は消し去る 砂の上
別れた恋人たちの足跡を。
ああ、いい詩ですよねえ~!つくづくと、日本に完訳をだしてくださった高畑さんの快挙に心から喝采します。
「枯葉は積もる うずたかく。思い出も未練もおなじこと」って部分と、「あの頃 人生は今日よりももっと美しく、太陽はもっと輝いていた。」って部分は、いい。他の部分もいっぱい気に入っている。
しかし、この詩を何回も読んでいると、非常に客観性に満ちているのに驚きを感じます。
「 そして海は消し去る 砂の上
別れた恋人たちの足跡を。」って部分も、あまりにも事実なので、とんとんと読める。
「敗れたもの」をこれほど冷静に書き並べられ、しかも希望も絶望も、哀愁もノスタルジーも愛し続ける意志も共生させているというのは、すごいなあ、と思います。まさに「ぼくは 未練に用はない」ですよね。
どうせ、なにもかも消えちまうんだ、というやけっぱちが入ってこないのは、美しい。シャンソンをさびしい唄だなあ、という感想を書いていた方がいらっしゃっいましたが、さびしいでしょうか?事実と意志の塊で、すがすがしく しみじみできて、どこが さびしいのか分からない。どうせ言うなら、明るくも暗くも、さびしくもない、と言ってほしい。むしろ、楽しい。太陽が弱弱しくであるが射し続け、だから、しみじみとするとか。
これがアメリカに渡ると、タイトルが「北風」になるそうです。忘却が強調されそうで、おじけづいて、どんな詩に翻訳・改ざんされているのか、調べる勇気が出ない。(笑い)
......なんか、さっぱりしない意見ですねえ。だめです。今年は、これ以上は考えられません。