久しぶりに読んで爽やかな気分になった。 それにしても文章うまいなあ。プロだから当たり前か。
【弟が一生分の大金を手に入れたので、使った時の話】
弟が、巨額のお金を稼いできた。
どれぐらい巨額かというと、 弟が30年間休みなく働いて、 やっと手にできるほどの巨額。
それも、たった数時間で、稼いできた。 岸田家の歴史を揺るがす大事件。
まあ、そもそも弟は、 めちゃくちゃ給料が低かったんやけど。 週5日の出勤で、日給が500円だった。 昼食代を引くと、手取りは50円だけ。 弟は生まれつき、ダウン症なので、 障害のある人の集まる作業所で働いていた。
そんな弟に、夢のような仕事が舞い込んだ。
「ほぼ日手帳という商品の、 カレンダーの数字を書いてくれませんか?」
実は、弟はまったく文字が書けないのだが、 わたしが本を出版したときに、 ページ番号を手書きしてくれたのだ。 なんとも言えない、ふぞろいな数字たちが、 手帳のデザイナーの目に止まった!
「あんた、数字書く仕事、やってみる?」 弟に聞くと、 「んー、おお。ほな、ええで」 すでに数字職人としての貫禄があった。
とはいえ、職人の仕事は遅かった。
手帳で使う数字を372回書くのに、 一ヶ月もかかってしまった。 わたしは突如マネージャーとして、 弟をおだて、ジュースをおごり、
ちなみに温泉旅館代は、 姉であるわたしの自腹である。 なんでやねん。
そんなわけで、数字職人・岸田良太は、 30年分の給料にあたるお金を手に入れた。
母は言う。 「これは、ちゃんと貯金しとこうな」
わたしは言う。 「いや、本人が稼いだお金やねんから、 本人に使い道を決めてもらおうや」
「あかんって!良太はお金の価値をよくわかってないねんから!危ない!」
しかし、わたしは立ちふさがる。
「お金の価値は、自分で使ってみないと、 一生わからへんのや!」
「騙されたり、盗られたりするかも……」
「人生で一度くらいはな、ネコババされたり、借りパクされたりして、なんぼやねん」
「えええ……」
「痛い目にあってから、人は強くなるんや。障害があるからって、その機会をな、親が奪ったらあかんと思う」
勢いだけはあるわたしの持論に、 常識だけがある母はたじろいだ。
今だから言えるが。 わたしはただ、 ひとりで買い物したことがない弟が、どうやってお金を使うのか、おもしろがっているだけだった。
「もしそれで、良太がお金に困ったら、姉のわたしがなんとかしちゃる!」
最終的にわたしが大口を叩いて、押しきった。
弟には、現金を渡すのではなく、2万円ずつチャージしたICOCAで渡した。
わたしは知っていた。 弟がICOCAに強烈な憧れを抱いているのを。
受け取った弟は、しばらく目を閉じ、 「ありがと……ありがと……」 天にでも祈るごとく、静かに感激した。
家の近所のコンビニで、使い方を実演し、ピッとして払えることを弟に教えた。
「これからは好きなもん買ってええねんで」
「ええの?」
「あんたががんばって稼いだお金やさかい」
「ええの?」
「ちゃーんと、考えるんやで」
母は最後まで、心配そうに見守っていた。
わたしの予想では、弟はほしがっていたゲームソフトを買うはずだと思っていた。
その翌日。 母は、朝から熱が出て、寝込んでいた。
作業所の人が、電話で教えてくれた。
「お母さんがカゼ引いてるからって、休み時間に買いに行かれたんですよ」
初めてのことに、母はボロボロ泣いた。
「ありがとうねえ、優しいねえ」
青紫色の顔で母はマフィンをかじったが、普通に病人なので、全然食べられなかった。
わたしが食べた。
数日後。 元気になった母と一緒に、 家族で車に乗って、買い物へ出かけた。
夜ご飯をどうしようか悩んでいると、 「マクド!」 弟が言った。 「マクド、ぼく、お金!」
熱意に負け、ドライブスルーすることにした。