とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

追悼森永卓郎さん。 集めています    2025/2/2 【追記予定】

2025年02月02日 18時42分38秒 | 経済
スポーツニッポン新聞社   2/2

TBS「がっちりマンデー!!」(日曜前7・30)が2日に放送され、1月28日に原発不明がんのため67歳で死去した森永卓郎(もりなが・たくろう)さんの最後のテレビ収録の様子を伝えた。

 番組冒頭、「がっちりマンデー!!が20年間お世話になっていた、森永卓郎さんが1月28日にご逝去されました。スタッフ一同、心より、哀悼の意を表します」とガッツポーズの森永氏の写真とともに追悼メッセージ。そのうえで「本日の放送は、森永さんが1月24日に赤坂のTBSスタジオにお越しになり、収録したものです」と説明し、番組は通常通り放送した。

 この日は「茨城のディズニー」と呼ばれる巨大ホームセンターなど、さまざまな茨城チェーンを特集。MCの加藤浩次、進藤晶子、ゲストの森三中の黒沢かずことともにトークを展開した

オープニングで、赤のカーデガンを着た森永さんは「おはようございます」と笑顔であいさつ。茨城の魅力について「(観光大使の)黒沢さんでも知らないぐらい、掘れば掘るほど出てくるんです」と茨城チェーンの魅力をアピールした。

 番組後半では、進藤が「森永さんがオススメの茨城チェーンは?」と質問すると、おなじみの「それはCMのあとで?」とポーズ。CM開けで「それはスーパーマーケットのセイミヤ」と回答。セイミヤは茨城県内に12店舗展開するスーパーで、「割と茨城カラーが強くて、他では絶対に打ってないものが売ってるんですよ。もう1つは“とくし丸”っていう移動スーパーも同時に運営している」と解説していた。

 番組最後も笑顔で「ありがとうございました」とあいさつ。杖をつき、スタジオを後にする収録後の姿も流れた。

 エンディングでも「森永卓郎さん、20年間、がっちりマンデー!!にご出演いただき、本当に、本当に、ありがとうございました!がっちりマンデー!!スタッフ一同」とメッセージ。「森永卓郎さん 20年間ありがとうございました!最後まで本当にお疲れ様でした!」とテロップで追悼した。

 森永氏の長男で経済アナリストの森永康平氏は1月28日に出演したニッポン放送「垣花正 あなたとハッピー!」(月~木曜前8・00)で、卓郎さんの様子について話す中、24日にテレビ収録を行っていたことを説明。「控室で倒れているような状況だった。もうちょっとテレビの収録なんかできる感じじゃない」状態だったとし、「正直、近くで見ていて思うのは、並みの人だったらそもそも(家から)出てこれない。そんな状況でテレビのカメラが回ると普通に見える。気合というか、プロ根性というのは見せてもらったと思います」と語っていた。

森永卓郎さん 最後のテレビ収録は20年間出演したTBS「がっちりマンデー」 杖をつき、最後の言葉は…

【森永卓郎さん 最後のニューソク】「フジ・中居問題」でオールドメディアの信頼失墜!森永さんが語るテレビの展望は? 2025/02/01 

森永 卓郎 の意見  プレジデントオンライン  2025/2/2

原発不明のがんで闘病していた経済アナリストの森永卓郎さんが、1月28日亡くなった。67才だった。生前、プレジデントオンラインで掲載した森永さんの記事をお届けする――。本当に自由な生き方とは何か。経済ジャーナリストの森永卓郎さんは「私がいま『言いたい放題』『書きたい放題』やっても、暗殺者から見逃されているのは、おそらく私ががん患者で『もうすぐ死ぬ』という最強のカードを持っているからだ。余命宣告を受け、完全なる自由を獲得した私に果たせることは、まだまだ残されている」という――。

※本稿は、森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。

もうすぐ死ぬから「言いたい放題」「書きたい放題」で生きる

私は65歳になり公的年金を受給することにした。これですべての仕事を失っても食うには困らないという状況を迎え、私の自由は第二ステージに突入し、「完全にはみ出す」ことを厭わなくなった。

そうして書き始めたのが、『ザイム真理教』であり、『書いてはいけない』だったのだ。

そして今、私はがんになったことで、自由の第三ステージを迎えている。余命宣告を受けていることを公表する前に『書いてはいけない』を出版していたら、私は逮捕されていたか、最悪、暗殺されていたかもしれない。

事実、テレビメディアの世界からは抹殺されたが、暗殺者から見逃されているのは、おそらく私が「もうすぐ死ぬ」という最強のカードを持っているからだ。

放っておいても死ぬ人間をわざわざリスクを冒してまで殺す必要はないと誰もが思うだろう。

かくして私は「言いたい放題」「書きたい放題」という完全なる自由を獲得している。ただ国民を扇動しようという気はない。真実を知った人が何を感じ、どんな行動に出るのかは、それこそ自由なのだ。私は一般庶民が知りようのなかったことを明るみに出して、人々に判断材料を提供しているに過ぎない。

死を目前にした人間でなければできないことがある

誰もが真実を知る権利がある。そうでなければ正しく判断することも、真に覚悟を決めることもできないのだ。

一部の人間だけが極めて重要なことを把握していて、国民を自分達の都合のいいように操作しようという体制はゆがんでいる。

フェアーじゃない。多くのジャーナリストがそう思っているに違いないのだが、私がそうであったように、これからも生きていくことを思えば怯む。

その結果、権力に加担しなければ誠意があるほうだと考えて、ギリギリの線を行く。つまり、死を目前にした人間でなければできないことがあるということだ。

余命宣告を受け、完全なる自由を獲得した私に果たせることは、まだまだ残されていると感じている。

食べていくための仕事の他に、好きな仕事や趣味を

別にジャーナリストでなくても、老後は誰でも自由を獲得できるようになる。

退職して初めて迎えた元旦に愕然としたという話を聞いたことがある。昨年に比べて届いた年賀状が10分の1に減ったというのだ。

私は当たり前のことじゃないかと思った。仕事つながりの人間は仕事の幕を閉じれば離れていく。そこに虚しさを感じるなんてバカバカしい。

それより浮世の義理から卒業したと捉えたほうがいい。

そして仕事から離れ、本当にやりたいことをするために24時間、365日を使える喜びに浸るべきだ。自由を謳歌すべきなのだ。

現役中の人には、食べていくための仕事の他に、お金にはならずとも自分が好きな仕事を持つことを勧めたい。

仕事に限らず、趣味でもいい、ボランティアでもいい。一つの世界しかないというところから脱出すれば、人は自由を味わえる。

私にとって経済アナリストという仕事は、必ずしも本業ではない。単にカネが稼げている仕事になっているだけだ。それはそれでありがたいことなのだが、他にもやっている仕事はたくさんあって、それらの仕事はお金になっていないだけなのだ。

私は学生に「夢を持ってはいけない」と言い続けている。いつか叶うといいなと描く夢は、ほとんど実現しない。

持つべきものは夢ではなく、課題(タスク)だ。やりたいことはすぐにやる。

そして毎日1ミリでも前進する。それがゴールに近づく最短経路なのだ。

歌人として生きていきたい

まったく知られていないが、私は歌人もしている。

あるテレビ番組で女流歌人と共演したのがきっかけで歌を詠むことに目覚めたのだ。普段、経済というギラギラした分野で仕事をしていた私は、女流歌人との会話を通じて彼女の瑞々しい感性に強く惹かれた。

季節の香り、子供の元気な声、空の色、人の儚さ……。そんなことは考えたこともなかった私にとって、彼女との出会いは衝撃的だった。女流歌人の歌に感動した私は、次の瞬間、自分も歌人になりたいと思った。

それからというもの、折に触れて歌を詠むようになったが、誰も相手にしてくれなかった。しかし2018年にNHKの短歌の番組にゲストとして呼ばれたのだ。歌人デビューの絶好のチャンスを逃す手はないと、私は前のめりになって司会者に「歌人として生きていきたいんですけど」と打ち明けた。

だが司会者に「森永さん、いま短歌の世界で、短歌でご飯が食べられているのは、俵万智さん一人しかいないんですよ」と言われた。

だからいま私は二人目を目指している。『プレバト‼』という番組で夏井いつき先生のファンになって以来、俳句にもハマっている。

『プレバト‼』に出て夏井先生への恋の句を書いて先生の逆鱗に触れ、笑いを取るというプランを練っているが、未だにお呼びがかからない。

名前の中に「エロ」があるパッとしない落語家に

落語家としては笑福亭呂光という立派な名前を持っている。

ニッポン放送の笑福亭鶴光師匠の番組に、私が2003年の半年間レギュラー出演していた『ショウアップナイターニュース』というラジオ番組の宣伝のために押しかけた時、師匠から「アスパラガスとかけてなんと解く」となぞかけを出題された。私は咄嗟に「乳頭と解きます」と答えた。

その心は「マヨネーズをかけると美味しく食べられます」。これが師匠に気に入られ、なんと私は弟子入りを許されたのだ。

「乳頭なぞかけ」を得意技としていることから笑福亭呂光。ショウフクテエロコウと名前の中に「エロ」がある。しかし残念ながら「乳頭なぞかけ」のニーズは低く、ラジオ番組のイベントで時折披露するだけで、落語家としての活動はパッとしない。

歌手でいる時はがんのことを忘れられる

歌手として私はこれまでに、中野サンプラザやよみうりホール、日比谷公園の野外ステージなどの大きな舞台にも立っている。歌は好きだが上手くはない。上手くはないが音痴というほどでもない。

とにかく歌うことが好きなのだからと歌手を目指すことにした。

15年くらい前にカラオケルームでデモテープを作り、マネージャーに頼んでレコード会社に持ち込んでもらったのだ。

箸にも棒にもかからなかったが、かくなるうえはとラジオのイベントで歌わせてもらうことにした。

昨年は東京国際フォーラムで4000人のお客さんを前に、沢田研二さんの「TOKIO」と、少年隊の「仮面舞踏会」と、髙橋真梨子さんの「for you…」を歌った。あんなに気持ちよかったことはない。

今年の7月にもニッポン放送の70周年記念イベントで、「ホワイトバタフライズ」というユニットを結成している垣花正アナウンサーと「モリタクマーチ」を歌ったばかりだ。楽しくて、気づけばがんのことなど忘れて熱唱していた。

写真を撮るワクワク感を楽しむ

カメラをやり始めたのは高校時代だ。撮り続けているうちに、日経BPの雑誌で巻頭グラビアを担当するというチャンスにも恵まれたが、視点がマニアック過ぎたのかリストラされてしまった。

しかしその後もカメラ熱は冷めず、2004年に『ミニカーからすべてを学んだ』という本を出版した時には、一晩で800台の撮影をした。

取材にもデジタルカメラを持ち歩き、出張では少なくとも一日に150枚くらい撮っていた。もはや質より量の世界なのだ。

写真エージェンシーから写真を借りると高いので、空とか建物とか公共施設といった目につくものを手当たり次第に撮って、安く貸し出すことを思いつき、ひたすらに撮りためていたのだ。たぶんお蔵入りになると思うが、それはそれで構わない。

レンズを覗きながらシャッターを切る瞬間のワクワク感を存分に楽しんだ、それだけで満足なのだ。

67歳にして絵本作家デビューは近い

モリオ。これが童話作家としての私のペンネームだ。

名づけ親は林真理子さん。私のラジオに林さんをお招きした際、童話を書いているという話をしたところ、「どんどんお書きなさい」という言葉と共にペンネームを授けてくださったのだ。

プロとして認められたわけではないが、認められたような気がして妙に嬉しかったのを覚えている。童話を書きたいと思ったのは、経済の本を何冊出しても売れるのは最初の数カ月だけだと虚しさを覚えたからだ。

もっとも経済の話は旬のネタを求められるので腐りやすいという性質がある。

しかし童話なら経済の話であっても普遍的なテーマを取り上げることができるということで、打倒イソップを掲げて、新しい寓話を創作することにした。

ところが経済の本はいくらでも企画が通るのに、童話を書きたいと伝えると編集者の顔が曇る。

いいところまで進んでも出版にこぎつけずに頓挫するといったことを繰り返していた。そこで、当時連載していた神戸新聞の記事を強引に童話化してみたのだが、一回で連載は打ち切りになってしまった。次に自分の経済に関する本のあとがきを童話にしたのだが、一向に話題にならない。

しかし私は次なる手を思いついた。

がん闘病日記』(発行・三五館シンシャ、発売・フォレスト出版)に渾身の自信作『星の砂』を含めた6作を載せてほしいと頼んだのだ。

そして再び閃いた。本書でも新作寓話を紹介しようと。

自画自賛だが、『クラゲとペンギン』は実にいい話だと思っている。

こうした努力が実を結び、いま私の絵本は出版に向けて着々と準備が進んでいる。67歳にして絵本作家デビューは近いのだ。

(初公開日:2024年11月30日)

---------- 森永 卓郎(もりなが・たくろう) 経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。 ----------

【追悼・森永卓郎氏】末期がんでもタバコはやめず、30日間徹夜で仕事…森永卓郎が辿り着いた「女性を口説く」と「がん治療」の共通点

森永 卓郎,大脇 幸志郎 の意見   2/2

原発不明のがんで闘病していた経済アナリストの森永卓郎さんが、1月28日亡くなった。67才だった。生前、プレジデントオンラインで掲載した森永さんの記事をお届けする――。23年末にステージ4の「すい臓がん」と宣告された森永卓郎氏。医師と患者がもっと対等になるべきだという医師の大脇幸志郎氏と、医療や健康との向き合い方について話してもらった。

2000以上の治療法をアドバイスされた

【大脇】森永さんは2023年12月、ステージ4のすい臓がんを患われたことを公表されました。その後の検査で「原発不明がん」と診断され、通院での治療を選択されたこと、現在どんな治療をしているのかなどを、詳細に発信されています。なぜご自身の病状を詳(つま)びらかにされているのですか。

【森永】そうでもしないと詮索され、噂が独り歩きするでしょう。ごまかすとあとで話に矛盾が生じ、取り繕うために違う嘘をつかなきゃいけなくなる。だから最初から包み隠さず、本当のことだけを言う。これは病気に限らず、私が生きるうえで基本方針としているところです。

【大脇】私は有名人が病気の詳細を公表することに否定的な立場です。お仕事は「病気で休みます」だけでは足りないのでしょうか。特定の病気に過剰なイメージがつき、一人一人に合わせて行われるべき治療に「森永さんはこれをやっているから」という、固定観念を植えつけてしまうのを懸念します。

【森永】私もその点は気にしていて、治療法に言及するときは「私には“たまたま”合った(合わなかった)」と強調しています。昨年12月27日、私は「アブラキサン」「ゲムシタビン」という抗がん剤を打って死にかけました。でも、隣でまったく同じ抗がん剤を点滴していたおばちゃんは、平気な顔をしていました。私に合わなかったのが“たまたま”だったのは明白です。

【大脇】がん闘病日記』などを読んで、そのような配慮をされているのは感じました。一方で「病気や治療について情報公開すべきだ」といった無言の圧は感じないでしょうか。病気は本来誰にとってもプライベートな事情であるはずなのに、有名人にはそれが許されない空気があります。

【森永】がんを公表してから私のもとには「この治療をやれ」「この食事法がいい」というアドバイスが、2000件以上も寄せられています。謎の液体が入ったアンプルや、原料不明の粉末、奇跡の水やら食品やらが、毎日のように届くんです。善意でやられるから、なおさらたちが悪い。郵便料金不足で送りつけてくる人もいます。

【大脇】重病人に周囲がおせっかいなアドバイスをして困らせる事例は、19世紀に書かれたナイチンゲールの『看護覚え書』にも出てきます。なぜ余計なことをしてしまうのでしょうか。

【森永】善意でやってしまう人は、それが「その人にとっては」裏づけのある事実だからだと思います。自分や自分の家族には、効果があったのでしょう。けれどそれが「誰にとっても」効果があると勘違いしているところが、大間違いなんです。

【大脇】悪意のない人たちによる役に立たないアドバイスは、SNSでも飛び交っています。それに対して志のある医師や医療関係者が「誤解を招く書き込みは控えて」「情報を鵜呑みにしないで」と、一生懸命に火消しをしていることもあります。

【森永】免疫は前向きな気持ちになるだけで高まるから、信心で飲めば水道水でも効果は出ちゃう。ただ、どこの誰かもわからない人からアドバイスされても、効果はありません。謎のアンプルや粉末なんて怖くて口にできないから、皆さんどうか送らないでください。

医者は神様ではない喧嘩するくらいがいい

【森永】私は100人近いお医者さんと、自分の病気について話をしています。それでわかったことは、お医者さんによって考えや言うことがバラバラだということ。そこから「本当のことは誰にもわからない」ということがわかりました。

【大脇】私も医師として不確かなことを言わざるをえない場面によく出合います。不確かだからこそ主導権は患者さんやご家族に渡したいのですが、「私たちはこれから、どう生きていけばいいですか」と、すべての指針を委ねたい人もいるのが難しいところです。

【森永】東大医学部を出たお医者さんを、世間は神様のように扱います。だけど私は東大の理科II類(生命科学系の学部に進学する人が多い)に入学して、理科III類(医学部に進学する人が多い)の連中とは一緒に授業を受けていたから、神様だなんて思わない。

彼らが「名医でも、正確な病名と対処法を言えることは半分もない」と言っていたのを覚えていますが、それは真実なのでしょう。人間の体は機械じゃないんだから。

【大脇】そのとおりです。しかし世の中では機械のように説明がつくと思われすぎています。たとえば「血圧が高くなると脳卒中や心筋梗塞のリスクが高まります。減塩を心がけてください」と、高血圧でない人にも言いますね。

でも、エビデンスについて言えば、もともと高血圧でなければ減塩で血圧が下がるとも、脳卒中や心筋梗塞が予防できるとも証明されていません。

あるいは「がんは早期発見が大切なので“がん検診”を受けましょう」と言われていますね。ですが、実際には検診の効果はあってもわずかです。最も優秀と言うべき大腸がん検診でも、ある研究では検診の有無で大腸がんによる死亡率の差は21年間で0.36%しかありませんでした。

すい臓がん検診や肝臓がん検診など「がん検診」と称するものが人気ですが、がんの死亡者数は増えています。言い換えれば、検診をこんなにしていてもいずれがんで死ぬのは変わらないのです。がんにならなくても年を取れば脳卒中や心筋梗塞になるのは避けようがない。それなのに、人の自由を奪うアドバイスが多すぎます。

【森永】私はがんになってからもタバコはやめていませんよ。本当にタバコをやめなきゃ治療できないなら、もう治療自体をやめていい。

【大脇】立派な覚悟だと思います。喫煙に健康上のデメリットがあるのは明らかですが、そのリスクを引き受けるなら、嗜好品としてたのしむ権利は誰にだってあるはずです。人は健康のために生きているのではないのですから。

森永さんは自分の希望をうまく通しながら、医師を使って自由に生きているように見えます。「オプジーボ」「気つけ薬」「血液免疫療法」を使われたとのことですが、それぞれ別々の医療機関にかかっているのですよね。

【森永】もともと東京の病院にかかっていましたが、要介護3の私が自宅のある所沢のはずれから通うのには2時間以上を要しました。それで「家の近くで治療を受けたい」と言って、オプジーボに関しては地元で受け入れてくれるクリニックを見つけました。

ただ「気つけ薬」は少々特殊なもので反対されたため、血液免疫療法と一緒に今も東京のクリニックまで行って打っています。

私は医者の勧める治療を鵜呑みにしないし、治療の内容をあちこちでベラベラ喋るのでムカつかれていますが、黙るつもりはありません。医師には患者を受け入れる法律上の義務があるので、そこは我慢していただかないと。

【大脇】私が主治医でも反対すると思います。特にオプジーボと免疫療法の併用は死亡例があるとのことで16年に「適正使用のお願い」が出ているほどです。それでも行きたいところに行くのは患者の権利ですね。

医師として一生懸命詳しく説明しても、相手が情報過多から思考停止に陥ってしまい、「先生におまかせします」と言ってしまうようでは意味がないと感じます。森永さんは医師と戦ってでも自分の希望を押し通しています。

【森永】そう言ってしまうとカドが立ちます。お医者さんは「対等な仲間である」というのが、私の公式見解です。腹の内を話しても命までは取られないし、どうしてもお医者さんと合わなければ、別の病院やクリニックに行けばいい。価値観の不一致を我慢して、ストレスを溜め込む必要はありません。

【大脇】現在の治療の効果が落ちてきて、副作用の強い治療法しか選べるものがないとしたら、どうしますか。

【森永】そうですね、一つにはお金の問題があります。治療費は毎月120万円ほど持ち出しになっています。保有していた株式をたまたま高値で売り抜けることができたので、現在の治療なら、あと2年ほどは継続できます。でも、毎月1000万円になったら不可能です。もう一つには、自分がどこまで生きたいかというのもあって――。

【大脇】今年の春ごろに記事で読ませていただいたのは、書きかけの本があるのと、大学のゼミ生にまだ一度も講義をしていないから「少なくとも半年、理想は彼らが卒業する2年後までは生き延びたい」ということでした。

月120万円かけて延命している理由

【森永】そうです。あれから半年が経って、ゼミ生には基本的なところは伝えることができました。書きかけの本は『書いてはいけない日本経済墜落の真相』が完成して、さらに15冊ほど出しました。あと15冊も書けば、予定していることは書き尽くします。

【大脇】なるほど。現在「命を延ばす治療」を継続されているのは、まだ書きたいことが残っているためで、それに始末がついたら治療をスパッとやめることも、選択肢にあるのですね。

【森永】ええ。基本的に「痛いの・辛いの・苦しいの」という治療をするつもりはありません。無理な延命も望みません。最低限あと数カ月から半年間生きられたら、人生の後始末の大部分は終わります。そこまでやり尽くしたら、もう終わりでも仕方がないと思っています。

先日、明石市長だった泉房穂さんと話したのですが、彼は日本を変えるため、10年計画で総理大臣になろうとしていました。羨ましいのは泉さんが10年後も自分が生きていることを確信し、それに基づいて行動していることです。

私には同じことはできません。あと半年しか生きられないなら、総理大臣には100%なれません。だとしたら私にできることは何かと考えて、政府批判を言っているんです。あからさまに干されますけどね。

【大脇】森永さんにとって、世の中に伝えたいことを伝えることが目的で、治療はその手段にすぎないのですね。

すると、違う状況を想定しても答えはおのずと決まってきそうです。

たとえばこの先、延命効果のエビデンスがある治療をして、検査ではがんが小さくなるといった効果が出ていても、体力が落ちて原稿が書けなくなってしまうことは考えられます。そのとき医師が「効果は出ているのだから、このまま抗がん治療を続けましょう」と提案したら、森永さんは受け入れるでしょうか。

【森永】原稿が書けるかというより、喋れなくなったら「もう生きている意味がない」と感じるでしょうね。声が出なくなったら、政府批判も言えなくなりますから。そのときには延命の方法があったとしても「もういいや」って思うかもしれません。

逆ライザップのおかげで体力を取り戻した

【大脇】森永さんは病気をされる以前から、健康についてあちこちで書かれていました。そのときと今とで気持ちが変わったかどうかを教えてください。3年ほど前の『長生き地獄資産尽き、狂ったマネープランへの処方箋』では、健康づくりのために「ライザップ」や「マイクロ農業」に取り組まれていました。

【森永】病気になっていなかったら、今も続けていたでしょう。私はCM放映(2016年)のあともライザップを7年間継続したのですが、おかげで自分の体重を増減させるノウハウを完全に習得しました。それが今になって生きているんです。

昨年末に抗がん剤が合わず、動けなくなり、年始から2週間入院しました。その間に筋肉がみるみる落ちて、60キログラム以上あった体重が、最近では48キログラムまで減ってしまったのです。そこで“逆ライザップ”をやりました。野菜は分量に比して栄養が少ないので一切摂らず、糖質や脂質を好きなだけ食べ続けました。そうしたら短期間に3キログラムも回復し、今は51キログラムをキープしています。

 

【大脇】私の知り合いのがん専門医は、食が細って栄養が摂れない患者さんに「食費を2倍にしてください」とアドバイスしているそうです。本当は「好きなものを好きなだけ」と言いたいが、それだと何を食べたらいいか決められない人もいます。「食費2倍」と言えば、これまで高価で手が出せなかったものなどを食べて、暮らしが楽しくなるという狙いだと思います。

【森永】残念ながら、そのアドバイスは私には効きません。なぜなら、私にはそもそも「高いものを食べたい」欲がないからです(笑)。高級ステーキや料亭の和食なんか大嫌い。今、一番行きたいのは食べ放題の「すたみな太郎」です。

量は入らないけれど、カレー1さじ、焼き肉3枚、焼きそば5本、プリン1かけなど、いろんなものを少しずつ食べたい。普通のレストランで「カレー1さじ」なんて注文できないし、食べて残すのも申し訳ない。食べ放題のお店なら私の希望が叶うのです。月2回は行っていますが、カミさんは「お金がもったいない」と愚痴っています(笑)。

【大脇】目からウロコです。自分の食べたいものを食べたい形で食べるのも「放題」なのだと気づかされました。終末期の食に悩まれているご家族も多く、勇気づけられるエピソードです。

【森永】外食産業の経営者の方が読んでいたら、ぜひ検討してほしい。1皿限定で何種類でも盛っていい食べ放題なら、私は毎日だって行きますから。

がん患者が30日完徹してもなんともなかった

【森永】筋力を回復するにはトレーニングするしかないのですが、今は銀座にあるクリニックへの通院と、ラジオの生番組(文化放送とニッポン放送)に出演する日に東京へ行くのが、トレーニングになっています。

東京はつくづく「ひどい街だ」と思います。乗り換えの駅では構内の端から端まで、息を切らしながら30分かけて歩きます。前述のクリニックの最寄り駅である東京メトロ・銀座一丁目駅には、目当ての出口にエレベーターやエスカレーターがなく、休み休み階段を上って地上に出ます。

おまけに東京は歩道にタイルが貼ってある。先日はそのせいで、スリップして転びました。幸いにも怪我はありませんでしたが、医者からは「転倒禁止」を強く言われています。

 

【大脇】怪我がなくてよかったですが、それは止めますよ。リハビリメニューにも30分休みなしで階段昇降を続ける、なんてありません。がんになっても気力を失わない患者さんはいますが、森永さんは要介護3で相当体力が落ちているはずなのに、実際の行動はハードですね。

【森永】主治医の先生からも「見たことがない」って言われています。じつはがんになってから書き上げた2作品が合計50万部近くも売れて、出版社から執筆依頼が殺到したんです。私は仕事を断らない主義だから、全部受けたら8月だけで13冊も書かなきゃいけなくなっちゃった。それで人生初の「一人社会実験」をしたんです。

それは「がん患者が1カ月間、寝ずに原稿を書き続けたらどうなるか」という試みです。元気なときだって1カ月間の完徹なんて、やったことがありません。24時間のうち3〜4時間は意識が飛んでいたけれど、なんとかやり遂げました。

健康的に相当な負担を強いるのはわかっていても、限られた時間内にやるべきことをやり終えるには、それしかなかった。ところが前後の検査で、どんな数値も悪化していなかったのです。深刻なダメージを負ったのはパソコンのキーボードだけで、3台がお釈迦になりました。うち1台は寝落ちした瞬間にタバコの火を落として燃やしちゃったんですが――。

もちろんこれは、私がたまたま大丈夫だったというだけで、一般の皆さんだと問題が出てくるかもしれません。

「たまたま」を受け入れる生き方

【大脇】森永さんは「たまたま」を多用されますね。私は本質を突いた言い方だと思いながら聞いています。

血圧と血管イベント(脳卒中や心筋梗塞)の相関に関する研究で、健康リスクが高い人から低い人までを4段階のグループに分け、治療にどの程度の効果があるかを調べた論文があります。

それによると、最もリスクが低いグループでは、5年間で血管イベントを1.4%しか減らせませんでした。つまり、98.6%は血圧を下げても病気になるかならないかが変わらなかったということです。

わずかでも数値が低くなっているので「治療は有効である」と結論されます。それは嘘ではないのですが、感覚的には「この数字なら、病気になるもならないも“たまたま”だ」と感じる人が多いのではないでしょうか。

 

ところが最近は、そうした「たまたま」起きた事象を許容できない人が増えています。なぜ病気になったのか説明してほしい、治療に効果があるというエビデンスがほしい。理屈が知りたい、納得したい、将来をコントロールしたい欲求が、とくに健康の領域では強くなっていると感じます。

【森永】自分が当事者になってはじめて気づいたのは「これをやれば一発でがんが消える」といった怪しい方法論が、世の中に相当多くあることです。

たまたまを受け入れる柔軟性がないと、こうしたメソッドにすがりたくなる。裏を返せば、思いどおりにいかない現実の前で、打たれ弱いのだと思います。

【大脇】森永さんの打たれ強さは、どこから来ているのでしょう。

【森永】それは、受験でも仕事でも失敗ばかりして「人生というのはそういうものなんだ」という経験を、これでもかというくらい積み重ねてきたからではないでしょうか。それで「ああ、だめなんだ」と思ったらさっと引いて、すぐに次に挑戦するメンタルが備わったのだと思います。

たとえば女性を口説くなら、勇気を振り絞って「好きです」と告白する。それで「無理!」と拒絶されたら「どうも失礼しました!」と即撤退して、次の恋を探す。一度きりならどんな無謀なチャレンジをしてもいい。でも結果を受け入れず、しつこく追い回すと、ストーカーになってしまう。切り替えられるようになるべきです。

【大脇】治療に関しても同じスタンスなのですね。迷ったらとりあえずやってみる、合わなかったらすぐやめて、たまたま合ったら継続すればいい。

【森永】そうそう。友人の山田五郎さん(評論家、編集者)が同じ原発不明がんになったけれど、彼は「抗がん剤ロシアンルーレット」をやるんだと言って、たまたま「当たり」を引くことができた。私はたまたま「ハズレ」を引いてしまった。ものすごくしんどかったから、なかなか「すぐに次」とはいきません。もしも、転移が見つかったら、そのときにまた考えます。

【大脇】たまたまはどの程度まで受け入れられるのでしょうか。

たとえば地下鉄で通院するうちに転倒して頭を打って、意思を伝えられなくなったとします。その結果、最後の大事な決定が自分でできず、意に反した延命治療をされる。人工呼吸器が一度つながれたら外してよいかどうかは難しい問題で、誰も意思決定できないかもしれません。それでも仕方ないと思われますか。

【森永】私もそれは避けたいと思って、最近カミさんにも子どもにも「延命治療はするな」と口酸っぱく言うようになりました。葬式はしない、戒名もいらない、お墓に入れるな、遺影も作らなくていい。何も残さないでくれ、と言ってあります。私は死ぬことは全然恐れていないんです。現世で残された期間を、いかに自分が生きたいように生きるかが、私の最大の課題です。

【大脇】医師の言葉で言う事前指示ですね。私は事前指示の考えそのものには疑問を感じています。その次には「安楽死を認めよ」と言い、他人の安楽死も認めようとする「滑り坂」に陥る懸念があるからです。とすれば、どこかで反対しないといけない。ですが、森永さんの人生観やがんとの向き合い方は、違っているように聞こえます。

【森永】そうですね。やることをやって安楽死したいわけではなく、不安に背中を押されて生き延びたくないんです。私は67歳で、残された時間はあと半年か、せいぜい1年くらいです。同じ年齢の病気を患っていない人なら、あと10年くらいは生きるでしょう。私とその人たちとの違いは、残された人生のスパン(期間)だけです。

私のほうがスパンが短いぶん、何事もインテンシブ(集中的)にやらなきゃいけない。残された時間を、全力で振り抜くことだけに集中したい。それができている間は、不安や恐怖を感じることはないんです。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年12月13日号)の一部を再編集したものです。

(初公開日:2025年1月15日)

---------- 森永 卓郎(もりなが・たくろう) 経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。 ----------

---------- 大脇 幸志郎(おおわき・こうしろう) 医師 1983年、大阪府に生まれる。東京大学医学部卒業。出版社勤務、医療情報サイトのニュース編集長を経て医師となる。首都圏のクリニックで高齢者の訪問診療業務に携わっている。著書には『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』、訳書にはペトルシュクラバーネク著『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』(以上、生活の医療社)、ヴィナイヤク・プラサード著『悪いがん治療 誤った政策とエビデンスがどのようにがん患者を痛めつけるか』(晶文社)がある。 ----------

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幸せに結婚する方法【精神科... | トップ | 【国際ニュース】スーダン外... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

経済」カテゴリの最新記事