とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

アフリカ系の黒人奴隷:アフリカとアメリカの海底は、死体の鎖でつながっている(2)

2008年10月19日 13時38分02秒 | ことば・こころ・文学・演劇
        忘却:もう一つの歴史の刻印

――この小説では、「忘却」もまた大きな役割を果たしています。「忘却はほとんど出来事と同時に始まる」と、語り手は言います。不運を逃れたいという気持ちと密接に結びついたこの忘却も、『コーヒーの水』の重要な構成要素となっているのではないでしょうか。


C:そうです。つまりアンティル人たちは、非=歴史の中で生きてきました。結局、アンティル人たちにとって、歴史とは入植者たちの歴史なのです。私たちが知っている日付、私たちが記憶している歴史的事件は、入植者たちによって書かれた歴史の中にあります。奴隷たちに歴史はありません。例えば反乱が起こっても、そこで起こった出来事はどのような本にも記されていません。私たちが奴隷の反乱について知っているのは、「しかじかの年に、しかじかの反乱があった」等々と白人たちが書いたことだけです。私たちが歴史を持ちはじめたのは、奴隷制度が廃止されてからにすぎません。奴隷制度が維持されているあいだ、私たちは人間ではなかったからですから。したがって忘却とは、自分たちが人間ではなかった時代を思い出したくないということなのです。

 忘却は、奴隷制が奴隷たちをアフリカから連れ去り、アンティル諸島に運んだ時から始まります。アフリカから奴隷として連れてこられたのは、壮年の人々ではなく、ティーン・エイジャーたちです。これはあまり強調されないことですが、そのためにアメリカ大陸ではアフリカの文化があまり保存されなかったのです。どの国でも、十三歳、十四歳、十五歳の子供たちは、自国の文化をよく知りません。アメリカ大陸に運ばれたとき、新天地でふたたび再生できるほど彼らはアフリカ文化を知りませんでした。忘却はこの時代に始まったのです。それはアフリカの言語の忘却ということでもあります。アフリカの言葉はそれほど数多く残されていません。また、祖先が誰であったのかもわかりません。

 こうして、アフリカから無理やり引き離され、売り買いされることで生じた忘却、歴史が白人たちだけのものだったために生じた奴隷制時代の忘却があり、そして奴隷制廃止後には、自分の現在の姿とは異なったものになりがたいために引き起こされるあらゆる種類の忘却があります。現在の自分と異なったものとなるためには、自分を忘れなければなりません。これはフラッシュ・ファノンが『黒い皮膚・白い仮面』(私注/未読)のなかで書いていることです。もし自分とは違ったものになりたかったら、自分を忘れなければならない。現在の自分に関する記憶を持っているかぎり、変われない!というわけです(笑)。そのような忘却は、精神障害さえ引き起こします。神経症や、精神分裂病といった..........。なぜなら、アンティル人は自分が実際にはさまざまな文化の相互作用の産物であることを、歴史的暴力の産物であることを知っているからです。「私はアフリカ人だ」と言うときでさえ、彼はそれが本当ではない、それは観念的な言い方だとどこかで知っています。「私たちはヨーロッパ人だ」という人びとも、「私たちはフランス人だ」という人びとも、それが本当でないとよく知っている。

 こうしてアンティル人は二重性のうちに生きざるを得ません。アンティル人は、アメリカ人でもなく、ヨーロッパ人でもなく、インド人でもなく...........何者でもないことを、実際には彼らは知っています。そして、私たちがクレオールと呼んでいるあのアイデンティティーを定義することに困難を覚えるのです.......あくまでも一般大衆の話ですが。一般に人々は、アイデンティティーとは単独なものだと教わるので、多様なアイデンティティーを受け容れることに困難を覚えるのです。歴史の教科書には、「中国人」、「日本人」、「フランス人」、「アラブ人」などと書かれているばかりで、多様なアイデンティティーについて語っている教科書なぞありません。だから、多様なアイデンティティーのうちに生きている諸々の民族は、自分たちが新たなアイデンティティーを生み出し、そのアイデンティティーが世界中に広がりつつあることを意識することさえないのです。

 そういうわけで、忘却は『コーヒーの水』の構造的要素です。なぜなら、消し去ろうという意識的な努力、何かを、おそらくは単独のアイデンティティーを持ちたいという希望を抱きながら。自分たちの背後にあるすべてを消し去ろうという意識的な努力があるからです。しかしそれは虚しい希望にすぎません。なぜならアンティル人たちのアイデンティティーは絶対に単独のアイデンティティーとはならないからです。

――コンフィアンさんは忘却を幾分戯画的にも描かれていますね。中心人物の一人であるアンティーリャは、まるで自分が死んだことも忘れているかのように、死後も手紙を書き続けます。

C:ええ。つまり彼女の死が肉体的な死ではないということです。なぜなら、アンティーリャは肉体を備えた存在であると同時に、魔術的な存在でもあるからです。それに「アンティーリャ」という名前そのもにかなり明白な意味があります。クリストフ・コロンブスがアメリカ大陸を「発見する」以前に........


――人びとは「アンティーリャ」という名の大陸を見出すことを期待していた。


C:その通り!クリストフ・コロンブスが到着する以前に、地図にはある大陸が描かれ、その大陸は「アンティーリャ」と呼ばれていました。それは架空の何かだったのです。それで私は彼女が実在の人物でないことを示すために、この名前を使ったのです。小説の出だしからそのことはよくわかります。彼女は死ぬが、同時に死なない。窓越しに飛んでいくからです。だから彼女は自分の死後も書き続けることができる(笑)。アンティーリャは自分の肉体的な死に抵抗し続けるのです。
(続く)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アフリカ系の黒人奴隷:アフ... | トップ | アフリカ系の黒人奴隷:アフ... »
最新の画像もっと見る

ことば・こころ・文学・演劇」カテゴリの最新記事