「ちょっとだけよ」 (ギャグが古いか)
そう言ってわたしは山本夏彦本の『寄せては返す波の音』新潮社に手をのばす。
目次を見ているだけで笑いたくなる。2,3の記事を読んでみたが、もう笑ってくすくすと声がもれる。
なに?なにがおかしいかって?あなた山本夏彦読んだことない?山本七平と並んで二人の山本って言うらしいよ。
では、記事ひとつだけ引用しておくね。感想は書きません。ヤボだから。
猛暑一転、2週間は低温の予想らしいので以下の記事を引用します。
(引用開始) 「天気予報」あたる (『寄せては返す波の音]山本夏彦 新潮社 単行本 P227~229ページ)
私が天気予報に好意をもっていないことは以前書いた。当たらぬと言うとホラこんなに当たっていると帳面をひろげる。決して謝らない。朝のうちは晴れ、のち曇、夜にはいって小雨、秩父の山ぞいは雷雨と天気のありったけを並べれば、そりゃどれか一つは当たるだろう。的中率は8割か9割だと言いはる。
予想官は人情の機微を知らない。予報の聞き手は外れた時のことしか言わない。当たった時のことはおぼえてない。はずれたあくる朝、愛嬌あふれる美人アナウンサーが、昨日はどうも済みませんでしたと嫣然(えんぜん)と言えば誰も怒りはしない。怒るはヤボである。
くやしかったら今日は雲ひとつない日本晴れですと言ってみるがいい。これまで言ったためしがないのにこのごろ言うようになったから、オヤと思った。予報は当たるようになったのである。ただし北海道からはじめて、東北、関東一円に及ぶまでに時間がかかる。東京にたどりついたころは必ず聞きのがす。
まず東京から始めよ。東京は千二百万人の大都会である。(注:1323万 (2013年4月1日)最も知りたいのは東京の天気である。それから次第に遠方に及ぶがいい。そして最後にもう一度、聞きのがした人のために東京付近を繰り返す。その配慮が欠けている。
ところが困ったことに気象台も日進月歩で、ほぼ当たるようになった。雲ひとつない日本晴れですを言えるようになった。近く百発百中になるだろう。
天気予報は当たらないからいいのである。それが当たったら、予報はいつも当たらぬと悪口を言う楽しみがなくなる。傘を持っていけだの、季節はずれの寒さだから風邪をひかないようご用心だのと言うのは余計なお世話である。
夕方の雨のために朝から傘を持ち歩けば必ず忘れる。僅か(わずか)雨の降った直後を見てごらん。皆さん傘をさしている。事務所に置き傘があるのである。オヤ雨だなと酒場から出しなに言うと、おかみが傘さしだして「お持ちなさいまし」。どんな店にも客が置き去りにした傘が十本や十五本はあるのである。
もう一つ昨今は人体に感じない地震まで必ずテロップで流す。豆地震がひんぱんにあるのは近く大地震がある前触れである。東京は六十年ごとに地震があったのにない。地震は北海道から始まって東北、いよいよ東京かと思っていたら飛んで阪神にいってしまった。こんどはUターンして東京に戻ってくる番で、その予報をしたいのだが、地震の予報は禁じられている。パニックがおこるからだ。それで豆地震までテロップで流すのだが、お生憎様(おあいにくさま)大地震のある前の日まで人は枕を高くして寝ている存在なのである。
うろおぼえで恐縮だが、ふと手にした新聞があくる日の新聞だったという短編小説を読んだことがある。あわてて日付を確かめるとまぎれもない明日の日付で、記事は明日の事故、人殺し、醜聞に満ちている。読んで男の手はわなわなとふるえる。思ってもみたまえ。天気だけではない。あらゆる予報がみんな当たったらどうなるか。科学者にはその想像力がない。いま人はその時代に入りつつある。それを言うつもりで私は心ならずもお天気に手間どった。平成12年5月18日号。(引用終わり)
これを書き写しているときも、涼しい風がそよそよと窓からふぃてくる。これから猛暑一転、2週間は低温の大胆な予報はあたるのだろうか?ネコは予報なんて知らないから、ソファーの下にうずくまって猛暑態勢をくずさない。私は低温にほっとしてるくせに、お米の成育にえいきょうしないといいがなどと口だけ言ってみる。勝手なのだ。
山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年6月15日 - 2002年10月23日)は、日本の随筆家、編集者。東京市下谷根岸出身。 『週刊新潮』の鋭い舌鋒の連載コラム「夏彦の写真コラム」で有名であった。 byウイキィペデア
ここまで書いてふと見たら、ネコがソファーの上で寝ていた。さすが。低温であることに気付いた。