とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

「割れた鏡」「血と羽根」J・プレヴェール 高畑勲訳

2006年12月13日 07時05分04秒 | 
『ことばたち』プレヴェール高畑勲訳の解説と注解で、『枯葉』とプレヴェールの恋愛観について高畑さんが言及していることを引用させていただきます。

『枯葉』(前の記事に完訳を掲載)
*この作品は、1939年から1943年まで恋人だった「プティット・フィーユ(小さな葉っぱ)」ことクローディ・カーターとの思い出から生まれたとも言われている。プレヴェールは〈自由の絶対的尊重〉と〈恋人に対する所有欲・支配欲の否定を、多くの作品で表明しただけでなく、実人生でもそれを貫こうとした。しかしそれは決して容易なことではない。別れに悔いはつきものだし、人を取り乱させる。だからこそ、この「枯葉」の第二節や「あの愛」他、多くの作品で歌ったように、悔いや未練を引きずるかわりに、共有した「愛」を美しい思い出として保ち、それを切実に思い起こすことが必要だった。そしてそれこそが、〈自由の絶対的尊重〉と表裏一体となって彼の精神を支えていたのにちがいない。ちなみに、プレヴェールは1925年、幼なじみシモーヌ・ディエンヌと結婚、1935年から別居、1936年から1939年頃まで女優ジャクリーヌ・ローランと大恋愛をした。1939年からは上記クローディ・カーターと恋愛関係にあった。そして1943年、パリで旧知のジャニーヌ・トリコテと出会い、恋に落ちる。そして1946年,娘のミシェルが生まれ、1947年に二人は結婚し、生涯を共にした。なお、シモーヌは古い仲間のルイ・シャバンヌと結婚したし、ジャニーヌは以前、やはり仲間である歌手・俳優のファビアン・ロリスの妻だった。そしてみんな仲間でありつづけ、別れた妻や恋人たちとも生涯友だち付き合いをした。
 しかしまた、切実に思い起こされる思い出は、生き生きしていればいるほど苦痛を長引かせたり蘇らせたりもする(「割れた鏡」)。すると、時にはその思い出を容赦なく握りつぶさなければならなくなる(「血と羽根」)。

(後略、作者注を結構、カットしました。)

    「割れた鏡」J・プレヴェール 高畑勲訳

     ひっきりなしに歌っていた小人
     頭のなかで踊ってた小人
     青春の小人の
     靴紐が切れて
     祭りの小屋すべて
     いちどに崩れ落ちた
     祭りの喧騒が消え
     祭りの人ごみが消えたあとに
     聞こえてきたよ 嬉しげなきみの声が
     引き裂かれ 壊れそうな
     幼く悲痛なきみの声
     遠くから来て ぼくを呼んでいた
     おもわず心臓に手を当てたら 
     そこにうごめいていたよ
     血まみれの
   星ちりばめられた きみの笑いの ガラスのかけら7つ


      「血と羽根」J・プレヴェール 高畑勲訳

      思い出のひばりよ
      流れるのはきみの血だ
      ぼくのではない
      思い出のひばりよ
      ぼくはこぶしを握りしめた
      思い出のひばりよ
      死んでいるきれいな鳥よ
      きみは来るべきでなかった  
      ぼくの手のなかへ
      忘却の種子(たね)を食べになんか

ふろく:(まだ執筆中のようで、これだけしか書いてなかった)
ジャック・プレヴェール
出典: ・フリ百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)(1900年2月4日 - 1977年4月11日)は、フランス出身の詩人、脚本家。 映画「天井桟敷の人々」、「王と鳥」の脚本を手がけた。またシャンソンの名曲「枯れ葉」の作詞を手がけるなど、幅広く活動した。


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