とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『いま、イラクを生きる』リバーベンド 7 「一触即発の日々」

2008年04月09日 05時25分07秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
2006年2月27日
     「一触即発の日々」 (全文引用)

 外出禁止令が出ているにもかかわらず、ここ数日、不安で暴力的な状況が続いている。私たちは家にとどまり、ただこの状況が変わり、好転することを待ち望んでいる。電話は通じないし、電力事情もよくならない。でも、いまの私たちにとっては、電気や電話や燃料のことなんて、ちっぽけな悩みに思える。近ごろは、こうしたことについて文句を言うことすら、イラク人にとっては手の届かないぜいたくなことになってしまった。

 発砲と爆発の音は、たいてい夜明け前に始まる。少なくとも私が最初に音を感じるのは、夜明けからだ。その音は、夜遅くまで絶えることがない。一昨日、私たちの住む地区の近くにある大通りで、小さな銃撃戦があった。けれども、地域のモスクが襲撃され、夜明けに死体1体が3つ先の通りで見つかったのを除けば、状況は比較的穏やかだ。

 近所の人たちは、男たちが地区の警備をするかどうか議論を続けている。地区の警備は戦争中や戦争直後の混乱期にもやったことだ。今回やっかいなのは、モスクや家やお互いを攻撃しあっているフードをかぶった黒装束の男たちと同じくらい、イラク治安部隊を恐れなくてはならないという点だ。

 ここ数日、スンニ派とシーア派の人びとがすばらしい連帯を見せているので、これが内戦だなんて思えない。私は法学者や狂信的な人びとや政治家ではなく、ごくふつうの人たちのことをいっている。うちのあたりはスンニ派とシーア派が混じり合って住んでいるが、スンニ派の人もシーア派の人も一様にモスクと聖廟が攻撃されたことに激怒している。電話が通じなくなっているので、私たちはすこぶる原始的な通信手段を取り決めた。この地区のどこかの家が襲撃されたら、宙に向かって3回空砲を撃って知らせるのだ。もし空砲を撃つという手段がとれなければ、そのときはその家の誰かが屋上にあがって事態を周りに知らせなくてはならない。

 モスクも、苦境に陥った際の合図を用意している。それは、攻撃を受けた場合には、祈りを呼びかける役目の人が「アッラーフ アクバル」(全能のアッラーほど偉大な方はいない)と3回叫ぶというものだ。それを聞いた地区の人びとが、モスクや巻き込まれた人を守るために駆けつけるというわけだ。

 きのう、スンニ派とシーア派の聖職者がモスクで一緒に祈りを捧げる様子がテレビに流れた。力づけられる光景のように見えたが、私は怒りを抑えることができなかった。なぜこの人たちは、自派の武装集団に対して一言、撤退しろと言わないのか。モスクやフセイニーヤ(イマーム・フセインの子孫を悼む、シーア派のモスクの一種)への攻撃をやめろといわないのか。人びとを恐怖に陥れるなと言わないのか。テレビに映し出された光景はあまりに嘘っぽく、空っぽに見えた。まるでよその国の平和な情景のようだった。

 イラク政府はうろたえているようなふりをするばかりで、暴力と流血に歯止めをかけるためには何もしていない。外出禁止令を出しただけ。それに、アメリカ人たちはこのなかでいったいどこにいるの?手をこまねいて成り行きに任せているだけ――たまにヘリコプターがあちこち飛んでいるけど――でも、だいたいは知らん顔してる。

 私はひたすら読み、聞いている。内戦の可能性について。可能性、だ。けれども、私はこういうのが内戦っていうものかもしれないと思ったりもしている。それが現実のものになったのだろうか?1年、2年..........10年.......くらいたってから、私たちはうしろを振り返って「2006年の2月にそれは始まった」と言うようになるのだろうか?まるで悪夢のようだ。そのさなかには、悪夢を見ているのがわからないのだから。激しく動揺し、暗闇のなかに1点の光を探し求めて目覚めたあとになってはじめて、ああ、自分は悪夢を見ていたと気づくのだ......。
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