《 日本人なら誰でも知っている「カラスなぜなくの……」という童謡がある。あれは本当は「七つの子」という題の、野口雨情という人が書いた詩なのだが、あの詩を読んでみよう。「七つの子」はカラスをうたった歌なのだろうか。
「七つの子」はカラスの歌か?━━詩を読むことも発見だ
詩を書くことが作者の発見したことを表現することであるなら、詩を読むこともまた、その作者の発見した真実を詩の中から見つけ出すことだ。詩を読むこともまた十分に「発見」なのだ。
日本
「七つの子」 野口雨情
烏 なぜ啼くの
烏は山に
可愛七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛可愛と
啼くんだよ
山の古巣に
いって見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ
昔あるグループが「カラスなぜなくの、カラスの勝手でしよ……」という迷文句をくっつけて一躍有名になりはしたが、「七つの子」の持っている涙が出てくるような美しい世界をぶち壊しにしてしまった。それからだ。「超ムカツク」という超勝手で超ひとりよがりなへんな言葉がでてきたのは。とまあそんなことはいいとして、この詩を一読して何か気のつくことはないだろうか。じっくり読んでみてごらん。
そうだ、実はこの詩は全部会話でできている詩なんだ。
「烏 なぜ啼くの」これは四、五歳の正夫くんのセリフだ。するとお母さんが答える。「烏は山に/可愛七つの/子があるからよ」。七つの子、とは何だろう。七歳の子、とはとりにくい。七羽の子、ということだろうか。また正夫くんが聞く。「可愛 可愛と烏は鳴くの?」カラスのカアーカアーという啼声がなぜか正夫くんには「可愛 可愛」と聞こえてしまうんだね。なぜだろう。そう、正夫くんは、とても可愛いがられている子なんだ。いつもお父さんやお母さんから「正夫くんは可愛いね」と言われている。それで「カアー」というカラスの啼声まで「可愛」と聞こえるんだ。「可愛可愛と/啼くんだよ」と答えているのは、これは男言葉だからお父さんだろうね。お父さんは、「可愛可愛なんて啼いてるんじゃないよ。カアカアだよ」なんて言わない。正夫くんがなぜ「可愛可愛」と思いこんだか、そのわけに気づいているからだ。
さて、ここまで読んでくると、この詩の背景がわかってくる。場所は多分、山の駅だ。時間は夕方の五時三十八分ごろ。正夫くんのお父さんは町の会社に勤めているのだが、会社が終わったあと飲屋に寄って夜遅くまで上役の悪口など言って午前さまになるようなお父さんではない。毎日きちんと同じ電車に乗って五時三十八分には山の駅に着く。正夫くんとお母さんはいつも五時三十五分には改札口で待っている。お母さんが改札口から出て来たお父さんのカバンを受けとる。正夫くんを真ん中に三人手をつなぎながら山の駅を出ると山の空にはカラスがいっぱいだ。そこで正夫くんは「烏 なぜ啼くの」と聞くんだね。なぜ啼くのかというと、お父さんガラスとお母さんガラスには可愛いくてたまらない七つの子があるから、「可愛 可愛」と啼くんだ、と正夫くんのお母さんとお父さんは答える。それはそのまま正夫くんの家のとっても幸せな家庭そのままなんだ。つまり「七つの子」は、カラスが主役なのではなくて、とてもしあわせな家庭のひとこまなんだね。
ところでこの歌の最後に「山の古巣に/いって見て御覧/丸い眼をした/いい子だよ」とある。森繁久弥という芸達者で歌もうまい役者がいるが、このひとが盲学校に呼ばれて「七つの子」を歌ったんだそうだ。思い入れたっぷりに歌ってきて「山の古巣に/いって見て御覧」まできてハッとした。森繁さんの前にいるのは目の不自由な子供たちばかりだ。森繁さんはなんともなかったように
「丸い眼をした」というところを「丸い顔した」と変えて歌ったそうだ。泣かせる話だね。
作者の野口雨情は明治十五年に茨城県に生まれた童謡詩人だ。雨情は「青い眼の人形」「赤い靴」「あの町この町」「雨降りお月さん」「黄金虫」「木の葉のお船」「十五夜お月さん」「俵はごろごろ」など、日本人が今まで心から愛唱してきた童謡のほとんどを作っている。岩波文庫の『日本童謡集』には彼の童謡がたくさん収められている。君たちはいずれお父さんやお母さんになるわけだが、君たちの子どもたちに歌ってあげるためにも、これらの詩の世界をじっくり楽しんでもらいたいものだね。》
「七つの子」はカラスの歌か?━━詩を読むことも発見だ
詩を書くことが作者の発見したことを表現することであるなら、詩を読むこともまた、その作者の発見した真実を詩の中から見つけ出すことだ。詩を読むこともまた十分に「発見」なのだ。
日本
「七つの子」 野口雨情
烏 なぜ啼くの
烏は山に
可愛七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛可愛と
啼くんだよ
山の古巣に
いって見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ
昔あるグループが「カラスなぜなくの、カラスの勝手でしよ……」という迷文句をくっつけて一躍有名になりはしたが、「七つの子」の持っている涙が出てくるような美しい世界をぶち壊しにしてしまった。それからだ。「超ムカツク」という超勝手で超ひとりよがりなへんな言葉がでてきたのは。とまあそんなことはいいとして、この詩を一読して何か気のつくことはないだろうか。じっくり読んでみてごらん。
そうだ、実はこの詩は全部会話でできている詩なんだ。
「烏 なぜ啼くの」これは四、五歳の正夫くんのセリフだ。するとお母さんが答える。「烏は山に/可愛七つの/子があるからよ」。七つの子、とは何だろう。七歳の子、とはとりにくい。七羽の子、ということだろうか。また正夫くんが聞く。「可愛 可愛と烏は鳴くの?」カラスのカアーカアーという啼声がなぜか正夫くんには「可愛 可愛」と聞こえてしまうんだね。なぜだろう。そう、正夫くんは、とても可愛いがられている子なんだ。いつもお父さんやお母さんから「正夫くんは可愛いね」と言われている。それで「カアー」というカラスの啼声まで「可愛」と聞こえるんだ。「可愛可愛と/啼くんだよ」と答えているのは、これは男言葉だからお父さんだろうね。お父さんは、「可愛可愛なんて啼いてるんじゃないよ。カアカアだよ」なんて言わない。正夫くんがなぜ「可愛可愛」と思いこんだか、そのわけに気づいているからだ。
さて、ここまで読んでくると、この詩の背景がわかってくる。場所は多分、山の駅だ。時間は夕方の五時三十八分ごろ。正夫くんのお父さんは町の会社に勤めているのだが、会社が終わったあと飲屋に寄って夜遅くまで上役の悪口など言って午前さまになるようなお父さんではない。毎日きちんと同じ電車に乗って五時三十八分には山の駅に着く。正夫くんとお母さんはいつも五時三十五分には改札口で待っている。お母さんが改札口から出て来たお父さんのカバンを受けとる。正夫くんを真ん中に三人手をつなぎながら山の駅を出ると山の空にはカラスがいっぱいだ。そこで正夫くんは「烏 なぜ啼くの」と聞くんだね。なぜ啼くのかというと、お父さんガラスとお母さんガラスには可愛いくてたまらない七つの子があるから、「可愛 可愛」と啼くんだ、と正夫くんのお母さんとお父さんは答える。それはそのまま正夫くんの家のとっても幸せな家庭そのままなんだ。つまり「七つの子」は、カラスが主役なのではなくて、とてもしあわせな家庭のひとこまなんだね。
ところでこの歌の最後に「山の古巣に/いって見て御覧/丸い眼をした/いい子だよ」とある。森繁久弥という芸達者で歌もうまい役者がいるが、このひとが盲学校に呼ばれて「七つの子」を歌ったんだそうだ。思い入れたっぷりに歌ってきて「山の古巣に/いって見て御覧」まできてハッとした。森繁さんの前にいるのは目の不自由な子供たちばかりだ。森繁さんはなんともなかったように
「丸い眼をした」というところを「丸い顔した」と変えて歌ったそうだ。泣かせる話だね。
作者の野口雨情は明治十五年に茨城県に生まれた童謡詩人だ。雨情は「青い眼の人形」「赤い靴」「あの町この町」「雨降りお月さん」「黄金虫」「木の葉のお船」「十五夜お月さん」「俵はごろごろ」など、日本人が今まで心から愛唱してきた童謡のほとんどを作っている。岩波文庫の『日本童謡集』には彼の童謡がたくさん収められている。君たちはいずれお父さんやお母さんになるわけだが、君たちの子どもたちに歌ってあげるためにも、これらの詩の世界をじっくり楽しんでもらいたいものだね。》