2003年8月30日 「空きポスト」と投稿した同日の深夜に、直後に別タイトルで投稿された記事。
「ドライブ」
(要約)ガソリンは、戦争前には水より安く1リットルたったの1セントだったのが、高騰し、しかも手に入れにくく給油のためにガソリンスタンドで何時間も並ばなければならなくなり、人は怒り狂っている。リバーベンドは今ではガソリンはサウジアラビアやトルコから輸入しているようだと思っている。
(要約)リバーベンドたちは84年製の白いおんぼろフォルクスワーゲンに乗りこみ、おばの家に向かう。おきまりの注意事項は、検問所では止まり、暗くなる前に帰ること。カージャックにあったら、争わず、キーを差し出すこと。戦争前は20分で行けた所が40分かかった。幹線道路は戦車でずたずたにされ、米軍がにらみをきかせて宮殿周辺への進入を阻んでいた(かってのフセイン宮殿がいまは米国宮殿だ)。
(引用)現在の略奪と殺人は、4月の時とは違っている。4月の時はまったく偶発的なものだった。犯人たちは単独で行動していた。それが今は、組織化されて動いている(CPAと軍を合わせたよりもきちんとね!)1人で行動する者はもういない。ギャングと武装民兵になったのだ。彼らはマシンガンで、時には手榴弾で武装し、ミニバンや四輪駆動車で乗り付ける。家に乱入し、金目のものを要求する。思ったほどのものがないと、子どもや女性を誘拐し身代金を要求する。一家全員が殺される時もあるし、男性が殺される時もある。
しばらくの間、地区によっては男たちが”見張り番”を設けていた。カラシニコフ銃で武装し、6,7人ずつ集まって地区全体を見張るのだ。不審な車を止め、どこの家を訪ねるのか聞く。このようなやり方で何百人もの盗賊が捕まった。束の間だったけれど、守られていると感じることができた。ところが次に、米軍の武装した車が元々安全な地区をパトロールし始めた。男たちに街路に出るなと命令した。武器を携帯しているのを見つけたら犯罪者と見なすからと言って。
ギャングの大半は(少なくともバグダッドのギャングは)もともと郊外のスラムにいた。サドルシティー(旧サダムシティー)は、人口150万人の有名な巨大スラム。一帯は恐ろしい所だ。車や人が行方不明になったら、ほとんどの場合ここで見つかる。路地ごとに支配するギャングが決まっていて、道端で武器が売られている。金さえ払えば、あなたが欲しいと思っているマシンガンの試し撃ちさえさせてくれる。米軍は、こんな地区で家宅捜査なんてことはしない。家宅捜査は、撃ち返したり攻撃したりできない、まともな人たちだけに向けて行われる。家宅捜査は、ラマディ、バクーバ、モスルの貧しい人々に向けられているのだ。
おばの家に着いた時、体中の筋肉が痛くなっていた。目は暑さと緊張で充血していた。弟の額は、途中で目にしてきた数々の光景のためにしわが刻まれ、いとこの両手は、気づかれほどだけど震えていた。緊張で固く握られていたため、指の関節は血の気が失せたままだった。母は無事着いたことを感謝してお祈りを唱え、いとこの妻Tは、「絶対3日間おばの家に滞在する。もし今日帰るつもりなら私抜きで帰って。神さまは今日は、私たちでなくて他の人を守らなければならないのだから」と言い張った。
「ドライブ」
(要約)ガソリンは、戦争前には水より安く1リットルたったの1セントだったのが、高騰し、しかも手に入れにくく給油のためにガソリンスタンドで何時間も並ばなければならなくなり、人は怒り狂っている。リバーベンドは今ではガソリンはサウジアラビアやトルコから輸入しているようだと思っている。
(要約)リバーベンドたちは84年製の白いおんぼろフォルクスワーゲンに乗りこみ、おばの家に向かう。おきまりの注意事項は、検問所では止まり、暗くなる前に帰ること。カージャックにあったら、争わず、キーを差し出すこと。戦争前は20分で行けた所が40分かかった。幹線道路は戦車でずたずたにされ、米軍がにらみをきかせて宮殿周辺への進入を阻んでいた(かってのフセイン宮殿がいまは米国宮殿だ)。
(引用)現在の略奪と殺人は、4月の時とは違っている。4月の時はまったく偶発的なものだった。犯人たちは単独で行動していた。それが今は、組織化されて動いている(CPAと軍を合わせたよりもきちんとね!)1人で行動する者はもういない。ギャングと武装民兵になったのだ。彼らはマシンガンで、時には手榴弾で武装し、ミニバンや四輪駆動車で乗り付ける。家に乱入し、金目のものを要求する。思ったほどのものがないと、子どもや女性を誘拐し身代金を要求する。一家全員が殺される時もあるし、男性が殺される時もある。
しばらくの間、地区によっては男たちが”見張り番”を設けていた。カラシニコフ銃で武装し、6,7人ずつ集まって地区全体を見張るのだ。不審な車を止め、どこの家を訪ねるのか聞く。このようなやり方で何百人もの盗賊が捕まった。束の間だったけれど、守られていると感じることができた。ところが次に、米軍の武装した車が元々安全な地区をパトロールし始めた。男たちに街路に出るなと命令した。武器を携帯しているのを見つけたら犯罪者と見なすからと言って。
ギャングの大半は(少なくともバグダッドのギャングは)もともと郊外のスラムにいた。サドルシティー(旧サダムシティー)は、人口150万人の有名な巨大スラム。一帯は恐ろしい所だ。車や人が行方不明になったら、ほとんどの場合ここで見つかる。路地ごとに支配するギャングが決まっていて、道端で武器が売られている。金さえ払えば、あなたが欲しいと思っているマシンガンの試し撃ちさえさせてくれる。米軍は、こんな地区で家宅捜査なんてことはしない。家宅捜査は、撃ち返したり攻撃したりできない、まともな人たちだけに向けて行われる。家宅捜査は、ラマディ、バクーバ、モスルの貧しい人々に向けられているのだ。
おばの家に着いた時、体中の筋肉が痛くなっていた。目は暑さと緊張で充血していた。弟の額は、途中で目にしてきた数々の光景のためにしわが刻まれ、いとこの両手は、気づかれほどだけど震えていた。緊張で固く握られていたため、指の関節は血の気が失せたままだった。母は無事着いたことを感謝してお祈りを唱え、いとこの妻Tは、「絶対3日間おばの家に滞在する。もし今日帰るつもりなら私抜きで帰って。神さまは今日は、私たちでなくて他の人を守らなければならないのだから」と言い張った。