とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

イラク女性の占領下日記:リバーベンド   10(大混乱)

2008年02月21日 09時53分10秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
2003年8月29日
     「大混乱」
 占領開始以来、バグダッドだけでも400人の女性が誘拐された。この数字は報告されたものだけだ。たいていは米軍に届けない。そうしたって無駄だということを知っているからだ。一家の男性たちは、誘拐された女性の捜査を自らの使命と引き受ける。他にどうすることができる?私だって、もし誘拐されたとしたら、CPAに届けないで家族の力で自力で捜してほしい。
 BBCの推定では、バグダッドだけで毎日70台の車が乗っ取られているという。
 そしてさらに、たった今、すごくショックなニュースを聞いた。ムハンマド・バーキル・ハキームが聖都ナジャフで暗殺された!彼は、SCIRIの議長だ。誰の仕業かわからないけれど、同じシーア派の一つがやったと考えている人は多い。サドル派とハキーム派の間には、かなりの緊張関係があった。もう一人の聖職者シスターニも、ハキームを批判していた。
 ほとんどの人が見ないことにしているのは、南部のシーア派がイラン戦争で何十万という犠牲者を出したという事実。現在のSCIRIを支持しているまさにその体制、テヘランのイスラム革命によってもたらされた当時のイラン政権と戦って。ハキームは、イランに同調する多くのシーア派原理主義者から強力な支持を得ている。それはその通り。でも一方で、彼(とバドル旅団)を激しく憎む人々がいる。

 私は、傀儡にしてイスラム原理主義政府の支持者であるこの男が大嫌いだった。だけど、暗殺は解決ではない。さらなる流血、戦闘が後に続く。彼は、ナジャフで暗殺された2人目のシーア派聖職者だ。1人目は「ホーイ」(4月のことだった)。彼もやはりテヘラン出身だった。

*(訳注「ホーイ」:アブドゥル・マジード・ホーイ。湾岸戦争後にロンドンに亡命した親米英シーア派指導者で、2003年4月10日、ナジャフのモスクで礼拝中に暗殺された。)

2003年8月30日
     「空きポスト」
 みんなまだ、ハキームの死についてあれこれ言っている。彼は穏健なシーア派に特に人気があったわけではない。いとこの1人とその妻はシーア派だけれど、ニュースを聞いた時、肩をすくめてこう言っただけだった。
「どっちみち彼のことあんまり好きじゃないし」

 どんな宗教でもだけど、権力志向の強い聖職者というものは人を恐がらせると思う。

 いずれにせよ、イスラム教団体がイラクの指折りの神聖な場所、イマーム・アリ廟に対して、このような悪辣な攻撃を仕組むなんて信じがたい。

 大揺れ傀儡評議会の興味深い展開――バハル・ウルームが、評議会での議席を保留にした。あるインタービューで、この老聖職者は、「アメリカはイラク国民の安全確保に失敗している。もうこれ以上評議会に参加していたくない」と訴えていた。彼はロンドンに帰るのではないかしら。評議会はメンバーが8人になる。4ヶ月リーダーシップなしに過ごすことになる。もしブッシュが再選されなかったとしたら、ブレマーはその役をブッシュに振るだろう。バグダッドにブッシュを迎える...........、すてきだこと。
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