五輪強行の一方、コロナ対策では菅政権の周回遅れ感が半端ない
<「重症患者や重症化リスクの高い人以外は原則、自宅療養」──第1波ならともかく1年半も経ってそれを言うのか?と、英保健当局者が不審がる菅首相の新方針>
[ロンドン発]デルタ(インド変異)株が猛威を振るう中で東京五輪を開催する菅義偉首相が「重症患者や重症化リスクの高い人以外は原則、自宅療養」という方針を打ち出した。英国民医療サービス(NHS)関係者は「昨年の第1波ならいざ知らず、1年半も経って今さらそんなことを言っているとは不思議な感じがする」とあきれたような声を上げた。
欧州最悪の死者15万3734人を出したイギリスでは昨年3月の第1波ではロックダウン(都市封鎖)が1週間遅れただけで医療が逼迫、入院できずに亡くなる患者が続出。NHSは緊急事態態勢をとったまま今に至る。このNHS関係者は「緊急事態と言っても普通なら24時間か48時間。長くて1週間なのに、それが1年半も続いている」と漏らす。
アメリカのデータサイエンスはテクノロジーが進んでいても、イギリスはNHS病院や診療所、大学、研究機関、政府機関のネットワークが有機的につながっており、さまざまなデータを収集し、分析してきた。「NHSのトップは頭の切れる精鋭集団で、独自のモデリングで感染者や入院患者を予測していくつかのシナリオを作り、最悪の事態に備えてきた」という。
ワクチンが展開できるまで医療が崩壊しないよう感染状況に合わせてコロナ病床や集中治療室(ICU)病床を柔軟に増やしてしのぐしかない。ワクチン集団接種を全国展開できるようボランティアの打ち手の確保も急いだ。イギリスも日本同様、医療現場は政治に振り回される。しかし権限が首相官邸や保健省に集中することなく持ち場、持ち場に分散している。
国民皆保険制度の日本は医療機関の8割が民間病院。規模がそれほど大きくない病院が多く、コロナ患者を十分に受け入れられないという弱点がある。これに対してNHSはトップダウンでコロナ病床の確保やワクチン接種の態勢を構築しやすいという強みがある。NHS関係者は「餅は餅屋。その道の専門家に任せるのが一番」と指摘する。
日本では「白衣の天使」として知られるフローレンス・ナイチンゲールも統計学者。イギリスは多角的、重層的にデータを分析、全面正常化を6月21日から7月19日に延期した。その間ワクチン展開を進めるとともにサッカーUEFA欧州選手権(EURO2020、1年延期開催)、テニスのウィンブルドン選手権を利用して大規模イベント実施についても実験した。
正常化に踏み切る4日前には1日の新規感染者数が6万人を超えていたものの、3万人を割り、今のところ心配された1日の新規入院患者も900人台で頭打ちになっている。
「死者も少なく、入院患者の生存率が高くなり、入院日数も2日ほど短くなっている。入院患者の年齢層が下がってきて、30~40歳代が増え、3歳の子供もいた。亡くなっているのが80~90歳代で、たまに70歳代という感じ。入院してくる若い層はワクチン未接種か1回接種の人が多く。高齢者層は2回接種しているものの2回目が半年前だ」(NHS関係者)
このためイギリスではワクチン効果は半年で薄れる可能性があるとみて、9月から3回目のワクチン接種を展開する。
このNHS関係者は「全面正常化したのは良いのだが、感染防止のためのマスク着用や社会的距離、手洗いは続けてもらわないと。ワクチンが全員に回っているわけではない。若い層の回復率は高いが、ロング・コビットと呼ばれる後遺症がかなり残る」と指摘する。正常化してもコロナ危機は決して終わったわけではないのだ。
田村厚労相「在宅で酸素吸入も」
日本では、コロナ感染症は症状によって(1)軽症(血中酸素濃度96%以上)(2)中等症Ⅰ(同93%超96%未満、息切れ、肺炎の所見、抗ウイルス薬投与を考慮)(3)中等症Ⅱ(同93%以下、呼吸不全あり、ステロイドや適応外薬のリウマチ薬の投与を検討、人工呼吸器装着を考慮)、重症(重症肺炎、ICUで人工呼吸器管理、ECMO実施)に分類される。
無償で医療を提供するNHSでは血中酸素濃度の正常値は96%以上とされ、2回測定していずれも92%以下だったらすぐに病院の救急外来に駆け込めとアドバイスしている。中等症でも血中酸素濃度が93~94%なら入院を検討するとガイドラインには記されているが、血中酸素濃度が低くなくても医師が患者の状態を診て、入院するかどうかを決めているという。
とにかく呼吸障害が出たら、酸素吸入を一刻も早く行う必要がある。入院が必要ないとされる軽症でもコロナは若い人にとっても相当きつい。体温は40度近くまで上昇し、嘔吐したり光や音が辛く感じたりする。筆者の友人の30歳代日本人女性は3週間寝込んで体重が4キログラム減った。
菅首相は2日、首相官邸で新型コロナウイルス感染症の医療提供体制に関する関係閣僚会議を開き、感染拡大地域では「重症患者や重症化リスクの高い人が確実に入院できるよう必要な病床を確保する。それ以外の方は自宅療養を基本とし、症状が悪くなればすぐに入院できる体制を整備する」方針を打ち出した。
これまでは中等症や軽症の患者でも入院の対象だったが、重症患者や重症化リスクの高い人の病床を確保するため、田村憲久厚生労働相は3日の閣議後会見で「(中等症でも)比較的軽い方は在宅をお願いしていく。場合によっては在宅で酸素吸入することもありえる」との認識を示した。
東京都の入院患者は3351人、重症患者は112人。いずれも今年1月のピーク時の3427人、159人に近づいている。そんな時に、いくら重症患者や重症化リスク者の病床を確保するためとは言え「医療アクセスを絞る」というメッセージを国民向けに直接発信すれば不安を増幅させるだけだ。「五輪なんか開くからだ」という都民の怨嗟の声が聞こえてくる。
東京都の倍加時間は新規感染者数が9日間、入院患者数が1カ月弱だ。東京五輪・パラリンピックを今さら中止しようがしまいが医療が崩壊する危険性は十分にある。
日本とイギリスの病院で看護師として働いた経験を持つ外資系コンサルティング会社ZSアソシエイツのグローバル医療経済(HEOR)マネジャー、吉田恵美子氏はこう語る。
「医師ではなく、患者自身が判断しなくてはいけない状況に置かれるとしたら、それはおかしい。コロナ下で試されているのは日本のすべての医療資源を、診療科や病院、都道府県の垣根を越えて活用してコロナ患者の受け入れ態勢を整えられるかということではないか」
医療資源の有効活用がカギ
「日本はOCED(経済協力開発機構)諸国の中でも病床数が多く、もし協力してコロナ専門病院を作ることができればコロナ病床も十分な数を準備できるはずだが、現状のように大きくない病院が少しずつコロナ病床を持っているという状況は誰にとってもよくない。コロナ病院をつくってしまうのは、一つの最善の策だと思う」
「コロナ専門病院があればもう少し効率的にコロナ患者を受け入れ、管理することができるはずだ。日本は全体的な病床数が不足しているのではなくて有効分配ができていないと理解している」
「日本は英国に比べて医療データがなかなか表に出てこないし、個人情報保護法などが壁になってデータの活用もまだまだ進んでいない。すでにある制度を実行に移すのが精一杯で、コロナのような新しい医療の危機に対処するための制度を迅速に計画し、アレンジできないところに日本の医療制度の根本的な問題があると感じている」
メディアも木を見て森を見ず批判だけをしており、もっと全体を見渡して限られた医療資源を有効に活用する仕組みを構築することがまさに火急の課題であることは言うまでもない。