とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

米軍カメラマンが見た長崎(Nagasaki what a cameraman of the American armed forces saw) 

2013年08月09日 00時52分16秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)

 8月9日は長崎原爆投下の68年目の記念日ですよね。 これは原爆記念63年目の映像です。(52分)初めて見て心につきささりました。たとえNHKが感動するように編集したとしても、カメラマンの心にしみる写真の勝利だと思う。泣いた。

(このカメラマンは原爆の破壊力を撮影することを命じられて長崎に入り、原爆投下後の写真を撮り続けたカメラマンです。軍からは日本人を許可なく撮ることを禁じられていたのだが、あまりもの想像を絶する光景の中で生き続ける日本人の姿にあわれみを感じはじめ、同時に原爆にも疑問を感じるようになった。「なぜ人間が、同じ人間にこんなことをしていいのか?」。彼はこっそり日本人の姿を撮り続けた。そのフィルムは長い間トランクのなかに隠されていた。が、或る日、彼はトランクを開け写真を取り出し、平和運動をするようになる。が彼も放射能の犠牲になり、皮膚ガンで85歳で死亡する。父親の意思は現在息子が継いでいる。

(最後のナレーションから:原爆を目撃してしまったアメリカのカメラマンが苦しみの末に封印を解いた長崎。30名の写真は今なを核の脅威にゆれる現代に戦争の現実とそれを伝える尊さを訴えている

 「たとえ小さな石であっても波紋はひろがっていく。それは少しづつ広がりいつか陸に届くはずだ。アメリカという国にも届く日がくる。

誰かが続いてくれれば波紋は広がっていく。そしていつか誰もが平和を実感できる日が来ると信じる」ジョー・オダネル 元軍曹。)

 

米軍カメラマンが見た長崎

 

原爆投下を決断した当時大統領だったトルーマンにオダネㇽは一度だけ質問したことがあるそうだ。「あなたは日本に原爆を落としたことを後悔したことはありませんか?」。彼は動揺し、顔を真っ赤にしてこう言った。「当然それはある。しかし原爆投下は私のアイデアではない。私は、前の大統領(ルーズベルト)から単に引き継いだだけだ」。、(問題はあるが)仕方のないことだとしても、昭和天皇までが「原爆投下はこういう戦争中であることですから、遺憾に思っていますが、広島・長崎の市民にとっては気の毒なことであるが、やむを得ないことと私は思っています」と答えるのは、私は決して許すことができない。それはアメリカが自分を正当化する言葉だからだ。

 

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」

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