とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

イラク女性の占領下日記:リバーベンド   1

2008年02月09日 17時48分20秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
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 友よ、私の心が失われ
 あなたさえ見分けることが
 できなくなったら、
 どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、
 ティグリス・ユーフラテスの胸元に
 連れて行ってほしい。
 そこで私は心を癒し、
 魂を再生させるでしょう。―――リバーベンド

2003年8月17日
  「始まり」
 これが私にとっての始まり、になるようだ。自分のブログを始めるなんてまったく考えていなかったけれど...........。
 私のことを少し。私は女性でイラク人、24歳。戦争を生き延びた。あなたが知らなければならないのはこれで全部。

2003年8月18日
  「アナザー・デー」

 ところで、インターネットでチャットルームや掲示板に投稿した時、私が本当に悩まされることがある。真っ先に「あなたは嘘をついている。あなたはイラク人でない」という反応(通常はアメリカ人)だ。なぜ私がイラク人ではないかというと、理由は次の3点だそうだ。
a) 私がインターネットにアクセスできるから(イラクではインターネットが見られないはず)
b) 私がインターネットの使い方を知っているから(イラク人はコンピューターが何なのか知らないはず)
c) イラク人に英語を話せるわけがない。だから私はアメリカ人が言うところのリベラルに違いない、というわけだ。

 どれも気にするようなものではないけど、実際には悩みの種。私は街にいる兵士たちを見ると思わずにはいられない。
 「じゃあ、彼らも私たちを占領する前はイラク人についてこんなふうに思っていたのかしら。もしかしたら今もそう思ってるの?」
 イラクがアフガニスタンと同じように見られているってわけ?

 この2日間で一番の出来事は、昨日テレビで輪番議長制の「統治評議会」発の最新ニュースを見たことだ。ヨルダンが米政府に対し、「アフマド・チャラビ」をアンマン当局に引き渡すように働きかけている!

*(訳注「統治評議会」:2003年7月18日に発足した。イラク人による暫定統治機関。旧政権下で反体制派だった主要7政党代表のほか、イスラム教指導者、医師、元外交官など25人から成る。国家予算の承認や暫定閣僚の任命など立法、行政権があるとされるが、最終権限は米国主導の連合国暫定当局(CPA)にある。)

*(訳注「アフマド・チャラビ」:旧政権下で亡命したイラク人による国外の反体制組織イラク国民会議(INC)代表、シーア派。1958年に一家で亡命し、2003年4月に米軍とともにイラク入り。元銀行家で、89年にはヨルダンで経営していたペトラ銀行を破綻させて国外に逃亡。ヨルダンから横領罪などで被告不在のまま有罪判決を受けている) 
 
 これは見物(みもの)だった。実はチャラビは「ブレマー」が選んだ統治評議会の中でも私のごひいき。

* (訳注「ブレマー」:米国主導の連合国暫定当局(CPA)のポール・ブレマー文民行政官。米国務省出身)

 ここ数ヶ月、もしブレマーが学ぶところがあったら、チャラビの首に赤いリボンを巻いて(善意の贈りものの印として)ヨルダン当局に引き渡すだろう。こんな卑劣漢を好きな人に会ったことがない。

 事情を知らない人のために説明しよう。イラクの暫定統治評議会はイラク国民の”代表”としてブレマーが選んだものだが、権力の亡者たちの誰にイラクの統治を委ねるべきか決めかねた。そ・こ・で、ブレマーはアメリカが選挙のお膳立てを整えるまでイラクを3人の人物が暫定議長として統治するよう決定した。

ムハンマド・バーキル・ハキーム(イラク・イスラム革命最高評議会=SCIRI代表)
ムハンマド・バハル・ウルーム(同じくシーア派の聖職者)
アドナン・パチャチ(イラク独立民主党党首)の3人だ。

 当然ながら、統治評議会の残りのメンバーはこぞって反対した。そこで、9人になった。彼らが1ヶ月交代で”統治”に当たる。お察しの通り。イラクがもっと不安定になればいいのだ。月替わりで新しく登場する議長がいれば.......わかるでしょ。
 ともあれ、”今月のおすすめ”はイブラヒム・ジャファリ。悪名高きダーワ党(フセイン時代はもちろん、それより前からイラクでさまざまな爆破事件を起こした)の代表だ。
 笑わせるのは、この9人がアルファベット順(アラビア語のアルファベット)に政権を担当すること。ブレマーにとっては、彼らが揃ってしっぽを振り、いずれも劣らず不正直で無能なので決めかねたというだけのことだろう。事がどんなふうに進むかと、9人の誰もがイラク統治をやってみる。誰がアラブにおけるアメリカの財産(つまりイラク)を代表するにふさわしいか、ブレマーが決める。インチキ選挙が仕組まれて、”選ばれし者”に魔法のように褒美つまりイラクが授けられる。
 私の願いは、パチャチが占領軍の王座につくまで現システムを長期にわたって維持してくれること。彼は今にもつまずきそうに見える。

2003年8月19日
  「疲れ」
 疲れて目が覚めるなんてどうしてありえるのだろう。眠りながら格闘していたような気がする。悪夢の数々、そして恐れと格闘し......、銃声や戦車の音に聞き耳を立てることに必死だったような.........。

 今日、バグダッド北西のアンバールで子どもが殺された。わずか10歳か11歳の男の子だ。誰かこの出来事について耳にした?話題にはなっているの?FOXニュースやCNNは報道した?

 だけど、略奪者や殺人者。ギャング、民兵、そしておまけに米軍の心配までしなければならないのは本当に厄介。
 「恩知らずのイラク人め!アメリカ人は”お前たち”のためにしてやってるんだ。家宅捜査は”お前たち”のためにしてやってるんだ」
 でも本当は、度重なる強制家宅捜査の遂行目的はただ一つ。私たちが占領下にあること、独立国ではないこと、自由がないこと、解放されていないと絶えず思い知らせることにある。あらゆる物が誰か別の人のものになってしまった。

  「信じられない」
 「国連事務所ビルで爆発」があった。ひどい......。恐ろしく、そして悲しい。こんなことが起きたなんて信じられない。なぜ国連事務所ビルが標的になったのか、誰も理解できない。国連が援助目的でここにいるのは明らかなのに。
 強い怒りが湧き上がるけど、そのやり場がない。事態はなに一つ前進していない。この事件は、ほんの一例にすぎない。メディアはアル・カイダの仕業だと主張している。
 とんでもない。占領前はこの地にアル・カイダがいたことなど一度もない。原理主義者らは目立たないように鳴りをひそめていた。それが今、彼らはブレマーの傀儡政権に対し、イラク国民を"代表”しているといって”いたる所に”いる。
 でもね、わかる?石油省にはこうした事態は”決して”起こらない。石油省には24時間ぶっ通しで1日の休みもなく戦車と軍が厳戒態勢を強いている。警戒はバグダッド陥落以来ずっと続いている。そしてブレマーの油断ない監視のもと、石油の最後の一滴が尽きるまで続くのだろう。
 なのにいったいなぜ、国連事務所ビルの前に戦車を1台配備しておけなかったの?なぜ?なぜなの?ペンタゴンのはかりごとが恐ろしいものであることはこれまでのことでよくわかっている。だったら、アメリカ当局は、今回のようなことが起こることははるか以前から知っていて当然じゃない?

*(訳注「国連事務所ビルで爆発」:2003年8月19日、バグダッドの国連本部事務所ビルで車を使った爆弾テロが発生。セルジオ・デメロ国連事務総長特別代表を含む20人以上が犠牲になった。)

2003年8月20日
   「放心状態」
 「セルジオ・デメロ」の死は破滅的だ。みんな少し放心状態になっている。デメロの存在は、この数ヶ月、イラクが経験したことでは一番いいことだったのに。国連が戦争阻止に役立たなかったことは事実だけれど、デメロのような人を見ていると、私たちはかすかな希望の兆しを感じることができた。そこには、国際社会が注意深く見守っていれば、絶対にアメリカはバグダッドで無茶はできないだろう、と思わせるものがあった。

*(訳注「セルジオ・デメロ」:リオ・デ・ジャネイロ生まれのブラジル人で、国連コソボ暫定行政支援団の臨時特別代表や国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)の事務総長を歴任。2002年9月、4年の任期で国連人権高等弁務官の職務に就いた。2003年5月にイラク問題担当事務総長特別代表に任命され、人権高等弁務官を兼務しながらバグダッドに赴任していたが、19日の爆弾テロの犠牲となった)

 ブレマーは爆破事件を ”抵抗勢力”やアル・カーイダに結びつけようとしている。でも、これは新手の攻撃。これこそはテロですよ、ブッシュさん。占領軍に対する攻撃ではないのだから。占領軍に対して行われる攻撃はレジスタンスです。

 あなたたちが防げなかった、あるいは防ごうとしなかった人道援助機関への攻撃。イラク占領前には経験したことのないテロリズムだ。どれほど困難な事態にあったときも、私たちはこのイラクで国連や大使館の爆破を許したことはない。UNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)は決して好意を持たれていなかったけれど、保護はされていた。
 アメリカは占領軍として、残骸となったこの国の安全を保障する責任がある。このイラクの地で人を助けるあらゆる国際的人道援助機関の安全を保障する責任がある。アメリカは恐ろしいことにその責任をとことん回避し続けてきたのだ。

 なんだか怖い。デメロのような人を守れなかったら、あるいはただ守らなかったのなら、イラクで保護を必要とする何百万人もの国民はいったいどうなるのだろうか。なぜこんなことが起こりえたのだろうか?

 一部のメディアは、デメロの訃報にブレマーは泣きくずれたというが、なぜ泣いたのか、私にはわからない。デメロの死でブレマーが失ったものなどない。......デメロの死はイラクにとっての損失なのだ。

2003年8月21日
   「Eメール」
 すごい!サラームのブログに載ったおかげで、何十通もEメールを受け取った。ほとんどのメールには感謝の気持ちを抱かずにはいられない。理解してくださってありがとう。いや、理解”しよう”としてくださってありがとう。
 その他のものは、批判と皮肉と怒りに満ちている。読みたくなければ私のブログを読まなくて結構。 
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