同級生のちょっとした悪さも「さらりと、かわされた」天皇陛下 即位前に語った「覚悟はできています」の言葉〈dot.〉
学習院中等科から大学まで――。天皇陛下がまだ、「少年浩宮」であった昭和の時代。多感な青春時代をともに過ごした今井明彦さん(63)さんは、家族ぐるみの交流を続ける陛下の友人だ。同級生が知る天皇陛下の素顔とは。 【写真】雅子さまとシンクロ! 愛子さまとのドレス姿はこちら!
* * * 盆栽が好きでおじいさんみたいだから「じい」。
陛下も、そんなあだ名を喜んで受け入れていました。でも、僕たちは、先生から「殿下」とお呼びするようにと言われましたので、「殿下」とお呼びしていました。
校内では浩宮さまの侍従や護衛官も教室の外で常に待機していたと記憶しております。 皇位継承者としての特殊な環境は、当然あります。しかし、そうはいっても子ども同士。特に、中等科からは男子校ですので最低限の礼儀は守りつつも、自然と男同士のつき合いになります。
中等科のお昼は、お弁当です。じかにたずねたことはありませんが、「殿下のお弁当は美智子さまの手作りなのだろうな」と、僕らはぼんやりと想像していました。たまに、「殿下のお弁当は、豪華なお弁当だったのか」と聞かれることもありますが、容器が重箱ということもありません。おかずも卵焼きなど、ごく普通のお弁当でした。
この時期の男子など、みんな悪ガキですからね。僕も仲間と一緒になって、普段は殿下の目には触れないような雑誌や写真が載った本をお見せするといった定番の悪さもしました。
しかし、悪ガキの期待はあっという間にしぼみました。さすが、といいますか殿下の反応は、いつもどおりニコニコするだけ。さらりと、受け流してしまったからです。
普段から、動じる様子をほとんど見せなかったのは、幼い頃から受けた「教育」のなせる技かもしれませんね。
卒業後も私は、同窓会の幹事を引き受けていたこともあり、比較的陛下とは連絡を取っていました。
毎年お正月には、家族ぐるみで同級生仲間と東宮御所におうかがいします。おせち料理を頂き、雅子さまや愛子さまもご一緒に、年始のお祝いをさせていただくのです。
私たちは、陛下とはざっくばらんに話をする友人です。皇太子だった平成の時期に、「時代に即した新しい公務を」と発言されたように、新しい皇室の在り方を模索していらっしゃった。
いよいよ即位を前にした時期。我々は、「いまのお気持ち」や、「目指す天皇像」についてお尋ねしたことがありました。陛下はいつもの落ち着いた表情でした。しかし、はっきりとこうおっしゃったのは、印象深く覚えています。 「覚悟はできています」 そして、こうも。 「幼い頃より、祖父である昭和天皇や父である陛下(上皇さま)のなさりようを目の前で学んできた。基本的には、自分も同様に国民と接していきたい。特に自分の足で現地に行き、自分の言葉でじかに、人びとと話をすることを大事にしたい」
これは、昔から一貫しておっしゃっていました。ですので、コロナ禍によって公務が中止になり、リモートによる公務が中心になった時期は、忸怩たる思いでいらしたことでしょう。
令和の天皇としての陛下の原動力になっているのは、まちがいなくご家族です。「私」よりも「公」を優先するのが当然だったのが、昭和と平成の皇室でした。そして、国民もそれを求めていました。 雅子さまと愛子さまという、家庭も公務も両方を大事にしようとされた。そして、時代とともに価値観も変わり、皇室に対して求めるものも変わりました。
父親が家庭を顧みずに仕事にまい進することが是とされた時代はとうに終わり、育児に参加する父親像は普通になりました。
陛下が実践してきた、家庭と公務のどちらも大切にするというあり方が国民と皇室で共有できるようになったのは、新しい変化でした。
一方で心配なのは、皇室に求める価値観の急激な変化です。
昭和の時代から、テレビや雑誌などが皇族の外見や服装に注目する現象はありました。しかし、皇室への敬意だけが失われ、芸能人と同一視する風潮には不安を感じます。
天皇陛下は63歳の誕生日を迎えました。昔であれば定年退職の年齢ですが、いまの時代、まだまだ働き盛りです。私たち同級生と語り合い、議論した「令和の天皇像」をどう実現なさるのか、期待をしております。
(聞き手/AERA dot.編集部・永井貴子)