とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『帝国以後』(『帝国以後と日本の選択』)エマニュエル・トッド  

2008年03月03日 12時28分46秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
(私注:こんな論調です。)
 著者紹介(引用):エマニュエル・トッド 1951年生まれ。ケンブリッジ大学歴史学博士。パリ政治学院を卒業。現在、国立人口学研究所資料局長。

出典:『帝国以後』
(裏表紙の紹介文の引用)
 私は本書において一つの説明モデルを展開して行く積りである。それは形としては逆説となっているが、その核心はかなり単純に次のように要約できる。
 すなわち、世界が民主主義を発見し、政治的にはアメリカなしでやって行くすべを学びつつあるまさにその時、アメリカの方は、その民主主義的性格を失おうとしており、己が経済的に世界なしではやって行けないことを発見しつつある、ということである。
 世界はしたがって、二重の逆転に直面している。
 まず世界とアメリカ合衆国の間の経済的依存関係の逆転、そして民主主義の推進力が今後はユーラシアではプラス方向に向かい、アメリカではマイナス方向に向かうという逆転である。

『帝国以後』
 日本の読者へ
 
「本書はフランスでは2002年9月初旬に刊行された。批評界は明らかにアメリカ帝国の衰退という仮説を冷静に受け止める準備ができており、本書は全体として好評をもって迎えられた。その日以降に起こった出来事の推移は、本書が提出した解釈と予測の正しさを広範に立証していると言わねばならない。過程が加速化したとさえ言えることが出来る。つい最近まで国際秩序の要因であったアメリカ合衆国は、ますます明瞭に秩序破壊の要因となりつつある。
 イラク戦争突入と世界平和の破棄はこの観点からすると決定的段階である。10年以上に及ぶ経済封鎖で疲弊した、人口2300万のイラクに世界一の大国アメリカ合衆国が仕掛けた侵攻戦争は、「演劇的小規模軍事行動主義」のこの上ない具体例に他ならない。メディアを通して華々しい戦闘が展開するだろうが、これによって根本的な現実、すなわち選ばれた敵のサイズがアメリカの国力を規定しているという現実が覆い隠されるようなことがあってはならない。弱者を攻撃するというのは、自分の強さを人に納得させる良い手とは言えない。本書の中心的命題の通りに、戦略的に取るに足らない敵を攻撃することによって、アメリカ合衆国は己が相変わらず世界にとって欠かすことのできない強国だと主張しているのである。軍国的で、せわしなく動き回り、定見もなく、不安にかられ、己の国内の混乱を世界中に投影する、そんなアメリカは世界は必要としていない。(中略)
 
 この戦争は、第一次湾岸戦争の時のように「同盟国」が財政負担をしようとしなくなっているので、出費がかさむ。(中略)
 
 全世界の指導階層は、世界資本主義の調節の中心たる大国が、単に正常な経済合理性の規則を踏み外しつつあるのではないかと、ますます疑いを強めている。
 冒険主義はそれゆえ軍事にのみ見られるものではない。金融にも見られるのだ。そして今後数年ないし数ヶ月間に、アメリカ合衆国に投資したヨーロッパとアジアの金融機関は大金を失うだろうと予言することができる。(中略)
 
 アメリカは世界の統制権を失いつつある。自由世界のリーダーとして立ち現れるどころか、アメリカ合衆国は国連の意向に反してイラク攻撃を開始した。これは国際法の蹂躙であり、正当性の失墜はだれの目にも明らかである。(中略)
 
 日本政府がアメリカの行動を受け入れた理由は、日本の地政学的孤立によって大方説明がつく。ドイツはヨーロッパの中に包含され、一応は核武装大国であるフランスと手を結んでいるため、非常に弱体化したロシアと協調することができ、戦略的犠牲をあまり払うことなしに、アメリカの統制を逃れることができる。日本の方は、北朝鮮問題と、アメリカ合衆国に替わる地域的同盟者がいないことを考慮しなくてはならない。もし、アメリカの外交的・軍事的無責任性が今後ますます確実となって行くとしたら、日本が軍事的・戦略的により自立的でないことを、もっと明確な言い方をするなら、世界の均衡の再編成によりよく参画するためによりよく武装されていないことを、ヨーロッパ人たちは大いに悔やむことになるかもしれない。しかし私としては、日本国民にとってヒロシマとナガサキの後遺症のあらゆる広がりと深さを実感し理解することができない以上、思弁を行うことは差し控え、謙虚の態度を示すべきであろう。
 アメリカとの関係は日本人にとって未だかってない複雑さに支配されたものにならざるを得ない。目下のところアジアにおけるアメリカの安全保障システムへの依存の度合いが高いが故に、アメリカの軍事行動の様式のある程度の野蛮な側面は、ヨーロッパ人以上に自覚してもいるのである。
 もしかしたら、アメリカの戦費に日本が財政的協力をしないというだけでも、アメリカ・システムの崩壊に十分な貢献となるかも知れない。確実なのは、ドイツが第二次世界大戦中の一般市民への大量爆撃の被害の意味について敢然として考察しようとしている現今、イデオロギー面において、世界は1945年の核攻撃に関する論争をしないで済ませることはできない、ということである。ある種のアメリカの軍事行為は、戦争犯罪のカテゴリー、場合によっては人類に対する犯罪のカテゴリーに入れられるべきなのである。世界がこの論争を受け入れない限り、アメリカは非武装住民に対する爆撃というお気に入りの軍事的慣習行動に専心することを、大した批判も受けずに続けることができるだろう。(中略)

 ロシア、日本、ドイツが、そしてイギリスが――あり得ないとは言えない――外交的自由を取り戻した時に初めて、第二次世界大戦から産まれた冷戦の世界は決定的に終わりを告げることになるだろう。イデオロギーと帝国の時代は終焉を迎えるだろう。複数の大国――ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ロシア、日本、中国――の間の均衡がシステムの規則となるだろう。これらの大国のうちのどれ一つとして、自らをこの地上における「善」の独占的・排他的な代表であると宣言することはなくなるであろう。それによって平和はより確実に保証されるだろう。

 この文を草しているこの時点において、イラク戦争の結末はいかなるものか、正確には分からない。分かっていることは、イラクの軍と住民の抵抗はアメリカ政府が予想したよりもはるかに強大であるということである。(中略)覇権を握る強国の衰退は、長期的に言って旧世界の自己組織能力を解放してゆくだろう。(中略)
 
 1980年のソ連軍のアフガニスタン侵入はソヴィエト帝国の崩壊を妨げはしなかった。むしろ逆である。イラクに対する戦争は、アメリカ・システムの命を救うことはないであろう」――2003年3月26日  エマニュエル・トッド

(私注:『帝国以後』は27カ国以上で翻訳され、邦訳は、2003年4月30日刊行)

(私注:論展開の前に「開戦」という項目があり、そのなかで印象的な文章は、以下のようなものです。
●「アメリカは現在、世界にとって問題となりつつある」

●「ロシア、中国、イランの絶対的優先課題は経済発展であり、この三国はもはや次のような戦略的関心しか持たないのである。すなわち、アメリカの挑発に抵抗すること、何もしないこと、そして、十年前だったら考えられなかった逆転であるが、世界の安定と秩序のために闘うこと、である。」

●「ヨーロッパ人は、アメリカがイスラエル・パレスチナ問題を解決する絶対的権限を持っているのに、なぜ解決しようとしないのか、理解できない。」

●「病的で天才的なテロリスト集団であるアルカイダ組織は、地球上のあちこちで姿を現したわけではなく、正確に画定された一地域、すなわちサウジアラビアから出現した。ビンラディンとその副官たちは、その核心部分に加えて、エジプトからの移住者を何人かと、西ヨーロッパの都市郊外から来た一握りのあぶれ者を雇い入れただけである。ところがアメリカは、アルカイダを安定的な不吉な勢力に仕立て上げようと努めている。こうすれば、ボスニアからフィリッピン、チェチェンからパキスタン、レバノンからイエメンまで、世界中至る所に出没する”テロリズム”が正当化の口実となってくれ、アメリカはいついかなる場所においていかなる懲罰行動を行うこともできるようになる。テロリズムを世界的武装勢力のステータスにまで持ち上げることによって、”地球規模の戦争状態が制度化されることになる。”」)
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