『帝国以後と日本の選択』エマニュエル・トッド
序 アメリカニズム以後――「親米 vs 反米」の終焉
「親米 vs 反米」からポスト・アメリカニズムへ
――フランスではジョージ・ブッシュの人柄のゆえに反米主義が掻き立てられましたが、それはもっと深い根を持っており、たまたまイラク戦争をきっかけとして、表に現れたのだ、ということなのでしょうか。
私にとっては、反米主義の問題系は完全に過去のものです。私が『帝国以後』を出したとき、ジャーナリストが発する典型的な質問とは、あなたは反米ですか、フランス人は反米的なのか......,というものでした。私は自分の本の中ですでに構造的反米主義を揶揄していましたし、間もなく別なものへと移行しつつあるところだという予感がありました。私の見るところ、反米主義の問題系とは、根本的にアメリカ合衆国の実際の優位という状況に結びついたものです。
アメリカ合衆国の衰退が客観的であり、現実のものであり、だれの目にもとれる状況に該当するアクチュアルな概念とは、「ポスト・アメリカ主義」であると考えます。
――つまりアメリカは参照基準であることをやめた、ということですか。
われわれはついに一極集中することのない状況にあるということです。以前はヨーロッパにとってアメリカとは、自分が何者かを決定する際に参照しなければならない未来でした。受け入れるか、撥ねつけるか、それは「賛成」か「反対」か、いずれにせよ、それは未来を決める参照基準だったのです。ところが今では現実は、イラク戦争に触れるまでもなく、ヨーロッパ人にとってアメリカ合衆国とは――日本人にとっても同様だと思いますが――、あらゆるものにおいて質が劣った国なのです。ヨーロッパは、アメリカよりはるかにオートメーション化された世界です。それでも日本のオートメーション化の水準には及びませんが。現在起こっているのは、こういうことです。フランスの政治姿勢を根本的に反米的な姿勢とする解釈が行われたことは私も承知していますが、現在ヨーロッパで進行しているのは、実は離脱の過程だと私は考えます。
ヨーロッパの対米姿勢
――それはアメリカ合衆国に対する無関心の率が世論調査で増加していることから、非常に目につくことですね。
ところが逆に、いまやアメリカ人の方が反ヨーロッパ的になりつつあるのです。実のところ、現在の局面におけるヨーロッパ人の秘かな夢というのは、次のようなものだと言うべきでしょう。すなわち、アメリカ合衆国は堅調を維持してくれる、そして生活水準という点では対等性が回復されたという事実に基いて、アメリカとヨーロッパは同盟関係を維持し続け、その上で問題は忘れてしまう、というものです。
ヨーロッパ人には、体験した現実、自分たちの歴史、そして自分たちの間での問題があります。ヨーロッパ人は、自分たちの特大の飛行機を製造し、宇宙空間に自分たちのGPS(全地球測定システム)を飛ばしており、何でも自分でやることができます。もはやアメリカ人を必要としないのです。ヨーロッパ各国が何らかの科学技術的計画で合意するなら、アメリカ人を「打ち負かす」ことができます。それも、いまやヨーロッパには技術者と科学者がアメリカ人よりたくさんいるという単純な理由からです。
ヨーロッパ人は、できればアメリカ合衆国に好意を抱いていたいと思っています。
そうした中でイラク戦争は反米主義を伸張させることになりましたが、私に言わせればそれは現実的な意味での反米主義ではありません。反米主義というのは、文明的な問題、つまり支配的な文明を拒否するということです。アメリカ合衆国が世界で展開する軍事行動と外交行動に対する政治的反対というものがあります。かってはある意味では平和と繁栄と自由の保証人であったアメリカ人は、単なる戦争の扇動者になってしまったからです。彼らはつじつまの合わない戦争を仕掛け、世界を戦火と流血の場と化してしまう連中なのです。
反発ではなく軽視的態度
ポスト・アメリカ的であるということは、もちろん軽視的態度をとることになりますが、軽視というのは、反米主義ではありません。反米主義とは、強者に対する弱者の関わりかたなのです。劣等感に結びついたものです。今は劣等感が消滅しつつあり、そこで人々が抱くのは、軽視的な判断であり、遠ざかりたいという欲求であるわけです。
アメリカの現状を知るフランス
フランス人はかなり旅行をします。アメリカが非常に多様性を抱えた国であるとは、私は思いません。国外からの移住者は数世代の間にすっかり平準化されてしまうからです。
ブッシュの2度の選挙――選挙というか、選挙まがいのものというか、何と呼んだらいいのか分かりませんが――は、2つのアメリカ、ひじょうに分極化した2つのアメリカが存在するということを、世界に対して暴露しました。
最もポスト・アメリカ的なドイツ
アメリカ人が、フランス人が張本人だと想定される反米主義に的を絞ろうとしたのは、真の問題に直面した恐怖の反応から来ているのだと、私は思います。その真の問題とはドイツです。
フランスの世論一般は完全にイラク戦争に反対でした。しかし、エリート層は、結局のところ、かなり分裂していました。ラジオやテレビのスタジオで、徹底的にポスト・アメリカ的な私の意見を述べると、まずいことになったものです。フランスは、反アメリカで固まった同質的な世界などでは全くありません。それに反して本当に重要なこととは、「ドイツの離反」です。
*(訳注「ドイツの離反」:イラク戦争直前の国連安保理において、ドイツはアメリカの圧力に屈することなく、フランスと歩調を合わせて、イラクへの武力行使反対の立場を貫いた。)
輸出の面で、アメリカ合衆国を技術的に本当に上から見下ろすことができる国は、ドイツと日本です。現にドイツ人は遠慮会釈もなく上から見下ろしています。
ヨーロッパの国で、ポスト・アメリカ時代への突入が疑わしい国は、イギリスです。体質的な絆、つまり文化的な絆があるからです。ですから、私がイギリスに対して、どう考えろとは言えません。しかしイギリス国民は他のヨーロッパ諸国と同様に戦争に反対しました。アメリカ合衆国が未来の国というイメージを保ち続けている唯一の地域は、旧ソ連圏の東欧諸国です。しかし私に言わせれば、それはまさに自覚に達するのが遅れているだけのことです。
アメリカの反欧主義こそ衰退の証
ほとんど旅行することのないアメリカ人は大勢いると思います。こういうアメリカ人は、普通フランス人の欠点とされている、自己中心的とか尊大、等々の欠点を持っています。いま目につくことの一切、ネオコンサヴァティズム、超過激共和党支持、ダーウィン説の排除(まさに文化的退行現象です!)これはいまだ仮定にすぎませんが、これらのアメリカ人たちは、自分の国の遅れが拡大してゆく(携帯コンピューターはほんの序の口です)をその目で見ていると思います。さまざまな物品・機器の完成度の違いは、日常生活の中でいやでも目につきます。
英語覇権が隠すアメリカの衰退
事態が見えにくいのは、英語の優位のせいです。私としては世界を統一するものはヴォルテールの言語(フランス語)であって欲しかったと思いますが、すでに1つあるのですから仕様がありません。ところがこの英語覇権現象こそが、アメリカ合衆国の文化的衰退を覆い隠しているのです。この言語が帝国滅亡のあとに生き残るのは明らかです。
アメリカ合衆国の文化的衰退の一部分は、これもやはり、文化や知的生産、大学の伝統といった面でイギリスの重要性が存続していることによって覆い隠されています。イギリスは、アメリカ合衆国と同じ種類の衰退に見舞われておりませんから。
(私注:かなり無作為な引用で申し訳ありません。が、こういった論調を読むと、個人的には感慨深さを感じます。アフガン戦争の折りに泥縄式に珍しく原文で読んだ本のタイトルは『アメリカとの対決はどうしても避けられない』であり、むろん、著者は異なりますが、あの帝国主義者め、覇権主義の化け物めとののしりながら、しかしEUはただいま揺籃期にあり力がない。が、おそらくあと20年後にはアメリカの経済に亀裂が生じるであろう。その時がチャンスだ。台頭してくるのは韓国、中国であり、そこにEUが突入できるであろう、と、こんな論調でしたから.....)
序 アメリカニズム以後――「親米 vs 反米」の終焉
「親米 vs 反米」からポスト・アメリカニズムへ
――フランスではジョージ・ブッシュの人柄のゆえに反米主義が掻き立てられましたが、それはもっと深い根を持っており、たまたまイラク戦争をきっかけとして、表に現れたのだ、ということなのでしょうか。
私にとっては、反米主義の問題系は完全に過去のものです。私が『帝国以後』を出したとき、ジャーナリストが発する典型的な質問とは、あなたは反米ですか、フランス人は反米的なのか......,というものでした。私は自分の本の中ですでに構造的反米主義を揶揄していましたし、間もなく別なものへと移行しつつあるところだという予感がありました。私の見るところ、反米主義の問題系とは、根本的にアメリカ合衆国の実際の優位という状況に結びついたものです。
アメリカ合衆国の衰退が客観的であり、現実のものであり、だれの目にもとれる状況に該当するアクチュアルな概念とは、「ポスト・アメリカ主義」であると考えます。
――つまりアメリカは参照基準であることをやめた、ということですか。
われわれはついに一極集中することのない状況にあるということです。以前はヨーロッパにとってアメリカとは、自分が何者かを決定する際に参照しなければならない未来でした。受け入れるか、撥ねつけるか、それは「賛成」か「反対」か、いずれにせよ、それは未来を決める参照基準だったのです。ところが今では現実は、イラク戦争に触れるまでもなく、ヨーロッパ人にとってアメリカ合衆国とは――日本人にとっても同様だと思いますが――、あらゆるものにおいて質が劣った国なのです。ヨーロッパは、アメリカよりはるかにオートメーション化された世界です。それでも日本のオートメーション化の水準には及びませんが。現在起こっているのは、こういうことです。フランスの政治姿勢を根本的に反米的な姿勢とする解釈が行われたことは私も承知していますが、現在ヨーロッパで進行しているのは、実は離脱の過程だと私は考えます。
ヨーロッパの対米姿勢
――それはアメリカ合衆国に対する無関心の率が世論調査で増加していることから、非常に目につくことですね。
ところが逆に、いまやアメリカ人の方が反ヨーロッパ的になりつつあるのです。実のところ、現在の局面におけるヨーロッパ人の秘かな夢というのは、次のようなものだと言うべきでしょう。すなわち、アメリカ合衆国は堅調を維持してくれる、そして生活水準という点では対等性が回復されたという事実に基いて、アメリカとヨーロッパは同盟関係を維持し続け、その上で問題は忘れてしまう、というものです。
ヨーロッパ人には、体験した現実、自分たちの歴史、そして自分たちの間での問題があります。ヨーロッパ人は、自分たちの特大の飛行機を製造し、宇宙空間に自分たちのGPS(全地球測定システム)を飛ばしており、何でも自分でやることができます。もはやアメリカ人を必要としないのです。ヨーロッパ各国が何らかの科学技術的計画で合意するなら、アメリカ人を「打ち負かす」ことができます。それも、いまやヨーロッパには技術者と科学者がアメリカ人よりたくさんいるという単純な理由からです。
ヨーロッパ人は、できればアメリカ合衆国に好意を抱いていたいと思っています。
そうした中でイラク戦争は反米主義を伸張させることになりましたが、私に言わせればそれは現実的な意味での反米主義ではありません。反米主義というのは、文明的な問題、つまり支配的な文明を拒否するということです。アメリカ合衆国が世界で展開する軍事行動と外交行動に対する政治的反対というものがあります。かってはある意味では平和と繁栄と自由の保証人であったアメリカ人は、単なる戦争の扇動者になってしまったからです。彼らはつじつまの合わない戦争を仕掛け、世界を戦火と流血の場と化してしまう連中なのです。
反発ではなく軽視的態度
ポスト・アメリカ的であるということは、もちろん軽視的態度をとることになりますが、軽視というのは、反米主義ではありません。反米主義とは、強者に対する弱者の関わりかたなのです。劣等感に結びついたものです。今は劣等感が消滅しつつあり、そこで人々が抱くのは、軽視的な判断であり、遠ざかりたいという欲求であるわけです。
アメリカの現状を知るフランス
フランス人はかなり旅行をします。アメリカが非常に多様性を抱えた国であるとは、私は思いません。国外からの移住者は数世代の間にすっかり平準化されてしまうからです。
ブッシュの2度の選挙――選挙というか、選挙まがいのものというか、何と呼んだらいいのか分かりませんが――は、2つのアメリカ、ひじょうに分極化した2つのアメリカが存在するということを、世界に対して暴露しました。
最もポスト・アメリカ的なドイツ
アメリカ人が、フランス人が張本人だと想定される反米主義に的を絞ろうとしたのは、真の問題に直面した恐怖の反応から来ているのだと、私は思います。その真の問題とはドイツです。
フランスの世論一般は完全にイラク戦争に反対でした。しかし、エリート層は、結局のところ、かなり分裂していました。ラジオやテレビのスタジオで、徹底的にポスト・アメリカ的な私の意見を述べると、まずいことになったものです。フランスは、反アメリカで固まった同質的な世界などでは全くありません。それに反して本当に重要なこととは、「ドイツの離反」です。
*(訳注「ドイツの離反」:イラク戦争直前の国連安保理において、ドイツはアメリカの圧力に屈することなく、フランスと歩調を合わせて、イラクへの武力行使反対の立場を貫いた。)
輸出の面で、アメリカ合衆国を技術的に本当に上から見下ろすことができる国は、ドイツと日本です。現にドイツ人は遠慮会釈もなく上から見下ろしています。
ヨーロッパの国で、ポスト・アメリカ時代への突入が疑わしい国は、イギリスです。体質的な絆、つまり文化的な絆があるからです。ですから、私がイギリスに対して、どう考えろとは言えません。しかしイギリス国民は他のヨーロッパ諸国と同様に戦争に反対しました。アメリカ合衆国が未来の国というイメージを保ち続けている唯一の地域は、旧ソ連圏の東欧諸国です。しかし私に言わせれば、それはまさに自覚に達するのが遅れているだけのことです。
アメリカの反欧主義こそ衰退の証
ほとんど旅行することのないアメリカ人は大勢いると思います。こういうアメリカ人は、普通フランス人の欠点とされている、自己中心的とか尊大、等々の欠点を持っています。いま目につくことの一切、ネオコンサヴァティズム、超過激共和党支持、ダーウィン説の排除(まさに文化的退行現象です!)これはいまだ仮定にすぎませんが、これらのアメリカ人たちは、自分の国の遅れが拡大してゆく(携帯コンピューターはほんの序の口です)をその目で見ていると思います。さまざまな物品・機器の完成度の違いは、日常生活の中でいやでも目につきます。
英語覇権が隠すアメリカの衰退
事態が見えにくいのは、英語の優位のせいです。私としては世界を統一するものはヴォルテールの言語(フランス語)であって欲しかったと思いますが、すでに1つあるのですから仕様がありません。ところがこの英語覇権現象こそが、アメリカ合衆国の文化的衰退を覆い隠しているのです。この言語が帝国滅亡のあとに生き残るのは明らかです。
アメリカ合衆国の文化的衰退の一部分は、これもやはり、文化や知的生産、大学の伝統といった面でイギリスの重要性が存続していることによって覆い隠されています。イギリスは、アメリカ合衆国と同じ種類の衰退に見舞われておりませんから。
(私注:かなり無作為な引用で申し訳ありません。が、こういった論調を読むと、個人的には感慨深さを感じます。アフガン戦争の折りに泥縄式に珍しく原文で読んだ本のタイトルは『アメリカとの対決はどうしても避けられない』であり、むろん、著者は異なりますが、あの帝国主義者め、覇権主義の化け物めとののしりながら、しかしEUはただいま揺籃期にあり力がない。が、おそらくあと20年後にはアメリカの経済に亀裂が生じるであろう。その時がチャンスだ。台頭してくるのは韓国、中国であり、そこにEUが突入できるであろう、と、こんな論調でしたから.....)