御年79才。この人の行動力には、誰も敵わない。1月19日、俳優で歌手の杉良太郎が、能登半島地震の避難所・石川県金沢市「いしかわ総合スポーツセンター」で、炊き出しを行った。寒風吹きすさぶ中で、自らメニューを考案した肉うどんを約300人分も振る舞い、デザートのイチゴのヘタも、自ら1つずつ包丁で切り取るほどだった。
「(被災者には)精神面のケアがすごく大事。(今は)ショックから不安に変わってますから」
杉から、うどんを手渡された70代女性避難者は「顔見ただけで元気が出ました」と感激。車いす姿の80代女性は、杉の手を握り号泣した。芸能生活59年間、福祉活動や寄付に私財40億円以上も投じてきた杉の手は、この日も温かかった。
地震からまだ半月だが、自前で運んだ支援物資の数は、個人としては破格の物量だ。
ペーパータオル、フェイスタオル、ボディタオル、スリッパが各600個。下着、スウェット上下、車いす座布団が各200個。高齢者向けの入れ歯洗浄剤など、その内容にも心配りがうかがえる。
3日間の炊き出しでは、うどんのほかに、カレーや炊き込みごはん、肉野菜炒めや豚汁、果物と、ありがたい品ぞろえ。「自分の家だとライフラインがやられているので、1日3食作るのも大変。避難して良かったと言われるような食べ物を提供したい」と杉。東京からキッチンカー3台で駆けつけて、淡路島産たまねぎ、千葉産さつまいもなど、自分の農園で採れた野菜で作った。
「あり余るほどのお金があると思われがちですが、実際は過去には資金集めで銀行から1億円を借りるなど、身を投げうってきた人なんです」と明かすのは、ある芸能関係者だ。
演歌歌手の妻・伍代夏子(62才)との私生活も、いわゆるセレブ暮らしではなく、堅実な日常だという。「それでも人助けを続けるのは、それが杉さんの生き様だからです」(前出・芸能関係者)。
「芸能人の売名」との指摘に杉の考えは
もはや、毎度おなじみだが、今回もSNSなど上では「偽善者」や「売名行為」という声も上がるが、杉は「被災者にそんなこと言っている暇は無いんだよ。被災者にはどうだっていいこと。明日は我が身。あなたのところも起きるんだから。みんなで協力していくしかないんだよ」と一蹴した。
思い起こされるのは、12年前の東日本大震災時だ。やはり宮城県石巻市へ、トレーラーや冷凍車など車両20台で数千人分の救援物資を大量に届けて、毎日5000食以上を炊き出しして、被災者を支援した。その2週間後には福島県南相馬市も訪れた。
そんな最中で「芸能人の売名」と言われた時だった。杉は「ええ、売名ですよ。皆さんもおやりになるといい」とピシャリ。「確かに福祉は時間とお金がかかる。特にお金が無いと見栄えのいい福祉はできない。でも、お金が無い人は、時間を寄付すればいい。お金も時間も無い人は、福祉を理解して、実際に活動している人に拍手を送るだけで十分。それで、もう立派な福祉家なんです」と説いていた。
現地での被災地支援は、1995年の阪神・淡路大震災に始まり、2004年中越地震、2011年東日本大震災、そして今回。平穏が戻った後も、それら各地での定期慰問は欠かさない。ほかにも、約30年間かけて、ベトナムでは数多くの学校や孤児院を設立。数百人の孤児を養子にしてきた。実は、昨年の12月もベトナムへ子供たちに会いに飛んでいた。
学校を50校建設したバングラデシュなど、他のアジア諸国や南米など世界中でも福祉活動を続ける。別に、ユネスコや赤十字といった組織や機関ではなく、全て個人活動で、だ。
国内でも、15才時から刑務所慰問を続けていて、現在は法務省下で特別矯正監の役も兼務中。2010年の尖閣諸島問題では、中国が日本へのレアメタル輸出を停止した際に、杉がベトナム産の輸入を主導して、国難を救っていた。「人助け」こそが杉の人生だ。
「ここで神経を使わないようにね」、「うどんで温まってって」、「できるだけ体を休めてね」。杉は、被災者たちの肩に手を添えて、一人ひとりに声を掛け回っていた。