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自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

ヘンリー王子の「英王室復帰願望」 メーガンさんとの浪費生活はもう限界 (2023/7/22)  ※AERAオンライン限定記事

2023年07月22日 15時40分01秒 | 海外王室
 
 
 
ヘンリー王子とメーガンさん/アフロ
ヘンリー王子とメーガンさん/アフロ© AERA dot. 提供

 アメリカに住むヘンリー王子(38)が「英王室に戻りたい」として兄のウィリアム皇太子(41)に電話をしたとミラー紙が報じた。父である国王にまた仕えたいと希望する。皇太子は突然の申し出に驚き、その場ではっきりした返事はしなかったという。

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 ヘンリー王子とメーガンさん(41)が王室離脱をしてから3年以上が過ぎた。当初二人はアメリカ人から歓迎された。英王室という権威に反旗を翻し、自立すると高らかに宣言した勇気がたたえられたのだ。メーガンさんは凱旋した英雄のようだった。多くのインタビューをこなし雑誌の表紙を飾り、講演も続いた。しかしあっという間に評判が落ちる。スポティファイの契約は打ち切られ、「詐欺師」とまで糾弾された。ネットフリックスのドキュメンタリー「ハリー&メーガン」は、2025年の契約更新を確実にするため、のどから手が出るほど欲しかったエミー賞の候補作にすら選ばれなかった。

 クリスチャン・ディオールのアンバサダー就任もたちまち全面否定され、映画「ボディガード2」のヒロインとしてメーガンさんが俳優復帰する話もいつの間にか立ち消えた。スタッフは短期間で次々と去り、親しかった友人らは距離をおくようになった。あれもダメこれもダメの八方ふさがりに陥り、二人は経済的に追い詰められていった。

 

 一方、支出はこれまで通りだ。約16億円の豪邸は固定資産税が年に約1千万円かかる。警備費は年に約5億円。メーガンさんの衣装代は1千万円をくだらない。家事をするハウススタッフもいるし、庭のプールとテニスコート、階段状のバラ園などの世話に専門家が必要。維持費の合計は年間約7億円以上とされる。

それでも、王子はダイアナ元妃から約14億円、エリザベス女王の母である皇太后からの約23億円という遺産が入り、また王子の軍人年金などで贅沢を慎めば十分に暮らせるはずだ。しかし今のところ、ダウンサイズの様子は見られない。

 ヘンリー王子はメーガンさんと一緒に王室に帰りたいとするが、メーガンさんは反対するという見方が圧倒的だ。これまでメーガンさんがイギリス国民からの支持を回復するチャンスは一度だけあった。それは今年5月の戴冠式に出席することだった。ヘンリー王子は単身で出席したが、いかにも居心地が悪そうだった。メーガンさんは自分の結婚式で、渡英しなかった父親の代わりに、チャールズ皇太子(当時)に手を取ってもらってバージンロードを歩いた。それなら今度はチャールズ国王(74)の戴冠という晴れの舞台に顔を見せて祝意を表すべきだった。おそらく卵が飛んできたり、ブーイングを浴びせられたりするだろうが耐えるべきだったのだ。メーガンさんの国王に対する恩知らずな選択に、国民は完全に見限ったといわれる。

 チャールズ国王は、カミラ王妃(76)との不倫がヘンリー王子が12歳で母を亡くす遠因になり、それが王子を不安定な精神状態にした可能性を否定しない。したがって改心した息子を受け入れる可能性がある。しかし、兄のウィリアム皇太子は複雑だ。かつて「王室に帰ることがあるなら、まず謝罪してほしい」と明言した。インタビューや暴露本などで王室を卑しめたことを指してだ。一方ヘンリ―王子は「まずメーガンに謝罪してほしい」と言っている。兄がメーガンさんとの結婚を考え直すようにアドバイスすると、「メーガンのような美人と結婚することを兄はねたんでいる」と受け取ってのことだった。

 万が一ヘンリー王子が王室に帰っても、兄はすでに皇太子だ。サセックス公爵との待遇の差は大きい。ヘンリー王子はかつて「ソーセージが兄より1本足りない」と訴えたように、また不満を持つのではないか。メーガンさんがキャサリン皇太子妃(41)にコーテシー(丁寧なお辞儀)をするとは思えず、再び隠しマイクをしのばせることも心配される。ヘンリー王子が王室復帰するなら手土産が必要。それは「離婚」しかないかもしれない。

(ジャーナリスト・多賀幹子)

多賀幹子さん ジャーナリスト(後編)|KUMON now!スペシャルインタビュー(画像はネットから借用)

多賀幹子 wikipedeia

東京都生まれ 東京都杉並区区立中学校の生徒であった時期がある[2]お茶の水女子大学文教育学部国文科[3] 卒。広告会社の編集者、編集長を経て、フリージャーナリストへ。女性・教育・異文化を取り上げる。

メーカー勤務の夫の転勤のため[4] 1983年から5年間アメリカ合衆国のニューヨークに滞在。

帰国後の1989年6月23日付け朝日新聞「論壇」に、「米国誘拐に警戒を強めよ」を掲載し、米国におけるチャイルドミッシングを紹介。その後現在に至る「子供を狙った事件の頻発」論に道を開くと同時に、男の子であっても油断はならないと主張した。

2020年10月に、40年以上連れ添った夫が死亡した


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