2003年8月28日
「闘論」
場面―リビングルーム
雰囲気―陰鬱
私たちと叔父一家のふた家族は所在なく集まっていた。大人たちはソファーにきちんと坐って、私たち ”子ども” は床の冷たいタイルの上で思い思いの格好でテレビを見ていた。みんな落ち込んでいた。たった今、ナダ・ドマーニ(イラク赤十字会長)が、攻撃が予想されるので職員の一部を引き上げヨルダンへ送ると決定したと発表するのを見たからだ。
赤十字への攻撃はとんでもない間違い情報だったということになりますように。誰が赤十字を攻撃するというの?誰もが赤十字を必要としているのに........。赤十字は、ただ医薬品や食料などの援助を行っているわけではない。捕虜・拘留者とCPAの仲立ちとしての役割を果たしている。赤十字が関わる前は、拘留者の家族たちは何ひとつ情報を得られなかった。家宅捜査や検問所で誰か(主として男性と少年)が拘束され、忽然と消えてしまうということが頻繁に起こっていた。家族は手がかりをと、米治安当局のあるホテルの前に何時間も立ちつくしていたのだ。
それで再び赤十字がなくなったら、どうすればいいのだろう?
それで、何が起こっているのか知りたくて、私たちはテレビの前に坐っていた。その時、誰かが弟の名を呼ぶ声を聞いて、すぐにテレビの音を小さくした。弟は、ただちに立ち上がって充電された銃を取り上げると、ジーンズの後ろに差し込んだ。
近所のRだった。
「アル・ジャジーラを見てる?見て!」
戦争後のイラクで、夜、人の名前を呼ばないで。それもアル・ジャジーラを見ろって言うために。塀を高くしたほうがいい。
アル・ジャジーラは、『闘論』をやっていた。アラブ人でない人のために言うと、中東の重要な政治問題や社会問題をテーマに2人のゲストが対立する立場でやり合う番組だ。視聴者は電話やEメールで参加し、どちらのゲストが優勢か投票したりもする。
驚いたのは、テーマではない。テーマはいつものように私たちイラクに関するものだ。驚いたのは、ゲストの1人がカンバルだったこと。彼はイラク国民会議のアフマド・チャラビに次ぐナンバー2で、スポークスマンだ。カンバルの冷酷で狡猾な顔が画面に出た途端、陰鬱だったリビングルームは、ブーイング、笑い、拍手、口笛で生き返った。彼を見ると、イラク人は浮かれ出す。
カンバルの "真価”を知っているのはアラブ人だけ。私が思うに、彼はスポークスマンだから、イラク国民会議の "外交官”という位置づけで輪番制議長と統治評議会を代表して番組に出ているのだ。彼は統治評議会の失敗の原因。アフマド・チャラビは憤死すべきよ。
カンバルは、ドライマスタードの塊みたいな茶色っぽいスーツを着て、白シャツに黒と黄の縞のネクタイ、すてきな黒い水玉の黄色いチーフ。髭は油かなにかで後ろになでつけられていて、小さな冷酷な目としわが刻まれた広い額がむき出しになっていた。政治問題のトークショーに出ているのではなく、吊るし上げられているように見えた。
彼は1時間以上も、電話してきたほとんどすべての人(イラク人もいた)から罵られ続けられていた。盗人、裏切り者、アメリカかぶれ、人殺しなどなど、彼のネクタイのように色とりどりな呼び名をもらって。彼の評議会 "擁護”の弁は、彼に投げつけられた具体的な非難と比べ、いかにもまずかった。彼が言ったのは、およそこんなこと――この戦争はすべて正しかった。経済制裁は正しかった。米国は正しかった。経済制裁の間に何人死のうと問題じゃない。今何人死のうとそれがどうした。サダムはいない。その代わりに評議会がある。重要なのはその点だ。
以上のことが、かん高い声で発せられた。
もう1人のゲストは、「アル・クッズ・アル・アラビ」の編集長だったが、驚いてほとんど口がきけないようだった。こんなやつが新政府の代表する者としてやってきたことが信じられないといった面持ちで、カンバルを見つめていた。これが、評議会の例の ”口先男”なら、なるほどイラク人は大変なわけだと。
*(訳注、「アル・クッズ・アル・アラビ」:ロンドンに拠点を置くアラビア語紙)
カンバルには政治的配慮や文化的な歯止めというものがない。論理的に言い返せない時は野卑に徹する。
「アブダビ・テレビ」での討論番組で、「ワミド・ナドミ」とやり合ったことがある。
*(訳注「アブダビ・テレビ」:アラブ首長国連邦(UAE)に本社を置く衛星テレビ局)
*(訳注、「ワミド・ナドミ」:バグダッド大学教授(政治思想)。統治評議会への参加を要請されたが固辞した。)
ワミド・ナドミは尊敬されている老人で、バース党員でもサダム忠誠者でもない。戦争のずっと以前からサダムと政府総体に対する批判の発言をしていたことからわかる。でも、彼は政権転覆の手段としての戦争に反対し、占領に反対していた。それが論点のすべてだった。
カンバルは、アメリカが正しくて、どいつも間違っているんだと馬鹿なことを1時間以上も言い立てた揚げ句、今度は侮辱しにかかった。
ワミドは冷静を保っていたが、「チャラビはいかさまで、こんな悪党に率いられるグループはどっちみち失敗するに決まってる」と言った。
そこへ突如カンバルが立ち上がり、ワミドに殴りかかったのだ。テレビで!
嘘じゃない、本当に殴りかかった。
気の毒にも司会者、ジャーシム・アッザーウィは取っ組み合いに巻き込まれ、彼の頭上でもみ合いが行われるという次第になった。両者を引き離そうとしながら、
「いったいどうしたんですか、あなたがた。いったいどうしたんですか」と叫んでいた。
これで、わかったでしょ。
では、他に誰を選ぶのか。こんなやつに替わるべきなのは、イラク国内で国民と共に暮らしてきたイラク人だ。サダムと手を結ばなかった、またCIAとも手を結ばなかったイラク人。ブッシュは、「あなたがたは我々と共に進むか、あるいは反対するか、どちらかだ」と言ったが、これは誤り。世界は黒と白だけではない。
この戦争に反対で、なおかつサダムにも反対という人々が大勢いる。この人々は無視され、その声は取り上げられない。ワシントンやロンドン、テヘランにいないからだ。
イラクには、大学教授、歴史学者、言語学者、弁護士、医師、技術者など知性と教養のある人たちがいて、十分国を統治していくことができる。この人たちは10年の経済制裁と3つの戦争を超えてきたイラクの人たちの心理がわかる。人々が何を望んでいるか、何がなされるべきか、知っている。この人たちこそふさわしい。だけどCPAのお眼鏡にはかなわない。CPAは、この人たちがアメリカに"忠実”であると信じられないからだ。そこへいくと傀儡政権は完璧。彼らはアメリカの戦車に乗ってやってきたのだし、アメリカの軍事力で据えられた。必要な時には(またその時が来れば)、すげ替えればいいのだ。
アラブに有名なことわざがある。「ラクダもロバに混じれば速い」。”ろくでもない連中のましな部分”と見られる人が、こう言われる。カンバルとチャラビがINC(おそらく評議会全体でも)の中のラクダであるなら、いったいロバって誰よ?と言いたい。
「闘論」
場面―リビングルーム
雰囲気―陰鬱
私たちと叔父一家のふた家族は所在なく集まっていた。大人たちはソファーにきちんと坐って、私たち ”子ども” は床の冷たいタイルの上で思い思いの格好でテレビを見ていた。みんな落ち込んでいた。たった今、ナダ・ドマーニ(イラク赤十字会長)が、攻撃が予想されるので職員の一部を引き上げヨルダンへ送ると決定したと発表するのを見たからだ。
赤十字への攻撃はとんでもない間違い情報だったということになりますように。誰が赤十字を攻撃するというの?誰もが赤十字を必要としているのに........。赤十字は、ただ医薬品や食料などの援助を行っているわけではない。捕虜・拘留者とCPAの仲立ちとしての役割を果たしている。赤十字が関わる前は、拘留者の家族たちは何ひとつ情報を得られなかった。家宅捜査や検問所で誰か(主として男性と少年)が拘束され、忽然と消えてしまうということが頻繁に起こっていた。家族は手がかりをと、米治安当局のあるホテルの前に何時間も立ちつくしていたのだ。
それで再び赤十字がなくなったら、どうすればいいのだろう?
それで、何が起こっているのか知りたくて、私たちはテレビの前に坐っていた。その時、誰かが弟の名を呼ぶ声を聞いて、すぐにテレビの音を小さくした。弟は、ただちに立ち上がって充電された銃を取り上げると、ジーンズの後ろに差し込んだ。
近所のRだった。
「アル・ジャジーラを見てる?見て!」
戦争後のイラクで、夜、人の名前を呼ばないで。それもアル・ジャジーラを見ろって言うために。塀を高くしたほうがいい。
アル・ジャジーラは、『闘論』をやっていた。アラブ人でない人のために言うと、中東の重要な政治問題や社会問題をテーマに2人のゲストが対立する立場でやり合う番組だ。視聴者は電話やEメールで参加し、どちらのゲストが優勢か投票したりもする。
驚いたのは、テーマではない。テーマはいつものように私たちイラクに関するものだ。驚いたのは、ゲストの1人がカンバルだったこと。彼はイラク国民会議のアフマド・チャラビに次ぐナンバー2で、スポークスマンだ。カンバルの冷酷で狡猾な顔が画面に出た途端、陰鬱だったリビングルームは、ブーイング、笑い、拍手、口笛で生き返った。彼を見ると、イラク人は浮かれ出す。
カンバルの "真価”を知っているのはアラブ人だけ。私が思うに、彼はスポークスマンだから、イラク国民会議の "外交官”という位置づけで輪番制議長と統治評議会を代表して番組に出ているのだ。彼は統治評議会の失敗の原因。アフマド・チャラビは憤死すべきよ。
カンバルは、ドライマスタードの塊みたいな茶色っぽいスーツを着て、白シャツに黒と黄の縞のネクタイ、すてきな黒い水玉の黄色いチーフ。髭は油かなにかで後ろになでつけられていて、小さな冷酷な目としわが刻まれた広い額がむき出しになっていた。政治問題のトークショーに出ているのではなく、吊るし上げられているように見えた。
彼は1時間以上も、電話してきたほとんどすべての人(イラク人もいた)から罵られ続けられていた。盗人、裏切り者、アメリカかぶれ、人殺しなどなど、彼のネクタイのように色とりどりな呼び名をもらって。彼の評議会 "擁護”の弁は、彼に投げつけられた具体的な非難と比べ、いかにもまずかった。彼が言ったのは、およそこんなこと――この戦争はすべて正しかった。経済制裁は正しかった。米国は正しかった。経済制裁の間に何人死のうと問題じゃない。今何人死のうとそれがどうした。サダムはいない。その代わりに評議会がある。重要なのはその点だ。
以上のことが、かん高い声で発せられた。
もう1人のゲストは、「アル・クッズ・アル・アラビ」の編集長だったが、驚いてほとんど口がきけないようだった。こんなやつが新政府の代表する者としてやってきたことが信じられないといった面持ちで、カンバルを見つめていた。これが、評議会の例の ”口先男”なら、なるほどイラク人は大変なわけだと。
*(訳注、「アル・クッズ・アル・アラビ」:ロンドンに拠点を置くアラビア語紙)
カンバルには政治的配慮や文化的な歯止めというものがない。論理的に言い返せない時は野卑に徹する。
「アブダビ・テレビ」での討論番組で、「ワミド・ナドミ」とやり合ったことがある。
*(訳注「アブダビ・テレビ」:アラブ首長国連邦(UAE)に本社を置く衛星テレビ局)
*(訳注、「ワミド・ナドミ」:バグダッド大学教授(政治思想)。統治評議会への参加を要請されたが固辞した。)
ワミド・ナドミは尊敬されている老人で、バース党員でもサダム忠誠者でもない。戦争のずっと以前からサダムと政府総体に対する批判の発言をしていたことからわかる。でも、彼は政権転覆の手段としての戦争に反対し、占領に反対していた。それが論点のすべてだった。
カンバルは、アメリカが正しくて、どいつも間違っているんだと馬鹿なことを1時間以上も言い立てた揚げ句、今度は侮辱しにかかった。
ワミドは冷静を保っていたが、「チャラビはいかさまで、こんな悪党に率いられるグループはどっちみち失敗するに決まってる」と言った。
そこへ突如カンバルが立ち上がり、ワミドに殴りかかったのだ。テレビで!
嘘じゃない、本当に殴りかかった。
気の毒にも司会者、ジャーシム・アッザーウィは取っ組み合いに巻き込まれ、彼の頭上でもみ合いが行われるという次第になった。両者を引き離そうとしながら、
「いったいどうしたんですか、あなたがた。いったいどうしたんですか」と叫んでいた。
これで、わかったでしょ。
では、他に誰を選ぶのか。こんなやつに替わるべきなのは、イラク国内で国民と共に暮らしてきたイラク人だ。サダムと手を結ばなかった、またCIAとも手を結ばなかったイラク人。ブッシュは、「あなたがたは我々と共に進むか、あるいは反対するか、どちらかだ」と言ったが、これは誤り。世界は黒と白だけではない。
この戦争に反対で、なおかつサダムにも反対という人々が大勢いる。この人々は無視され、その声は取り上げられない。ワシントンやロンドン、テヘランにいないからだ。
イラクには、大学教授、歴史学者、言語学者、弁護士、医師、技術者など知性と教養のある人たちがいて、十分国を統治していくことができる。この人たちは10年の経済制裁と3つの戦争を超えてきたイラクの人たちの心理がわかる。人々が何を望んでいるか、何がなされるべきか、知っている。この人たちこそふさわしい。だけどCPAのお眼鏡にはかなわない。CPAは、この人たちがアメリカに"忠実”であると信じられないからだ。そこへいくと傀儡政権は完璧。彼らはアメリカの戦車に乗ってやってきたのだし、アメリカの軍事力で据えられた。必要な時には(またその時が来れば)、すげ替えればいいのだ。
アラブに有名なことわざがある。「ラクダもロバに混じれば速い」。”ろくでもない連中のましな部分”と見られる人が、こう言われる。カンバルとチャラビがINC(おそらく評議会全体でも)の中のラクダであるなら、いったいロバって誰よ?と言いたい。