見当はずれの「心配性」という病も無事過ぎて、がっくりという感じで、節煙を続けております。マイルドセブン1ミリグラムを一日一箱にも、だんだんと慣れてきて、一見成功率もあがってきました。1ミリグラムというのは軽すぎるところがネックでして、チェーンスモーカーになりやすく、量があがるのが難点であります。
私はお酒が飲めないたちなので、昔から1ミリグラムのタバコとコーヒー派です。タバコ派といっても、強いタバコは気持ちが悪くなるので、ずっと軽いタバコ、それもメンソールで、生きがいをつくってまいりました。
ひと昔前に、語学学校の休み時間、廊下で1ミリグラムのチェーンスモーカーをやって、次の講義の間に加えることのできないニコチンを、血液のなかに溜め込んでおりました。
フランス人は、一見つんとすまして、冷たく見えますが、どうしてどうして、優しいところがあるのです。まあ、人それぞれですが。
私が、学校の廊下のベンチで、チェーンスモカーをやっていたら、二人の男性フランス人が、心配し、ベンチの両側にすわりこみ、お説教をされました。
A曰く「タバコはほどほどにしないと、いけませんよ。ぼくも日本に来たばかりのころは、ストレスで1ミリグラムのタバコを吸っていました。けれども、軽いタバコだからといって安心はできません。軽いので、やはり、どんどん量があがってすぐに一日2箱になりました。ますます量があがる気配を感じ、これではいけないと思い、思い切って禁煙しました。辛いのは3日だけです。禁煙って決心すれば出来ますよ。是非そうしなさい」
B曰く(この人は、実は、フランスの最高学歴を持っている人)
「そうだ、そうだ、まったくだ。ぼくの母は、ついに一日3箱までいったのですよ。けれど、ある日、自分の肺のレントゲンを見たら、あまりにも真っ黒で、ショックで禁煙しましたよ」
私曰く「私のことは、ご心配くださるな。学生のころから、どういうわけかタバコが体にあって、もう長年タバコを吸っているのです。肺なんて真っ黒になっているに決まっています。煙をはいていると、とても幸せなのです。これしか生きがいが無いのです。ひょっとすると、明日かあさってに死ぬかもしれませんが、今さらやめても寿命がのびるとは思われません。禁煙するには、おそすぎます」
B曰く「おー!なにごとも遅すぎるということはありませ~ん。今日やめれば、間に合います。しかし、明日やめれば、遅すぎるでしょう」
実態は、たどたどしい会話であるが、要するに、こういうことを言っているのだ。
私は耳をかさず、「禁煙する気は、まったく、ありませ~ん。おそすぎてもいいのです。死んでもいいのです。私は、明日も、タバコ吸いま~す」
二人の仏人は、「おー!」と言って、肩をすぼめ、両手をあげた。
私は、せっせと1日1ミリグラムを2箱づつ、ずっと吸ってきた。人前ではタバコを飲んでいるのを隠している女性も多いが、私は、昔からオープン派だ。
タバコを吸っている否かは、その人の人格の本質になんら関係ない、というのが自説だ。
「あなたが、タバコを吸っているなんて。正直言って興ざめしました」という人を自然にシャットアウトできるので、便利でもある。勝負どころは、もっと本質的なところにある、と考えている。ま、勝負の対象になり得るか否かは別問題として。
(タバコとなると、こうして屁理屈がどんどんでてくる)
やっと、本文にはいります。
頑固に2箱リズムでやってきたのを、1箱に減らそうと心境が変わったのは、燃やしてしまう煙を、「ピーターラビット」の絵本に変えてみたいと思ったからだ。(屁理屈かなあ?)ただいま、三分の二まで資金が溜まりました。しかし、長年の癖を変えるのは、せつない。たまらなくなると、ゴールデンバットで、しのぐ。けれど、ゴールデンバットの安さは非常に気に入ったが、ニコチン・タールの量が多いので、吐き気がする。けれど、最近、なんと慣れてきたのだ。
これでは、節煙をしているつもりが、かえってタバコに強くなっていく方向に向かっているのではないだろうか?
そして、つらつら思う。1ヶ月のタバコ代が1万8千円が、前からもったいないと、気になっていた。そのお金で、本やCDが、かなり買えるというのに。けれども、もっと心をつっこむと、本当は、体に悪いという脅しにのってしまい、死にたくないと思いはじめているのでは、ないだろうか?
★文脈としては、ポターの思想などを考えていかなければならないのでしょうが、ヨーロッパの伝統文化がバックにひかえているので、一筋縄ではいきません。知識不足が辛いところであります。しばらくは、木のほらのお店のドアに、「ただいま準備中」の張り紙をしておきます。
私はお酒が飲めないたちなので、昔から1ミリグラムのタバコとコーヒー派です。タバコ派といっても、強いタバコは気持ちが悪くなるので、ずっと軽いタバコ、それもメンソールで、生きがいをつくってまいりました。
ひと昔前に、語学学校の休み時間、廊下で1ミリグラムのチェーンスモーカーをやって、次の講義の間に加えることのできないニコチンを、血液のなかに溜め込んでおりました。
フランス人は、一見つんとすまして、冷たく見えますが、どうしてどうして、優しいところがあるのです。まあ、人それぞれですが。
私が、学校の廊下のベンチで、チェーンスモカーをやっていたら、二人の男性フランス人が、心配し、ベンチの両側にすわりこみ、お説教をされました。
A曰く「タバコはほどほどにしないと、いけませんよ。ぼくも日本に来たばかりのころは、ストレスで1ミリグラムのタバコを吸っていました。けれども、軽いタバコだからといって安心はできません。軽いので、やはり、どんどん量があがってすぐに一日2箱になりました。ますます量があがる気配を感じ、これではいけないと思い、思い切って禁煙しました。辛いのは3日だけです。禁煙って決心すれば出来ますよ。是非そうしなさい」
B曰く(この人は、実は、フランスの最高学歴を持っている人)
「そうだ、そうだ、まったくだ。ぼくの母は、ついに一日3箱までいったのですよ。けれど、ある日、自分の肺のレントゲンを見たら、あまりにも真っ黒で、ショックで禁煙しましたよ」
私曰く「私のことは、ご心配くださるな。学生のころから、どういうわけかタバコが体にあって、もう長年タバコを吸っているのです。肺なんて真っ黒になっているに決まっています。煙をはいていると、とても幸せなのです。これしか生きがいが無いのです。ひょっとすると、明日かあさってに死ぬかもしれませんが、今さらやめても寿命がのびるとは思われません。禁煙するには、おそすぎます」
B曰く「おー!なにごとも遅すぎるということはありませ~ん。今日やめれば、間に合います。しかし、明日やめれば、遅すぎるでしょう」
実態は、たどたどしい会話であるが、要するに、こういうことを言っているのだ。
私は耳をかさず、「禁煙する気は、まったく、ありませ~ん。おそすぎてもいいのです。死んでもいいのです。私は、明日も、タバコ吸いま~す」
二人の仏人は、「おー!」と言って、肩をすぼめ、両手をあげた。
私は、せっせと1日1ミリグラムを2箱づつ、ずっと吸ってきた。人前ではタバコを飲んでいるのを隠している女性も多いが、私は、昔からオープン派だ。
タバコを吸っている否かは、その人の人格の本質になんら関係ない、というのが自説だ。
「あなたが、タバコを吸っているなんて。正直言って興ざめしました」という人を自然にシャットアウトできるので、便利でもある。勝負どころは、もっと本質的なところにある、と考えている。ま、勝負の対象になり得るか否かは別問題として。
(タバコとなると、こうして屁理屈がどんどんでてくる)
やっと、本文にはいります。
頑固に2箱リズムでやってきたのを、1箱に減らそうと心境が変わったのは、燃やしてしまう煙を、「ピーターラビット」の絵本に変えてみたいと思ったからだ。(屁理屈かなあ?)ただいま、三分の二まで資金が溜まりました。しかし、長年の癖を変えるのは、せつない。たまらなくなると、ゴールデンバットで、しのぐ。けれど、ゴールデンバットの安さは非常に気に入ったが、ニコチン・タールの量が多いので、吐き気がする。けれど、最近、なんと慣れてきたのだ。
これでは、節煙をしているつもりが、かえってタバコに強くなっていく方向に向かっているのではないだろうか?
そして、つらつら思う。1ヶ月のタバコ代が1万8千円が、前からもったいないと、気になっていた。そのお金で、本やCDが、かなり買えるというのに。けれども、もっと心をつっこむと、本当は、体に悪いという脅しにのってしまい、死にたくないと思いはじめているのでは、ないだろうか?
★文脈としては、ポターの思想などを考えていかなければならないのでしょうが、ヨーロッパの伝統文化がバックにひかえているので、一筋縄ではいきません。知識不足が辛いところであります。しばらくは、木のほらのお店のドアに、「ただいま準備中」の張り紙をしておきます。
点字つき、触る絵本(絵も色もきれい)、百円です。百円だけど、侮らないでくださいね。ビッダーズのランキングの、「キッズ ベビー」部門で、現在第2位なのです。嘘じゃありません。
http://www.bidders.co.jp/pitem/79044376
100円の点字の絵本があるなんて、すごいですね。また情報を、およせくださいね。