全文、『バグダッド・バーニング』2からの引用です。
2005年5月18日
「死者と亡者」
「大勢の従者に取り巻かれて、その女性は混み合った室内に立っていた。押し合いへしあいして、女性の邪悪なオーラに近づこうとする人々。酷薄な唇が歪んで表情を作ると照明が歯にきらめいた。微笑のつもりだったのだろうが、冷たく生命を失った目は笑わなかった。いやらしい目つき――獲物に食いつく前の吸血鬼の目つきだった」。
これは『バッフィ――ザ・パンパイア・キラー』(バンパイア=吸血鬼をやっつける女子高校生バッフィを描く映画)のシーンではない。コンディ・ライス(当時のアメリカ国務長官)が一昨日イラクに来たときのこと。うちでは愛をこめてコンディをバンパイアって呼んでいる。ブッシュとは大違い。ブッシュはただの阿呆面。ところが、コンディはどこから見ても邪悪そのものだ。
荒れた2週間だった。爆発はバグダッドだけでもすごい数だ。暗殺も数件あった。あちこちで死体が見つかっている。とんでもない場所で死体が見つかったと知るのは、あまり気持ちのいいものではない。川魚は食べないほうがいいよ、川に捨てられた遺体を食べて大きくなったんだから。何人もの人からこう聞くはめになる。こんなことを考えるだけで、幾晩も眠れない。バグダッドが巨大な墓場になったように感じられる。
新しく見つかった遺体は、スンニ派とシーア派の法学者のものだった。うち何人かはよく知られている人物だ。みんな辛抱強く耐えている。誰もが、これらの殺戮が内戦を引き起こそうとして繰り返されていると知っているのだ。さらに気がかりなことがある。人々がイラク治安部隊にいっせい検挙されては、何日かして死体として発見されるという噂だ。どうやら、イラク新政府が先ごろ死刑復活を決めたとき、彼らの念頭には別のことがあったらしい。
だが、爆発に戻ろう。大きな爆発のうちの一つは、中流階級の住むバグダッド西部地区マァムーンで起きた。日用品などを売る店がある、比較的静かな住宅地だ。爆発は朝、ちょうど店が開くころ起きた。肉屋のまん前だった。直後に、爆発現場に面した家に住んでいた男性が米軍に連行されたと聞いた。爆発が起こったあと、イラク国家警備隊員を狙撃したからだという。
あまり深くは考えなかった。注目すべきことは何もなかったから。爆発と狙撃者――どこといって変わった話ではない。だが、2,3日して、興味深い話が聞こえ始めた。地区の人々が、男性は誰かを撃ったからでなく、爆発について知りすぎたために連行されたと言っているというのだ。噂はこういうものだ。その人は、爆発の数分前に米軍パトロール隊が地区を通りかかり、現場で少々足を止めるのを見た。パトロール隊が去ると、時をおかず爆発が起こり、大混乱となった。その人は家から走り出て、近所の人や近くにいた人々に、米軍が爆弾を仕掛けたか爆弾を見つけたのに放っておいたか、どっちかだと叫んだ。そして、速やかに連行された。
爆発は不気味だ。国家警備隊の真ん中や米軍やイラク警察の近くで爆発すものもあり、モスクや教会、商店の近く、市場の真ん中で爆発するものもある。爆弾のニュースでいつもあきれるのは、必ず自爆者と結びつけられていること。現実をちゃんと見るなら、全部が全部自爆爆弾でないことは明らかだ。車両爆弾というのもあって、遠隔操作で爆破されるか、あるいは時限爆弾という場合もある。使われる仕掛けも違うし、目的も違うらしい。抵抗の手段だという人々もいるし、チャラビとその一党が大部分やったという人々もいる。イランとイラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)の武装集団バドル旅団のせいにする人々もいる。
(中略)
目下のところ、『ニューズウィーク』の記事に対する抗議行動に注目している。私は抗議行動の参加者の多さ、何千何万ものムスリムがクルアーン(コーラン)の冒涜に激怒していることに驚いているのではない。そのニュースが正面きっての侮辱としてイスラーム世界を震撼させ、集団ショック状態が人々を襲ったことに驚いているのだ。
どうしてショックなのだろう?ものすごくひどい話ではある。でも、どうしてショック?アブー・グレイブやそのほかイラクの刑務所であんなことがあったあとで、どうしてこの事件からショックを受ける?アフガニスタンやイラクのアメリカ人看守は、人間の命や尊厳にこれっぽちの敬意も払ったことなんてない。それなのにどうして聖なる書物を敬(うやま)うだろうなんて思える?
結局『ニューズウイーク』誌は、記事を撤回した。ホワイトハウスの圧力があったことはみえみえだ。記事は本当?おそらく、ね。この2年間、イラクで人々の信仰、イスラームがいやというほど辱(はずかし)められ蔑(さげす)まれるのを見てきた。だから、この記事はおおいにありうることと思える。毎日のようにモスクが強制家宅捜索され、法学者たちが頭に紙袋をかぶせられて引っ立てられていく。数ヶ月前、世界中の人々は、武装していない捕らわれのイラク人がモスクのなかで処刑されるのを見たではないか。それなのに、この最新ニュースがそんなに意外?
何週間も何ヶ月も刑務所に拘束されて帰ってきた人びとは、豚肉をむりやり食べさせられ、祈祷を許されず、犬をけしかけられ、信仰を侮辱され、ひと言でいうなら檻に捕らわれた動物の扱いを受けたと語っている。しかし事の本質は、言葉や聖なる書物や豚肉や犬や、そういった次元のことではない。個々の人の奥深いところでこれらが何を意味しているかということなのだ。私たちが神聖と考えているものが、何千キロもの遠路をわざわざやってきた外国人によって辱(はずかし)められるのを見ると、血が逆流する。兵士全員がイスラームを蔑(さげす)んでいると言っているのではない。なかには、誠実に私たちの信仰を理解したいと思っている人もいるようだ。指揮に当たる人間が辱(はずかし)めを方針とすると決めたとしか思えない。
このような行為を繰り返すことによって、この戦争は新たな次元へ進んだ。この戦争はもはや対テロ戦争でも対テロリスト戦争でもない。いってしまえば、イスラームに対する戦争だ。そして、宗教と政治は別と考えるイスラーム教徒さえ、戦いを受けて立たざるをえなくなりつつある。
*(訳注:『ニューズウイーク』の記事に対する抗議行動.......キューバ・グアンタナモ・ベイ刑務所に収容されているイスラーム教徒の目前で尋問官がクルアーン(コーラン)を冒涜したというもの。この記事に怒ったイスラーム教徒の抗議行動の高まりに対し、米政府がそれを裏付ける事実はなかったとして『ニューズウィーク』誌を追求、同誌は謝罪、続いて記事を全面撤回した。)
2005年5月18日
「死者と亡者」
「大勢の従者に取り巻かれて、その女性は混み合った室内に立っていた。押し合いへしあいして、女性の邪悪なオーラに近づこうとする人々。酷薄な唇が歪んで表情を作ると照明が歯にきらめいた。微笑のつもりだったのだろうが、冷たく生命を失った目は笑わなかった。いやらしい目つき――獲物に食いつく前の吸血鬼の目つきだった」。
これは『バッフィ――ザ・パンパイア・キラー』(バンパイア=吸血鬼をやっつける女子高校生バッフィを描く映画)のシーンではない。コンディ・ライス(当時のアメリカ国務長官)が一昨日イラクに来たときのこと。うちでは愛をこめてコンディをバンパイアって呼んでいる。ブッシュとは大違い。ブッシュはただの阿呆面。ところが、コンディはどこから見ても邪悪そのものだ。
荒れた2週間だった。爆発はバグダッドだけでもすごい数だ。暗殺も数件あった。あちこちで死体が見つかっている。とんでもない場所で死体が見つかったと知るのは、あまり気持ちのいいものではない。川魚は食べないほうがいいよ、川に捨てられた遺体を食べて大きくなったんだから。何人もの人からこう聞くはめになる。こんなことを考えるだけで、幾晩も眠れない。バグダッドが巨大な墓場になったように感じられる。
新しく見つかった遺体は、スンニ派とシーア派の法学者のものだった。うち何人かはよく知られている人物だ。みんな辛抱強く耐えている。誰もが、これらの殺戮が内戦を引き起こそうとして繰り返されていると知っているのだ。さらに気がかりなことがある。人々がイラク治安部隊にいっせい検挙されては、何日かして死体として発見されるという噂だ。どうやら、イラク新政府が先ごろ死刑復活を決めたとき、彼らの念頭には別のことがあったらしい。
だが、爆発に戻ろう。大きな爆発のうちの一つは、中流階級の住むバグダッド西部地区マァムーンで起きた。日用品などを売る店がある、比較的静かな住宅地だ。爆発は朝、ちょうど店が開くころ起きた。肉屋のまん前だった。直後に、爆発現場に面した家に住んでいた男性が米軍に連行されたと聞いた。爆発が起こったあと、イラク国家警備隊員を狙撃したからだという。
あまり深くは考えなかった。注目すべきことは何もなかったから。爆発と狙撃者――どこといって変わった話ではない。だが、2,3日して、興味深い話が聞こえ始めた。地区の人々が、男性は誰かを撃ったからでなく、爆発について知りすぎたために連行されたと言っているというのだ。噂はこういうものだ。その人は、爆発の数分前に米軍パトロール隊が地区を通りかかり、現場で少々足を止めるのを見た。パトロール隊が去ると、時をおかず爆発が起こり、大混乱となった。その人は家から走り出て、近所の人や近くにいた人々に、米軍が爆弾を仕掛けたか爆弾を見つけたのに放っておいたか、どっちかだと叫んだ。そして、速やかに連行された。
爆発は不気味だ。国家警備隊の真ん中や米軍やイラク警察の近くで爆発すものもあり、モスクや教会、商店の近く、市場の真ん中で爆発するものもある。爆弾のニュースでいつもあきれるのは、必ず自爆者と結びつけられていること。現実をちゃんと見るなら、全部が全部自爆爆弾でないことは明らかだ。車両爆弾というのもあって、遠隔操作で爆破されるか、あるいは時限爆弾という場合もある。使われる仕掛けも違うし、目的も違うらしい。抵抗の手段だという人々もいるし、チャラビとその一党が大部分やったという人々もいる。イランとイラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)の武装集団バドル旅団のせいにする人々もいる。
(中略)
目下のところ、『ニューズウィーク』の記事に対する抗議行動に注目している。私は抗議行動の参加者の多さ、何千何万ものムスリムがクルアーン(コーラン)の冒涜に激怒していることに驚いているのではない。そのニュースが正面きっての侮辱としてイスラーム世界を震撼させ、集団ショック状態が人々を襲ったことに驚いているのだ。
どうしてショックなのだろう?ものすごくひどい話ではある。でも、どうしてショック?アブー・グレイブやそのほかイラクの刑務所であんなことがあったあとで、どうしてこの事件からショックを受ける?アフガニスタンやイラクのアメリカ人看守は、人間の命や尊厳にこれっぽちの敬意も払ったことなんてない。それなのにどうして聖なる書物を敬(うやま)うだろうなんて思える?
結局『ニューズウイーク』誌は、記事を撤回した。ホワイトハウスの圧力があったことはみえみえだ。記事は本当?おそらく、ね。この2年間、イラクで人々の信仰、イスラームがいやというほど辱(はずかし)められ蔑(さげす)まれるのを見てきた。だから、この記事はおおいにありうることと思える。毎日のようにモスクが強制家宅捜索され、法学者たちが頭に紙袋をかぶせられて引っ立てられていく。数ヶ月前、世界中の人々は、武装していない捕らわれのイラク人がモスクのなかで処刑されるのを見たではないか。それなのに、この最新ニュースがそんなに意外?
何週間も何ヶ月も刑務所に拘束されて帰ってきた人びとは、豚肉をむりやり食べさせられ、祈祷を許されず、犬をけしかけられ、信仰を侮辱され、ひと言でいうなら檻に捕らわれた動物の扱いを受けたと語っている。しかし事の本質は、言葉や聖なる書物や豚肉や犬や、そういった次元のことではない。個々の人の奥深いところでこれらが何を意味しているかということなのだ。私たちが神聖と考えているものが、何千キロもの遠路をわざわざやってきた外国人によって辱(はずかし)められるのを見ると、血が逆流する。兵士全員がイスラームを蔑(さげす)んでいると言っているのではない。なかには、誠実に私たちの信仰を理解したいと思っている人もいるようだ。指揮に当たる人間が辱(はずかし)めを方針とすると決めたとしか思えない。
このような行為を繰り返すことによって、この戦争は新たな次元へ進んだ。この戦争はもはや対テロ戦争でも対テロリスト戦争でもない。いってしまえば、イスラームに対する戦争だ。そして、宗教と政治は別と考えるイスラーム教徒さえ、戦いを受けて立たざるをえなくなりつつある。
*(訳注:『ニューズウイーク』の記事に対する抗議行動.......キューバ・グアンタナモ・ベイ刑務所に収容されているイスラーム教徒の目前で尋問官がクルアーン(コーラン)を冒涜したというもの。この記事に怒ったイスラーム教徒の抗議行動の高まりに対し、米政府がそれを裏付ける事実はなかったとして『ニューズウィーク』誌を追求、同誌は謝罪、続いて記事を全面撤回した。)