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鶴見太郎×宮台真司×神保哲生:被害者意識の強いイスラエルが国際社会を信用できるようにならない限りパレスチナへの攻撃は続く【ダイジェスト】2023/12/02

2023年12月03日 14時52分26秒 | 戦争

鶴見太郎×宮台真司×神保哲生:被害者意識の強いイスラエルが国際社会を信用できるようにならない限りパレスチナへの攻撃は続く【ダイジェスト】

https://www.videonews.com/ マル激トーク・オン・ディマンド 第1182回(2023年12月2日)

ゲスト:鶴見太郎氏(東京大学教養学部准教授) 司会:神保哲生 宮台真司  結局、戦闘停止期間は7日間で終わり、12月1日から再びイスラエルによるパレスチナへの攻撃が再開されてしまった。

それにしても、世界中から批判を浴びても、今なおパレスチナへの攻撃の手を一向に緩めようとさえしないイスラエルの論理とはどのようなものなのか。 、東京大学教養学部准教授の鶴見太郎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

【プロフィール】 鶴見 太郎 (つるみ たろう) 東京大学教養学部准教授 1982年岐阜県生まれ。2004年東京外国語大学外国語学部卒業。10年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門はロシア・ユダヤ史、パレスチナ問題、シオニズム。エルサレム・ヘブライ大学人文科学部博士研究員、ニューヨーク大学ヘブライ・ユダヤ学科客員研究員、埼玉大学研究機構准教授などを経て16年より現職。著書に『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』、『ロシア・シオニズムの想像力』など。

イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国 (講談社選書メチエ)

 

鶴見太郎歴史社会学、ロシア・ユダヤ史、パレスチナ/イスラエル

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻准教授(博士・学術)。日本学術振興会特別研究員、埼玉大学研究機構准教授等を経て現職。主な著作に、『ロシア・シオニズムの想像力――ユダヤ人・帝国・パレスチナ』東京大学出版会(2012年)、「旧ソ連系移民とオスロ体制―イスラエルの変容か、強化か」今野泰三・鶴見太郎・武田祥英編『オスロ合意から20年―パレスチナ/イスラエルの変容と課題』NIHUイスラーム地域研究東京大学拠点(2015年)、”Jewish Liberal, Russian Conservative: Daniel Pasmanik between Zionism and the Anti-Bolshevik White Movement,” Jewish Social Studies 21(1), 2015など。

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ポグロムпогром、パグローム)とは、ロシア語で「破滅」、「破壊」を意味する言葉である。特定の意味が派生する場合には、加害者の如何を問わず、ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。

歴史的にこの語は、ユダヤ人に対して、自発的計画的に広範囲に渡って行われる暴力行為と、同様な出来事について使われる[1]。ポグロムは標的とされた人々に対する物理的な暴力と殺戮を伴っている。

概要

13世紀のカリシュの法令によって権利および安全をシュラフタ(ポーランド貴族)およびポーランド王の庇護のもとに保障されたことから、ユダヤ人はポーランドに集まり生活していた。

1543年にプロテスタント運動の創始者の一人であるマルティン・ルターが著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』においてユダヤ人への激しい迫害及び暴力を理論化し熱心に提唱した。

17世紀ウクライナ・コサックフメリニツキーの乱で起こったポグロムはその犠牲者の数で最悪のものとなった。

1795年の第三次ポーランド分割によりポーランド・リトアニア共和国が完全に消滅してその東部(旧リトアニア公国領)がロシアに併合された。もはや消滅したポーランド国家による庇護を受けることができなくなったポーランドやリトアニアのユダヤ人はハプスブルク家に庇護を求めたが、ウクライナ人・ベラルーシ人には裏切り行為と受け取られた。

1819年バイエルンヴュルツブルクでポグロムが発生すると瞬く間にドイツ文化圏の全域に大規模な反ユダヤ暴動が広まった(ヘプヘプ・ポグロム英語版)。1821年(以降1905年まで複数回)、ロシアオデッサで勃発した(オデッサ・ポグロム英語版)。

19世紀後半になると、主に旧リトアニア公国の領域(ベラルーシウクライナモルドヴァ)で、ウクライナ人・ベラルーシ人農民、コサックなどの一揆の際にユダヤ人が襲撃の巻き添えとなった。1881年アレクサンドル2世が暗殺されると、ロシア各地で反ユダヤ主義のポグロム(en1881年-1884年)が起きた。このポグロムは数年にわたって続き、主にユダヤ系の町人、商人などの下層民が被害にあった[2]。後にはロシア帝国をはじめ各国でユダヤ人殺戮のポグロムが盛んに行われた。

1905年、ロシアのエカテリノスラフにおけるポグロムで犠牲になったユダヤ人の子供たち

帝政ロシア政府は社会的な不満の解決をユダヤ人排斥主義に誘導したので助長されることになった。1903年から1906年にかけての度重なるユダヤ人襲撃はユダヤ人の国外脱出の引きがねとなりシオニズム運動を招くことになった。第二次世界大戦でもポーランド東北部の村落を中心にユダヤ人がソ連および赤軍と密通しているとの疑いを掛けられ、時にはポーランド人やウクライナ人などナチス・ドイツ支配下に置かれた民族によってポグロムが起こされている。その代表的なものにイェドヴァブネ事件が挙げられ、数百人のユダヤ教徒の村人たちが近隣のキリスト教徒に殺された。ユダヤ教徒の住民の一部は実際にソ連側と密通していたとされているが、罪のない住民も同様の疑いを掛けられて巻き添えとなった。

このような暴動を起こす人物は「理性をなくした、へべれけに酔っ払った農民」[3]だという者もいるが、実際には計画的、組織的に徹底して行われた[4


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