とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『ガウディの伝言』外尾悦郎 

2008年08月06日 01時08分22秒 | 読書感想
『ガウディの伝言』外尾悦郎。この新書を、二重の意味で感慨深く手にしました。

 じつは、私はひょんなことから20年前に、スペインで100年がかりで教会を造るプロジェクトがあること、そしてそこに日本人の彫刻家が参加していることを知りました。むろん、当時はプロジェクトの名前も彫刻家の名前も知りませんでした。ただ、彼は、くる日もくる日も、石を彫り続けているということしか知りませんでした。


 それが、このような書物となり刊行されていたなんて.....、感慨深く手にとり、うれしくなりました。写真は外尾さんが彫った「ハープを奏でる天使像」ということです。なんという優しさ、美しさ。つい写真をお借りしました。すみません。ただピンボケですので、きちんとした写真をご覧になりたかったら本をお買いになることをお薦めします。

 この本は「プロローグ」と第1章~第12章、そしてエピローグで〆られておりますね。

 あまり感動したので「プロローグ」を前文引用させていただきます。初版第1刷は、2006年7月・光文社新書です。

......
        「プロローグ」


 こうしてみなさんにお話しさせていただけることを本当にうれしく思います。
 私は1,978年、スペインのバルセロナに渡り、サグラダ・ファミリアに彫刻家として拾われました。25歳の誕生日を迎える前後のことです。それから28年間、ずっとこの未完の大聖堂で、仕事を続けて参りました。毎日毎日、石ばかり彫ってきたんです。

 彫刻家や芸術家であると言っても、あまり上品な仕事ではありません。決まった仕事場を与えられたのもつい最近のことで、それまでは「石切場」と呼ばれる、雨風をかろうじて防げる程度の工房や、1936年に起こったスペイン市民戦争の最中に破壊されたサグラダ・ファミリアの内部空間など、仮の仕事場を転々としてきました。それどころか、仕事場のメインになってきたのは地中海地方の強い日射しが容赦なく照りつける屋外です。
 そういう場所で、かつては多くいたアンダルシア地方の古い石工(いしく)たち――朝から塩気の多い料理を食べ、パンを口に放り込み、ワインを胃に流す込むような、荒っぽい、しかし腕のいい職人たち――と交流しながら、聖堂に設置する彫刻をつくってきました。私自身も石工であると言ったほうが、しっくり来るような気がします。ただ一つ、こちらの職人たちと大きく違いますのは、仕事の、生活における比重のかけ方です。何事につけても奔放なラテン人に不思議がられる日本人の勤勉さで、朝いちばんに仕事場に来て、夜はいちばん遅くまで働いて帰る。そういう生活が、バルセロナに来てからの大半を占めてきました。


       不思議な感覚

 夜、誰もいなくなった聖堂で一人石を彫っているときの気持ちは、決して寂しいものではありません。夜のサグラダ・ファミリニアには、ひと味違った美しさがあります。
 昼間、旅行者たちの前では委縮していた巨大な石の生き物が、本来の野性を取り戻したかのように、迫力を増して見える。石の表情がより豊になり、生き生きと、自分の力と気高さを誇示するかのように感じられる。その中に身を置いていると、サグラダ・ファミリアとより親しくなれたかのような、満ち足りた気持になっていくのを感じます。
 私にとって、彫刻をつくっている時の理想は、「石の中に入って彫っている」という状態です。彫刻家でなくとも、何かに没頭したことがある人は、同じような経験があるのではないでしょうか。夢中で仕事をしているうちに、時間が経つのを忘れ、周囲の音も聞こえなくなり、石を打っている自分の肉体の感覚さえなくなってくる。石と時空を浮遊しているかのような自分。こういう状態を指して、仏教の世界では「空」というのかも知れません。彫刻をつくるときには、当然、いろいろな計算や配慮をして彫っていかなければならないものですが、そういう思考の働きも意識する必要がなくなり、それでいて、次の作業がどんどん頭に浮かんでくる。体が勝手に動いている。まるで石に導かれているような感覚です。
 そして、ふと我に返ったときに、「ああ、自分は今まで石の中にいたんだな」と感じる。そういう不思議な気分を味わうことが、これまでに何度かありました。


 そうして少しずつ彫っていく石の中から、やがて楽器を奏でる天使が生まれ、それが奏楽隊に加わり、イエス・キリストの降誕を祝う歓喜の演奏が繰り広げられていく。
 私が2,000年に15体目の天使像を完成させ、設置したことで、サグラダ・ファミリアで最初のファサード、1893年に建設が始められた「生誕の門」が完成ということになりました。この最後の、栄誉ある仕事を日本人に任せてくれた、スペイン人の懐の深さに感謝するとともに、私自身が大変驚いています。小さな仕事を毎日コツコツと積み重ねてきた結果、いつの間にか、とんでもないところまで来ていたという気がします。


 2005年には、私の彫刻を含む、サグラダ・ファミリアの生誕の門が、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。これを機にサグラダ・ファミリアが、世界中の人たちからもっと愛される教会になってくれたらいいと心から思います。


          主任建築家

 サグラダ・ファミリアは、日本語で正確に言えば、「聖家族贖罪聖堂」ということになります。
ラテン語で、サグラダは「聖なる」、ファミリアが「家族」。イエスと聖母マリア、それに養父ヨセフを加えた聖家族に捧げる、罪をあがなう貧しき者たちのための聖堂という意味です。


             (後略)

           光の殿堂へ、音の聖堂へ

             (中略)

 ガウディは本当に人間を幸せにするものをつくろうとしていたと思います。そしてまた、人間がつくり得る最高のものを神に捧げようとしていました。建築や彫刻などの造形だけでなく、光や音も組み合わせた総合芸術。それがガウディの構想していたサグラダ・ファミリアです。完成までに何百年かかろうとも、それを毎日少しずつつくり続けていくことほど、人間にとって夢のある仕事は、そうあるものではないでしょう。


           本当の合理性

 ガウディは1852年、日本でいえば江戸時代の末期に生まれていますが、決して過去の人ではありません。むしろ現代人よりはるか先へ行っていた人だったと思います。
 当時のヨーロッパ史を概観してみると、18世紀後半から19世紀にかけて各地で産業革命が起こり、工業の力が飛躍的に増大していきます。(スペインで最初に産業革命に成功したバルセロナは、19世紀後半にかけて大発展を遂げました)。それに伴って人口が爆発的に増え、想像を絶するような貧富の格差が生まれ、それがさまざまな争乱の火種になっていく。(中略)多くの発見や発明がなされていく。また、それがすぐに実用化されて普及し、文明がダイナミックに、目まぐるしく変化していく。ガウディはそういう時代の真っただ中に生まれ、日本で言えば昭和元年の1926年まで生きた人であり、科学技術の可能性に期待と確信を持っていました。当時の先端技術に注目するだけではなく、それをどう使うか、何のために使うかということを考え抜き、また「こういう方向に科学が進んでいけば、こんなこともできるようになるはずだ」ということまで見通していた人です。(中略)

 ガウディは現代の効率至上主義とはまったく違う、本当の意味での合理的な精神を持っていた人だと思います。(中略)それをみなさんに紹介していきたいというのが、本書の一つのテーマです。

          (後略)


                  ................
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