とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

遺影の群列

2006年11月24日 10時18分17秒 | 創作詩
  私の世界には、生きた人間は一人もおらず
  ただ、おびただしい遺影の群列が取り巻く
子供たちは、中学校、高校へと 学校を進むうちに傷ついていった

  その昔、真新しい白い家の玄関から、赤いシャツを着た少年が
  うれしそうな顔をして 玄関の通路のグリーンの木立から
  元気よく 走り出してくる
  三男だ
  
  少年は 常に微笑みを絶やさず うれしそうに笑っている
  
  目にしみるような鮮やかな赤いシャツが いずこともなく
  走り去っていく 神経鋭敏な、かわいい末っ子
  二度と戻らぬ 幸福な 少年の姿

  次男は 釣りざおと網で 浅い沼地をかきまわしザリガニを捕まえる
  海で黒鯛を釣り上げ ピチピチはねる魚を両手でうれしそうに必死にもって
   宿のひとにちょぴりのおさしみを作ってもらう
  満足そうに 心から 喜んでいる えんりょがちの少年
  ささやかなことに喜びをみいだす少年だった
  
  長男は 真面目に塾通い
  痛々しいほどの受験勉強に 親の期待に答えようと
  辛い心を隠し 必死にいどみ、微笑んでみせる少年  
  しかし 考えすぎる彼は 受験に失敗 けれど必死に笑ってみせる
  なぜ、もっとはやく、現行の愚劣な受験制度に向いていないことに
気づいてあげなかったのか
  私自身が愚劣だった

  これらの微笑む幸福な少年たちは すべて どこへ 消えたのか?

  私は 涙を流し 狂ったようになって 消えた少年達の姿を探す
  
  けれども、この世のどこにも 彼らの姿はない
  
  現在いるのは変わり果てた 不幸な顔の 生気のない青年たちだ
  世の中の闘いに疲れ おしつぶされたようになって 青年たちは
  がんばっているが、苦痛に満ちたその顔には、すでに幸福な少年の顔はない
    
  彼らは、生きていない
  わたしは、生きていた時の彼らの姿を知っているから
  
  どこの地点から 狂ってきたのか もう分からない

  少年達の住みかだった まあたらしい 白い家は 
  無残に 古び
  ほこりだらけの グリーンのシートのベランダに
  泥まみれの クマのぬいぐるみが ひとつ 転がっていた

  私は 泥まみれのぬいぐるみを 痛む胸をおさえ、ひろいあげる
  
  こうして 幸福な少年達の姿が またひとつ 消える

  私は、ついに狂人のごとくなり 飽くことなく 少年達の姿を探す
  探せども 忽然と 姿は消えうせ この世にはもういない
  ただ 遺影の群列が あちこちに 立ち並ぶ

  「人は、成長するために いくども 死んで生きかえらねばならない
  だから きっと また 生きかえって戻ってくるさ」

  絶望の底に沈む私に、ある日、ふと風が吹きつけ、ささやく
  
  私は、やっとの思いで顔をあげ じっと 待つことにする。

  生きかえった少年達は どんな姿をして 私のもとに 戻ってくるのだろうか
  私に、彼らだとわかるだろうか?
  
  青年となった息子たちは、私には優しく 微笑んでみせるが、私は寂しい。
  私の寂しさは、ただの空の巣症候群ではない。
  順調な成長が楽しみだったのに.......多くの若者に翳を感じる。

彼らが飢えているのは、「正義」だ、と思う。
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