2月4日早朝に家を出発、中部国際空港より香港を経由してスリランカへ行ってきました。
到着した空港はコロンボです。ここよりバスに乗りネボンゴのホテルペガサスリーフへ、現地時間の23:45に到着(日本との時差は-3.5時間)大変眠いけれど得?をしたようです。
シャワーを浴びて3時間眠り2日目は、バスにて一路アヌラーダプラへ(180㎞)
このバス日本の千葉県で活躍していた古いバスで、タイヤはテレテレで運転は荒っぽく乗っていて非常に怖かったですが、事故は起きませんでした。
世界遺産のスリ・マハ菩提樹・・・インド・ブッタガヤの菩提樹より分け木された樹齢2000年の菩提樹だそうです。
2日目の観光ではスコールにあい大雨が、寺院を観光するには靴を脱ぐのが殆んどで、雨の中傘を片手に裸足での観光となりました。
こんな経験初めてで、貴重な体験となり一生忘れる事はないでしょう。
ワンワリサーヤ仏塔やアバヤギリ・ダーカバなどを見学して、その後ダンブッラへ移動(60km)
石窟寺へ行く前に黄金の大仏が私達を見下ろしていました。
石窟寺へは急な階段を登り辿り着いた所に大小5つの石窟が、そこには無数の仏像が・・・第1の石窟には14mの涅槃像が、足の裏にはハスの花が描かれていた。
仏像と共に写真を撮る時は、仏像にお尻を向けない様に・・・
私達には世界遺産であり観光地ですが、スリランカの人達にとっては、今も信仰する生きた寺院である事を忘れないで最低のマナーを守りながら観光をし、その後シギリアのホテルへと向かいました。
スリランカではこの花がハスと言われていました。
ピンクや白の花も咲いていました。
スリランカとは、スリ(光)ランカ(輝く)という意味だそうです。
到着した空港はコロンボです。ここよりバスに乗りネボンゴのホテルペガサスリーフへ、現地時間の23:45に到着(日本との時差は-3.5時間)大変眠いけれど得?をしたようです。
シャワーを浴びて3時間眠り2日目は、バスにて一路アヌラーダプラへ(180㎞)
このバス日本の千葉県で活躍していた古いバスで、タイヤはテレテレで運転は荒っぽく乗っていて非常に怖かったですが、事故は起きませんでした。
世界遺産のスリ・マハ菩提樹・・・インド・ブッタガヤの菩提樹より分け木された樹齢2000年の菩提樹だそうです。
2日目の観光ではスコールにあい大雨が、寺院を観光するには靴を脱ぐのが殆んどで、雨の中傘を片手に裸足での観光となりました。
こんな経験初めてで、貴重な体験となり一生忘れる事はないでしょう。
ワンワリサーヤ仏塔やアバヤギリ・ダーカバなどを見学して、その後ダンブッラへ移動(60km)
石窟寺へ行く前に黄金の大仏が私達を見下ろしていました。
石窟寺へは急な階段を登り辿り着いた所に大小5つの石窟が、そこには無数の仏像が・・・第1の石窟には14mの涅槃像が、足の裏にはハスの花が描かれていた。
仏像と共に写真を撮る時は、仏像にお尻を向けない様に・・・
私達には世界遺産であり観光地ですが、スリランカの人達にとっては、今も信仰する生きた寺院である事を忘れないで最低のマナーを守りながら観光をし、その後シギリアのホテルへと向かいました。
スリランカではこの花がハスと言われていました。
ピンクや白の花も咲いていました。
スリランカとは、スリ(光)ランカ(輝く)という意味だそうです。
新聞でスリランカ旅行のお誘い、をみて、今頃どうしているかしら?とおもいを異国の空に馳せていました。
小出しでいろいろ見せてくださいね。
スリランカというよりまだセイロンと言う名がインプットされたままです。
土地や寺院の名前など私には絶対に覚えれきれません。
中古のバスも仏さまの御加護があったようでよかった!よかった。
昔のセイロン島?
良い旅をされましたね。
楽しかったでしょうね。
無事のご帰還!
お疲れ様でした。
四国で地震が起きた事や、名古屋では雪が降っているなどのニュースを耳にしながらの旅行でした。
日を追って書きますので見て下さい。
出発も無事間に合いました。
≪土地や寺院の名前など私には絶対に覚えれきれません。≫
なかなか覚えられなくて、沢山メモをしてきました。
スリランカで走っている車は日本の中古車が多く、トラックやバスなどには、日本の文字がそのまま残っています。
車検もなく動くうちは使われているようで、日本では通らないことばかりが、まかり通っているようでした。
病院ではなく昔のセイロン島、紅茶で有名な国へ行っておりました。
5年前までは戦争をしていた国です。
1ヶ月前には、一部地域で大洪水が起きていました。
そんな国ですが、楽しい旅行が出来ました。