川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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誠意と善意は違う

2024年11月04日 | 言葉
誠意と善意は違う。

◆ 誠意
誠意は、必ず通じる。
至誠にて動かざるものは未だこれあらざるなり。
この孟子の一節を吉田松陰が死ぬほど愛した。
誰が言い出したか、「至誠天に通ず(至誠通天)」という言葉もよく使われる(孟子の言葉ではない)。

その誠意は、他者に通じること、他者に理解されることを前提とする。
だから他者が主体。相対的な価値。

他者が悪であれば、誠意の伝え手も、汚れる覚悟が必要。
通じるために、嘘をついたり、騙したりする場合もありうる。

優等生がキレイゴトを言っていては、通じない。
それは誠意ではない。誠意とは言えない。

◆ 善意
善意は、絶対的な正義。
自分が主体。正義の押し付け。相手のことを考えていない。
大きな親切、余計なお世話。

「正義」や「善」はしばしば暴走するから。

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この違いを前提に、執行草舟が以下のように締めくくる。

まがりなりにも善を行ないたいと思うならば、他者に通じる形を見つけだすしかない。ほんの少し、その場、その時、その相手によって修正し、誠意をもって善を行なおうとすることである。

ところがこの修正がほとんどの場合、表面上、悪の要素を持っているから、人は苦しむ。相手のためになるには、嘘もつかねばならぬし、だまさなければならないこともある。

このことによって、人間は涙と呼ぶ、人生の哀しみを知っていく。誠意とは、善意とずれた部分の苦悩を、自己の内部にしまいこむ哀しみなのだ。

自分が汚れていく過程の中に、他者を思いやる言動が生まれてくる。そして、どんなに汚れ果てても、他者に通じさせたいと思う心を持つ者を、誠意ある人物と言う。相手に通じるために、自分は汚れなければならないのだ。

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なんだか詩的。文学的。
マザー・テレサの姿などが、善意のみならず誠意ある姿とイメージできる。

反家庭連合の立場を30年以上取り、口を開けば家庭連合の悪口を言っている紀藤正樹弁護士。家庭連合の信者には、紀藤正樹弁護士の顔を見るだけでノイローゼになるような方も多い。

紀藤正樹弁護士の発言を見ていると、誤った認識に基づく「善意」の押し付けばかり。家庭連合信者をステレオタイプで枠にはめる。そこに執行草舟の言う「誠意」は感じられない。

善意があって誠意がない。これが家庭連合の文脈における紀藤正樹弁護士。

一方、誠意どころか善意もないのが、いじりブロガーである鈴木エイト氏だろうか。未だに家庭連合信者を「ダニ」「ゴキブリ以下」呼ばわりしていますし、、

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