川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

主の名は賞め讃えられよ - May the name of the Lord be praised.

2025年02月01日 | 人間心理・心理学
どうもこんにちは、最近、旧約聖書ヨブ記にハマっている中山達樹 で
す。

何回か読んで、その音律というかリズムというか、その美しさが印象的な

May the name of the Lord be praised.
主の名は賞め讃えられよ。

ヨブ1:21。

横田早紀江さんをクリスチャンにせしめた1:20「主は奪う」(The Lord has taken away)の直後。

理不尽に、財産、家、自分のたくさんの子どもまでも、一瞬にして奪われた直後の、セリフ。

旧約聖書で一番「ワケワカンナイ」ところ。イミフなところ。不条理すぎて。

自分の子供や家をぜぇーんぶ喪って、直後に、「主の名は誉め讃えられよ」と。

ドМか。

ドМです。ヨブはドМです。

どんな不条理、不幸、理不尽があっても、May the name of the Lord be praised と言って、痩せ我慢して、運命を笑殺して、Grin and bear itして、前に、突き進んでいく。

この2000年、こうして、何十万、ひょっとして何億の人が、このヨブ記に影響を受け、理不尽に耐え忍び、雄々しく戦ってきた。

だからヨブ記は「世界最大の文学書」だと内村鑑三が言っている。 こちら 
西洋文学の多くはヨブ記の影響を受けている。

最近になって、戦後になって、不条理がいろいろ解消されて、このヨブ的なイミフな特攻的な無茶振り的な底抜けの楽観さは、理解されることは少なくなった。

でも、このヨブ的なイミフな前向き感こそ、健全な無常観なのでは。

ニーチェ的な、健康的なペシミズムであり、楽観的なニヒリズムなのでは。

「神は死んだ」と言ったニーチエも、ヨブ記を高く評価したはずだ。

ChatGPTに訊いてもそう教えてくれる。以下引用。

1.    神と人間の対立:
ニーチェは、ヨブ記における神の行為を一種の「道徳的な試練」と見なしました。神はヨブに対して無慈悲に試練を与え、神の計画に疑問を呈することが許されないという状況に置かれます。

ヨブ記の中で神が絶対的な力を持っていることを見て、ニーチェは神の権威が人間の自己決定や自由を抑圧するものとして捉えました。ヨブが神に立ち向かい、反抗する姿を通じて、ニーチェは「力への意志」や「超人」の思想と関連させて解釈します。

    2.    ヨブの反抗とニーチェの思想:
ヨブが自分の苦しみを正当化しようとする中で、最終的に神の答えを得ることになりますが、その答えは「なぜ?」という問いに対する満足のいくものではなく、むしろ神の権威と力を前面に押し出したものであるとニーチェは考えました。

この無力さや不満に対してヨブが持つ「自己解放的な反抗」という態度に、ニーチェは自らの哲学的立場を重ねました。ニーチェにとって、ヨブが神に反抗し、無限の苦しみに耐えたことこそが、彼の「超人」の姿に近いものとして捉えられます。

    3.    神の「無償の愛」と人間の「力への意志」:
ヨブ記で神が最終的にヨブに報いるのは、神の「無償の愛」や「恩寵」とされていますが、ニーチェはこの考え方に疑問を呈しました。ニーチェは「無償の愛」や「赦し」という概念を否定し、むしろ人間の力を強調しました。

ヨブが耐え忍び、最終的に報いを受ける姿を見て、ニーチェはそれを一種の「人間の道徳的な屈辱」または「弱さの象徴」として捉え、自己を超越する力を持つべきだと考えました。ヨブの話を通じて、ニーチェは「神の意志に従うこと」を否定し、人間が自己の力を行使し、自己の道を切り開くべきだとする思想を強調します。

ニーチェのヨブ記における核心

ヨブ記における「神の無慈悲な試練」を通じて、ニーチェは「苦しみ」と「力」に関する独自の解釈をしました。ヨブの苦しみは無意味ではなく、自己を乗り越えるための過程であると捉え、最終的に神の力に依存しない人間の「自由」と「力」を追求すべきだという思想へとつながります。

このように、ヨブ記を通じてニーチェは宗教的、道徳的な枠組みを超え、人間の力と自己超越の重要性を訴えかけています。

結論として、ニーチェはヨブ記を従来の神中心的な価値観に対する批判的な視点から読み解き、そこに表れる人間の苦しみや試練を「自己の力を見出すための過程」として評価しました。

神に対する従順や「無償の愛」の考え方を疑問視し、むしろ人間が自己の力を信じて生きるべきだとする立場に立っています。

~~~引用終わり~~~

なるほど。ひらめいた。

ヨブ記+ニーチェ=フランクル

という方程式が成り立つんですね。

『夜と霧』V.E.フランクルの「態度価値」も、ヨブ記とニーチェの超人思想のブレンドと言えますね。

天才フランクルは、ニーチェを踏まえて「態度価値」を編み出したに違いない。

ってひらめきをChatGPTと壁打ちしたら、以下を教えてもらった。

フランクルは確かにニーチェに影響を受けており、特にニーチェの名言「人生における意味を見つけた人は、どんな困難にも耐えられる(He who has a why to live can bear almost any how)」は、フランクルが自らのロゴセラピー(存在分析)で重要な位置を占めています。

だそうです。

ニーチェの

人生における意味を見つけた人は、どんな困難にも耐えられる
(He who has a why to live can bear almost any how)

はとても深いですね。メチャ宗教的。

人生観が確立している人、死生観を持っている人、哲学とか信念がある人、ブレない人は、強い。何にも堪えられる。

このニーチェの箴言は暗唱して覚えないといけない。

暗唱しないと血肉にならない。
暗唱して初めて言葉が肉体化する。

先日の祝勝会カレーでも、弁護士徳永信一先生が「パッときれいに暗誦できないとダメ」っておっしゃってました。
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中2長男の買った本

2025年02月01日 | 教育・子育て
中2長男が1人本屋に行って買ってきた本。

パラパラ見たけど、字が小さくて、えらい難しいこと書いとる、、、

地理の教師だった爺さんが喜ぶぞ、これからも思い存分、知的好奇心を伸ばして行ってくれたまえ!
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四年長女の書初め

2025年02月01日 | 書道
私による特訓の成果あったか? 娘の書初めがクラス代表?かなんかに選ばれたらしい!

字の上手い女性のポイントは高いぞ、これからもいい字を書いてください!


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対鈴木エイト勝訴 祝勝会❣️

2025年02月01日 | 法律・海外法務
後藤徹さんを代理して対鈴木エイト訴訟で完全勝利しました!

後藤徹さん、徳永進一弁護士、小嶌希晶さんと、東京地方裁判所近く松本楼で祝勝会!
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世界日報が報じる鈴木エイト敗訴

2025年02月01日 | 法律・海外法務
今朝の世界日報も、鈴木エイト敗訴を論じています!
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鈴木エイト「引きこもり」発言と強姦被害女性への揶揄

2025年02月01日 | 人物
Twitterで良いことを言っている人がいた。

(12.5年監禁された後藤徹さんを「引きこもり」呼ばわりする)鈴木エイトは、最高裁で確定した強姦被害女性を「自分で誘って裁判で2000万円GETした」と揶揄しているようなもの。

そのとおり。

こんなこと言われて、私が被害者なら殺意を覚える。だれでもそうだろう。これ以上の侮辱はない。

12.5年監禁被害に堪えた後藤徹さんの怒りが今ようやく分かりました。
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後藤徹さんの対鈴木エイト勝利を国際的に報告しています

2025年02月01日 | 法律・海外法務
後藤徹さんの対鈴木エイト勝利!を受けて、海外のメディアに寄稿する英文記事をドラフトしました。688words. 

Anti-cult Journalist was held liable for Defamation of Former Unification Church Deprogrammed Victim 

Tatsu Nakayama 

As argued in the previous article on Bitter Winter in October 2023, a Japanese anti-cult journalist Eight Suzuki was duly punished at the Tokyo District Court.  

In a lawsuit filed by Toru Goto, a believer of the Family Federation for World Peace and Unification (formerly the Unification Church), claiming that articles and comments by anti-cult journalist Eight Suzuki had damaged his reputation, the Tokyo District Court ruled on 31 January, 2025 that part of Suzuki’s comments constituted defamation. 

The court ordered Suzuki to pay 110,000 yen (USD 710) in compensation. The amount of damage is low, but this is close to the normal amount given for defamation on SNS in Japan.

Toru Goto had been abducted and confined by his relatives and deprogrammers for 12 years and a half in a wicked attempt to force him to lose the faith. 

Previous rulings held the perpetrators’ deprogramming to be illegal, which was confirmed at the Supreme Court in 2015.

However, Suzuki, though knowing the whole court process, has commented many times that Goto was just “hikikomori”, a shut in, recluse or agoraphobia who voluntarily withdraws from society and keeps staying in his room. 

Among others, when Masumi Fukuda, a journalist against the anti-cult movement in Japan, questioned Suzuki why he continues to insult Goto in 2023, Suzuki bluntly answered “I couldn’t care less”. Such offensive attitude attracted furious responses in SNS and made Goto file a defamation suit against Suzuki in October 2023.  

In this suit, Suzuki could not submit any new evidence to prove that Goto was hikikomori who voluntarily withdrew from society. All the arguments and documents produced by Suzuki were the ones already submitted to the previous Goto’s case ended in 2015. 

As anticipated, the Tokyo District Court held that Suzuki’s remarks unlawfully lowered Goto’s social reputation. 

This Goto’s victory is the first victorious judgment for the Family Federation rendered after the assassination of ex-Prime Minister Abe in 2022. 

After the assassination, the anti-cult movement prevailed in Japan and the Family Federation was subject to nationwide slander and strong social discrimination, which brought the government to file a suit to dissolve the Family Federation (this dissolution suit is now pending at the Tokyo District Court).

Under the surge of such hostile atmosphere in Japan, all the judgments rendered to the Family Federation and its associated entities (around 10 judgments) were unfavorable to them in this couple of years. 

Under such circumstances, it has been argued that in Japan there is an “unwritten rule” of “If you are a cult, you lose”. I wish Goto’s victory over Suzuki could become a threshold to make the wrong tide change.       

This judgment attacking the credibility of Suzuki is significant. 

After the Abe Assassination, Suzuki became very popular and led the national prejudice against the Family Federation that it is a cult that caused the Abe Assassination. 

Suzuki’s point is that : 
(i) the assassin Tetsuya Yamagami, whose mother is a believer of the Family Federation who donated a lot of money based on devout faith, is the “victim” of the Family Federation; and 
(ii) the ruling party Liberal Democratic Party has historically maintained too intimate connection with the Family Federation to be exempted. 

This argument by Suzuki was partisanly welcomed by both the left-wing parties who attacks the LDP and anti-cult parties such as the National Network of Lawyers Against Spiritual Sales

Suzuki thus has been as it were a national leader of the partisan attack against the Family Federation. The leader’s defeat at the court would weaken the partisan campaign in Japan.      

Following the ruling, Suzuki asserts that the ruling was “almost victorious” to him given the nominal damages. 

By making such propaganda, he continues to stand as an anti-cult activist though after the Abe Assassination he became famous as journalist. 

He expressed his intention to appeal this case by saying “In-depth criticism shouldn’t constitute defamation”. 

However, humiliating a 12-year-confined victim as hikikomori or recluse without showing any evidence isn’t “in-depth” criticism at all. 

The appeal case will end in the summer of 2025.   

____________

海外メディアに掲載されたらまた報告差し上げます。

以下はChatGPT訳:

アンチカルトジャーナリストが旧統一教会の脱会被害者を侮辱したとして名誉毀損で責任を問われる

弁護士 中山達樹

2023年10月のビターウィンターの記事で述べたように、日本のアンチカルトジャーナリスト、エイト・スズキは東京地方裁判所で適切に処罰されました。

家庭連合(旧統一教会)の信者である後藤徹氏が、アンチカルトジャーナリストのエイト・スズキの記事とコメントが自らの名誉を傷つけたとして訴えた訴訟で、2025年1月31日、東京地方裁判所はスズキのコメントの一部が名誉毀損に当たると判断しました。

裁判所はスズキに対し、11万円(710米ドル)の賠償金支払いを命じました。この金額は低いものの、日本のSNSでの名誉毀損に関しては通常の金額に近いものです。

後藤徹氏は、12年半もの間、親族や脱会者たちに拉致され、強制的に信仰を捨てさせられた被害者です。

これまでの判決では、加害者の脱会工作が違法であると認定され、2015年に最高裁判所でも確認されました。

しかし、スズキはこの裁判の過程を十分に知っていたにもかかわらず、後藤氏を「引きこもり」とし、社会から自発的に撤退した人間、あるいは社会的な恐怖症を持つ人間だと繰り返しコメントしてきました。

また、反アンチカルト運動のジャーナリストである福田ますみ氏が2023年にスズキに対して、「なぜ後藤氏を侮辱し続けるのか?」と尋ねたところ、スズキは「どうでもいい」とぶっきらぼうに答えました。

この侮辱的な態度はSNSで激怒を引き起こし、後藤氏が2023年10月にスズキに対して名誉毀損訴訟を起こす原因となりました。

この訴訟では、スズキは後藤氏が社会から自発的に引きこもった「引きこもり」であることを証明する新たな証拠を提出することができませんでした。スズキが提出した全ての主張や文書は、2015年に終わった後藤氏の裁判で既に提出されたものばかりでした。

予想通り、東京地方裁判所はスズキの発言が後藤氏の社会的評価を不法に低下させたと判断しました。

後藤氏のこの勝訴は、2022年の安倍元首相の暗殺後に家庭連合に対して下された初めての勝訴判決です。

暗殺後、アンチカルト運動は日本で勢いを増し、家庭連合は全国的な中傷や強い社会的差別の対象となり、政府は家庭連合解散の訴訟を起こしました(この解散訴訟は現在、東京地方裁判所で係争中です)。

こうした敵対的な雰囲気が日本で高まる中、家庭連合およびその関連団体に対して下された判決(約10件)は、ここ数年、いずれも不利なものばかりでした。

このような状況の中で、日本では「カルトであれば負ける」という「暗黙のルール」が存在するという議論がなされています。後藤氏のスズキに対する勝訴が、この誤った潮流を変えるためのきっかけとなることを願っています。

スズキの信用性を攻撃するこの判決は非常に重要です。

安倍元首相暗殺後、スズキは非常に人気を博し、家庭連合が安倍暗殺の原因となった「カルト」であるとの国家的偏見を先導してきました。

スズキの主張は以下の通りです:
(i) 暗殺者である山上徹也は、信仰に基づいて多額の寄付をした母親が家庭連合の信者であり、山上は「家庭連合の被害者」である;
(ii) 与党自由民主党は歴史的に家庭連合と過度に親密な関係を持っており、免責されるべきではない。

スズキのこの主張は、自由民主党を攻撃する左翼政党や、霊感弁連などのアンチカルト団体に党派的に歓迎されました。

このように、スズキは家庭連合に対する党派的攻撃の国民的リーダーであり、彼の敗北は日本での党派的なキャンペーンを弱体化させるでしょう。

判決を受けて、スズキは「私はほぼ勝った」と主張しています。

このような宣伝を行うことで、彼はジャーナリストとして有名になった後も、アンチカルト活動家として立ち続けています。

彼は「踏み込んだ批判が名誉毀損に当たるべきではない」として、この事件を控訴する意向を表明しています。

しかし、12年も閉じ込められた被害者を「引きこもり」として侮辱し、何の証拠も示さないことは「踏み込んだ批判」などではありません。

控訴審は2025年夏に終了する予定です。

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鈴木エイト氏の微妙な表情

2025年02月01日 | 人物
12年半の監禁被害者・後藤徹さんを「引きこもり」呼ばわりして不法行為責任を認定された鈴木エイト氏が、それでも「ほぼ勝訴」と強がり写真撮影。

その表情、作り笑いは、人類の反面教師として、記録するに値する。


こういう表情をする人には気をつけましょう。
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鈴木エイト氏の微妙な表情

2025年02月01日 | 人物
12年半の監禁被害者・後藤徹さんを「引きこもり」呼ばわりして不法行為責任を認定された鈴木エイト氏が、それでも「ほぼ勝訴」と強がり写真撮影。

その表情、作り笑いは、人類の反面教師として、記録するに値する。


こういう表情をする人には気をつけましょう。
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勇気と品性の4象限  ー勇ましく高尚な生涯

2025年02月01日 | 人間心理・心理学
勇気と品性の4象限を思いつきました。

勇気もあり、品性もある「高潔」ゾーンには、「崇高」という言葉が当てはまるかもしれない。ChatGPTがそう言っています。

内村鑑三が説いた「勇ましく高尚なる生涯」は、この「高潔」「崇高」の右上のゾーンに行け、ということ。

右上を目指しましょう。

温和であるだけでは足りない。勇気を出せる者が勇気を出さないと、世の中は良くならない。

____________

不祥事に対してモノを言う、Speak upするというのは、常日頃からこの右上の高潔・崇高を目指していないと、難しいと思う。

自ら反りみて正しくんば、千万人と言えども吾往かん とか、
不義にして富みかつ貴きは我において浮雲の如し みたいな、
「右上(高潔さ)を目指す美学」みたいなものにあこがれていないと、なかなか右上の高潔さは身につかない。

人はすべからく古典を読まざるべからず。

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勇気がない人は俗物だ

2025年02月01日 | 人間心理・心理学
勇気と宗教に関する私の思考の系譜を振り返る。

・勇気のある人にはクリスチャンが多い。

・クリスチャンには勇気がある。

・クリスチャンのみならず、しっかりした宗教心・精神性のある人には勇気がある。

・(その逆の)俗物には勇気がない。

 と、私の思考が発展してきた。先鋭化してきた、というべきか。
 

 さらに思考を先鋭化させると、

勇気がない人は俗物だ

と言える。言いたい。言ってしまおう。言うべきだ。

勇気を発揮しなければ俗物に堕する。

そういう危機感・緊張感を持って暮らしたい。私は少なくともそう暮らしている。

「俗物に堕してなるものか」「自分は何者なんだ」「自分はどうありたいんだ」

…そういう「問い」を自分に発し続ける。自分を定義づける。自分を限定する。自分の輪郭を自分で定める。

それが自制であり、自律であり、人格形成であり、昔でいう「修養」ってことでしょう。

____________

卑しい、醜い、みっともない、さもしい人間類型に自分はなってたまるか。

その意地と美学と痩せ我慢が、自分の輪郭を形作っていく。

やせ我慢ってのは美学なんですね。

 ※ 昨年9月にも似たようなことを書いていた。 こちら
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『論語の読み方』山本七平

2025年02月01日 | 
『論語の読み方』

 


■ 孔子は、直接的な「仁」の定義を語らなかった。

 …演繹的ではなく、帰納的に、仁とは何かを考える。
  インテグリティと同じ。
 論語の仁って、インテグリティ。

■ 仁遠からんや。われ仁を欲すれば、斯に仁至る

 …仁というものは遠い存在だろうか?
  いや、我々がそれを求めれば、すぐにここにやって来る。

 …インテグリティも、似たようなものだろう。
  それを求めれば、すぐにそこにインテグリティが顕れる。

■ 「仁」とは死ぬまで続く「生涯教育」の方法

■ 「高慢な人の不幸を治す薬はない」
 
 …どこかのキリスト教系の言葉。思い当たる節はある。
  私もそうならないように次回せねば、、、
  
■ 田中美知太郎 「教育の基本は『畏れ』(畏怖・畏敬)だ」

 …これはほんとにそのとおり。さすが司馬遼太郎の前に文藝春秋の巻頭言を書いていた田中美知太郎。

 …彼の有名な「平和憲法を持っていれば平和になるわけではない」はこちら

■ 『書経』 「畏れざれば畏れに入る」
 
 …慎みをもち、畏れることを知らなければ、やがて恐るべき運命に陥ってしまう。

 …いい言葉。拳拳服膺したい。

■ 『李陵』もおもしろい。僕は昔からあれは愛読書です。

 …我が敬愛する山本七平が、我が愛読する李陵を愛読書と明言していることを知って、欣喜雀躍している。

 分かる人には分かるんだ!


 
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フジテレビ問題 足りないのは…

2025年02月01日 | 社会・時事など
フジテレビ問題。遠藤周作の長男の遠藤龍之介副社長が株を上げました。

いろんな不祥事のメディア対応を見て、思う。

足りないのは…

潔さ。

スパッと謝る。スカッとアタマを下げる。

一昔前の昭和には当たり前だった価値観。

ピンチはチャンスなんです。ミスったら、スカッと謝る。

それをするだけで、株が上がることがある。

私の事務所でも、ミスったら、評判を上げるチャンスだと思って、電話したり、足を運んだりして、スカッと謝ります。滅多にないけど。

潔い、っていう言葉を、最近、たとえば令和になってから、聞かなくなりました。

みんな小利口になった。愚鈍の美しさを問われなくなった。小賢しくなった。

ヨコになった。タテの価値観が失われた。



いずれまた、タテ的に、潔さの価値観が、思い出されるときも、来るでしょう。
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フジテレビ10時間会見

2025年02月01日 | メディア/SNS
フジテレビの、先日の、中居SEXスキャンダルの、10時間会見。

10時間掛ける意味なかった、30分で良かった、的な声が多い。

そのとおりだろう。

でも、これを、またヘンなメディアが洗礼として、「フジテレビは10時間やりました、なんで2時間しかないんですか!」的に、今後の不祥事で「フジの10時間会見」が悪しき先例として利用されるおそれはある。

とはいえ、私の考えは、変わらない。

1タレントの下半身不祥事に端を発する、メディアの責任について、10時間のリソースを使う必要は、あるまい。

10時間対応する人、そのスタッフ、公共の電波を10時間分占領する、国民に10時間それを提供する、、、

戦後最大の殺人事件とか、驚天動地の不祥事とかならともかく、タレント下半身責任、でしょ、、、

むしろ、このフジの10時間会見は、「いくら長い会見やっても生産性が上がるわけではない」という先例として用いたらいい。

「1時間では短すぎます!もっと伸ばせ!」というメディア・ジャーナリストの声に対して、「フジテレビが10時間やりましたが、長ければ長いほどいいわけではないことが証明されました、だから1時間で終わりです」的に。

令和7年ニッポンは、タレント下半身責任(未だに何が問題なのか私にはよく分からない)で、大手メディアが10時間会見を行った。

メディア史に記録しておきましょう。

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「引きこもり」発言の鈴木エイトは「踏み込んだ批判」だと

2025年02月01日 | メディア/SNS
戦後最大の犯罪12.5年の監禁被害者後藤徹さんを「引きこもり」呼ばわりして名誉毀損認定された鈴木エイトは、それを「踏み込んだ批判」と開き直って悪びれる様子もない。


メディア史に記録しておきましょう。

オールドメディアさん、こういう反社会的な不法行為者をまた起用しますか。
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