甲府の人権シンポジウムで、今日、こんな質問をいただきました。
中山さんは(そんなに敬虔なのに)なぜ特定宗教の信者にならないのか
私の答えを改めて備忘のためにまとめると:
1 勇気がない
5年くらい前から、牧師から聖書・キリスト教を学んできた。
洗礼受けちゃいないよ、って言われて、その気になったこともある。
キリスト教精神には、私をして入信を考えさせるくらいの、魅力はある。
「人と違うことをする」のが私の人生のモットーだから、1%しかいないクリスチャンになったら、またそれで違う世界が見えるんだろう、って好奇心はある。
でも踏ん切りがつかない。
私がチキンなのかな。なんでじゃあチキンなのかを分析すると、、
2 親孝行
親孝行というか、親への遠慮。
中山家は浄土真宗。母方は日蓮宗。
とはいえ、葬式や法事のときに念仏上げるくらいの、普通の日本人程度の、仏教。
でも、親との対話もなく、私がいきなりクリスチャンになったら、親はどう思うかな? みたいな遠慮がある。
クリスチャンになっても、別に中山家の墓に入れるんだろうけど、最初は、クリスチャンになったら家の墓に入れないのか?的な危惧もあった。
3 必要性を感じない
っていろいろ書いたけど、やっぱり宗教の必要性を感じていないからかな、、、
19歳から25歳までに、四書五経的な漢籍とか、陽明学の本はほとんど読んだ。だから私は陽明学徒。
陽明学とキリスト教はほとんど同じ。
だから今更クリスチャンになる必要があるのか?って思いはある。
取り急ぎ以上3点のみ。
また何か思いついたら書きます。