川塵録

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「道」を学ぶ者

2024年09月19日 | 書道
ある方と、「道」について会話。

「道」を学ぶ者は、違う。なんか違う。

柔道、剣道、弓道、合気道、空手道、茶道、華道、書道、、

信念があるというか、落ち着きがあるというか、美学がある。

そう仰っていた。たしかにそんなところはある。

なぜ、そういえるか。

1 果てしなさ

「道」は、ほど遠い。道の追求には、終わりがない。果てしない。

大きな円の一部になるような営み。だから、謙虚になる。傲慢にならない。

道を学ぶ者は、その「果てしなさ」を知っている。だから道を学ぶ者は謙虚になる。

2 10年単位

1の「果てしなさ」から来る「謙虚さ」とつながるというか、1の原因ともいえますが、「道」の習得には、10年単位がかかる。

例えば、新極真の城南川崎支部の一般男子で、黒帯になるには平均10年近くかかるのでは?

10年とか20年とかやって、ようやく「道」の遠大さ、尊さ、果てしなさを実感する。10年続けないと分からない、ないし体感できないことがある。

たとえば、空手の基本稽古。最初の5年とか10年は、意味もわからず、wax on wax off @カラテ・キッド で、言われるがままにやる。やらされる。

でも、10年経つと、「おお、この意味ワカラン動きには、こんな深遠な意味があったのか!!!」って発見して、興奮することがある。

このように、「10年やってようやくその価値が分かる」ことがあるのが、「道」。単なるスポーツでは、こういうことはあるとしても、あまりこういう言い方はしない。

ま、そのカラクリを強引に紐解くと、「道」は古いから、その教えは篩にかけられており、容易に変えることはできない。例えばカラテの立ち方の三戦(サンチン)立ちとか。

でも、三戦立ちのその立ち方がなぜいいのか、なぜそういう立ち方をしなければならないのか、その立ち方を数センチ変えたらどうなるのか、を師範が説明することはない。

「そういうものだから」という、誠にぶっきらぼうの、会社だったら即パワハラ認定されそうな答えしか与えられない。とても言葉足らず。

その言葉足らずも原因となり、基本事項の深奥さが分かるのが、10年かそれ以上あと。

他の例を挙げよう。

書道では、

  1.  指で書くのは下の下
  2.  手で書くのは下
  3.  腕で書くのが上
  4.  心で書くのが最上

みたいに言われる。でも、この「3 腕で書く」に来るまでに、ひょっとしたら10年くらいかかるかもしれない。

だから「書道って、手とかで書くのではなく、心で書くもんだよね」っていう会話をすることができる人は、書道を10年近く嗜んだ人。それ以外の人にはちんぷんかんぷんなところがあるだろう。

かように、「道」の効果は、10年後に出る。
だから、道を歩む者は:

1 意味もわからず言われたことをやる純朴さ、単純さ、粘り強さ、忍耐力がある。
2 自分が「大きな円の一部にすぎない」ことを知っている。
3 「円の一部にすぎない」つまり歴史の一微粒子にすぎないから、謙虚であり、真摯である。

こういうところが、「『道』を学ぶものは筋が通っている」的な印象を与えるのだろう。

取り急ぎの言語化です。以下の本にはとてもヒントが多そうなので、またおって言語化に試みます。


 
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