最近、好きになってきた、聖書の聖句。
一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。
死なば多くの実を結ぶべし。
ヨハネ12:24
「一粒の麦」という言葉としてとても有名。
でも最近、腹落ちするようになってきた。
執行草舟の一連の著作の影響で。
執行草舟は、こう言っている。
- 生きているうちは常に「未完」。
- 死ぬまで崇高に憧れよ。
- 成功とか幸せとか目指す俗物に成り下がるな。
とても共感する。
私が、「誰よりも多く、誰よりもたくさん人を幸せにする」ために、今生きている80億人ではなく、私の死後の数100億人を念頭に生きているのと、合致する価値観。
その、私とか執行草舟さんの考えを端的に現したのが、「一粒の麦」。
私の考えていることなんか、2000年前にイエスが言っていた。
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今日読んだ『お々 ポポイ!』という執行草舟さんの自伝で、以下を知った。
執行草舟も、立教小学校に入って、有賀千代吉校長に、「卒業するまでに一つだけ、イエス様の言葉を覚えなさい」と言われて、覚えたのが、この言葉。一粒の麦。
おお。
執行草舟が、小6まで、岩波文庫全巻を読破したりして、かなり知的にませた小学校生活を終えて、最終的に選んだのが、この「一粒の麦」。
なんだか執行草舟さんと私とのご縁を感じる。
この本では、この「一粒の麦」が、「犠牲的精神の極致を表す」と紹介されている。
私も、「犠牲的精神の極致」を表現できる人生を歩みたい。