今日も日本には虚構の腐った風が吹く。先ほど、秋篠宮の息子の悠仁様(ひさひと)が信じられないような災難にあった。通う中学校の席にナイフを置かれた。犯人は逮捕された。供述によると、男は、天皇制反対で刺すつもりであったようだ。幸い教室には誰もおらず被害は受けなかったが、もし、いたなら殺されていたかもしれないのだ。最近、皇位継承権のある人への暗殺未遂事件など聞いた事がない。皇室の人々はしっかりガードされてると思っていたが、意外と手薄なのだ。思想犯といえるほどの人物なのか。天皇制反対の活動を長くやってきたのか。個人のテロのようだ。日本のマスコミは、この事件を軽く扱ってるが、暗殺されていたなら、令和の幕開けでの歴史に残るような大事件になっていただろう。政治問題になるはずだ。責任問題が発生するだろう。安部政権を大きくゆする事件になってたはずだ。幸い、教室には誰もおらず、運命の神は、本人にも安部政権にも被害を与えなかった。運命の落とし穴は身近なところにあるのだ。皇室の人々といえども、絶対に安全ではない。暗殺される可能性のある人々、政治家やマスコミ記者、ジャーナリストなどは常に警戒してなければならない。政治とは、闘争なのだ。価値観の違いがぶつかりあう現場なのだから、激しくなれば相手を殺してでも、政治活動を封じたいと思うだろう。今の日本では暴動もテロもないが、安心はできない。日本でもかつては暗殺は、よく起きていた事だ。今の日本の政治活性度の低さ、国民のちゃらさは、政治的ではない。政治家もあほみたいななのが多い。政治に関心がない人間が多すぎるのだ。政治が育たない土壌では、暗殺も、テロも暴動も起きにくい。しかし、暗殺、テロは起きるのだ。政治活性が高くなる時には、血が流れるのだ。第二次世界大戦、フランス革命、ロシア革命、明治維新、アメリカ独立戦争など、人間の大量の血が流れたのだ。血が流れないで問題が解決すれば、それが一番いい。しかし、人間とは、血を流す運命なのだ。今の日本では、あくびが出るような平和が続いてるが、永遠には続かないであろう。また、激しい政治闘争の時代が来るだろう。