選挙の効果

総選挙の意味

愛知トリエンナーレ  バリケイト伊東

2019-10-03 08:35:01 | 政治
  中止に追い込まれた愛知トリエンナーレがまた再開するそうだ。前回ではたった3日で中止にしてしまった。政治的作品に対しての圧力、脅迫、脅しに簡単に屈服してしまった。脅迫など、最初から予想された事ではないか。脅迫したのは、右よりの連中だ。ネット右翼とかヘイトスピーチしている連中だろう。電話なら顔を名前もわからないから、なんとでも言える。日本の今の表現の自由が後退してきてるので、表現の不自由展として開催したのではないか。表現の自由、言論の自由を守るためには、戦わなければならない。脅しが怖いからやめますでは、話にならない。自由は戦わなければ得られないのだ。主催者側のリーダー格の津田は、ジャーナリストだ。愛知トリエンナーレを開催するにあたって、かなりテンションをあげていたのではないか。脅迫も予想していたのではないか。それなのに、いとも簡単に圧力に降参してしまうとは、ジャーナリストとしての肩書が泣くぞ。ペンは武より強しということわざがある。暴力に簡単に屈服してしまうのは、ジャーナリストではない。世界中で多くのジャーナリストが権力、犯罪組織、テロと戦ってる。時には命を失う。香港での若者達の自由を求めての闘争を見習うべきだ。暴徒や警官が会場に現れて、暴力を振るうわけではないであろう。津田自身、殺されるとでも感じたのか。びびりな男だ。政治は常に賛成、反対の綱引きだ。大きい問題では、その政治的綱引きのパワーは殺人や破壊を引き起こす。政治とは、そういう物なのだ。政治活性ゼロの日本では、激しい政治暴動など起きない。なにを恐れてるのだ。行政の知事と市長では考え方がまったく逆だ。大村愛知県知事は文化庁の交付金を払わない決定に猛抗議、裁判に訴えると息まいてる。名古屋の河村市長は、開催に大反対だ。お互いに一歩も引かない感じだ。このような闘争はいいではないか。政治的な課題にお互いに言いたい事を言えるのは、まだ日本の民主主義の健全性を示してる。。中国なら権力に逆らうような美術展はすぐに中止に追い込まれ、開催者は警察に逮捕されるだろう。今度こそ主催者は、脅迫に恐れず開催しなければならない。自由は、天から降ってくるわけではない。各種の自由を得るのに、人間は血みどろの闘争を得て自由を得てきたのだ。自由を得るためには戦わなければならない。トリエンナーレの作品を見るより、成り行きを見るほうがおもしろい。