ラグビー、ワールドカップでの日本チームが南アフリカとの対戦で負けた。しかし、さわやかな印象を残した。日頃、私はラグビーの試合をほとんど見ないし、細かいルールもわからないが最後まで見た。選手達の必死のプレイは、元気のない日本に元気と勇気を与えた。ナショナリズムの高揚感に、私もふるい立った。慢性的な曇り空の日本に久しぶりに太陽が顔を出した。日本人はおとなしくなったが、熱はあるようだ。政治的暴動なんて日本では起きないが、マグマは冷えてない。ヒットラーみたいな政治家が出てくれば、日本人も政治的に活発化するかもしれない。人間の心なんて東も西も同じだ。人間はあやつられやすい。いい意味で政治が活性化してくれればいい。ナショナリズムの高揚感は危険な面も合わせ持ってる。ラグビー、ワールドカップを機に日本は一つになろうとか、まとまろうとかの言葉があちこちで聞かれる。1億2千万500万人が全員同じ価値感を持つのか、国家主義的発想に恐怖を感じる。多様性を認めない国、社会は不幸だ。日本のように日本人でこり固まった国でも、多様な考え方、価値観、感性が存在しているのだ。日本人でも外国人チームを応援したら、あいつは非国民だなんて排除、いじめをするのは良くない。あくまでも、スポーツでのナショナリズムの高揚感だ。イギリス、韓国、香港での政治的分裂、ナショナリズムの高揚感とは違う。日本では、スポーツでのナショナリズムの高揚感が政治的高揚感に結びつかない。日本はたくさんの政治的問題を抱えてるが、政治暴動なんて起きない。ラグビーを見て一時的にナショナリズムに酔っただけの話だ。日本では、政治は動かない、国民は政治に関心がない。関心あるのは、食いものと芸能人、美容だ。日本は女の感性で動いてる。ラグビーは男性的スポーツだが、日本社会は女性的だ。スポーツイベントは政治的ナショナリズムの高揚感には結びつかない。そもそも順序が逆なのだ。政治的ナショナリズムの高揚感の上でスポーツのナショナリズムの高揚感が出てくるものなのだ。仲の悪い国同士でスポーツ試合をすると、スタジアムが熱気に包まれる。日本でも韓国とのスポーツ対戦で会場が熱くなる。私が政治を熱く語ったところで日本人は政治には関心がない。語るだけむなしくなる。日本人選手の皆様、お疲れ様でした。ゆっくりお休みしてください。