今日より聖火リレーが福島から始まった。スケジュール通りだ。女子サッカー選手が集団で聖火を運んでる映像がテレビから流れた。だからどうだと言うのだ。小さい火を手渡しでつないでゆく。子供の運動会みたいだ。廃墟になった50階建て巨大ビルをダイナマイトで爆発させ、燃やしたほうが盛り上がる。まったくオリンピック開催の高揚感もないし、ナショナリズムも盛り上がらない。最近の日本のナショナリズムは、葬式みたいに静かだ。言葉では日本はすごい、日本をまとめる、日本を世界に発信するとか、テレビ解説者は言ったが空回りしている。多くの日本人にはまったく響かない。密集を避けるために、観客に路上に集まらないでくれと、組織委員会は注意している。そもそもオリンピックは開催できるのか。今、またコロナの感染者数が増加してきている。7月に感染者が0という事にはならないであろう。開催地の東京で2000人超えなんていう事になってるかもしれない。今の日本には、聖火リレーを心より祝えない人間が多くいるのだ。食事も満足に食べれない人間が多くいるのだ。聖火より生火に追われてる。生活が炎上しているのだ。そのような人にとっては勝手にやってくれという気持ちであろう。聖火より食事、お金、支援のほうが大切だ。日本は真っ暗なトンネルに入って方向性なく進んでる。聖火リレーなんてやらないほうがいい。聖火リレーに参加した人からコロナ感染者が続々出てきたら、しゃれにならない。やり終えた頃に、オリンピック中止の決定ではまったく意味がない。聖火リレーには相当なお金がかかるのだ。そんなお金は生活困窮者に回したらいい。