平成22年11月25日(木)晴
カーテンを開けると穏やかに晴れ渡っている。
今日は早くも京都の最終日だ。
例によって、早めにレストランへ行くと、今朝は準備が遅れている。
今朝も品数が多く、満足の朝食だった。
*
一人一個の荷物を宅急便で送ることができるとのことで、スーツケースと段ボール箱を宅配に依頼する。
今日のバスの座席は中程、小生は昨日と同じく後方の座席へ。
今日も予定を変更して、朝一番で[東福寺]へ行くことになる。
ガイドの川上氏によれば、とにかく最高に混雑するところなので、朝一番にしたとのことだ。
バスは河原町通から七条大橋を渡り、右手の三十三間堂と左手の国立博物館の前を通り、東大路通へ出て、東福寺の入口で止まる。
混雑のため駐車場が利用できないので、ここで降りて10分ほど歩くことになる。
この東大路通りに次々と観光バスが止まり、参拝客が一斉に歩きだすので、狭い道路は人で溢れている。
*
東福寺
摂政・九条道家が嘉禎2年(1236)に祖父の菩提寺として建てられた。
聖一国師を開山として、実に19年もの歳月を費やし造営した。
京都五山の一つで、臨済宗東福寺派の大本山。
奈良の「東大寺」のように大きく、「興福寺」のように盛大を極めた寺にと、それぞれ東と福
の字を取り「東福寺」と命名された。
寺域内には本堂(仏殿)・禅堂・開山堂・鐘楼・庫裏・浴室・東司がある。
そのほか、周辺には龍吟庵など25の塔頭が点在する。 【東福寺パンフレット】による
*
いつの間にか途切れなく続く人波について行くと、亀山天皇御所の遺構とされる[月下門]か
ら境内に入る。
急に歩く速度が遅くなったのは、少し先にある[臥雲橋]から、渓谷・洗玉澗の紅葉と東福寺
名物の[通天橋]が 見えるためと分かった。この橋からの絶景をカメラに収めるため、立ち
止る人が多いのだ。
係員が「立ち止らないで、進んで下さい」と言っているが、それは無理と言うもの。
小生も隙間を見つけて、ビデオを回す。
ここから眺める紅葉は、やや盛りを過ぎているようだが、まだまだ見応え充分なのだ。
*
■通天橋(つうてんきょう)
渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架かる本堂(仏殿)と開山堂をつなぐ廊橋。
聖一国師が中国から持ち帰った唐カエデ(三葉もみじ)も珍しい。
この通天橋の一帯は紅葉の見どころスポットとなっている。 【東福寺パンフレット】による
後ろからの参拝客に押されるようにして先へ進むと、[日下門]から[通天橋]の拝観受付へ出る。
ここは本堂の脇に当たる場所で、国宝の[三門]を通らず、また[本堂]の拝礼などもせずに、ただ境内の紅葉鑑賞をするだけのことになる。
通天橋 本 堂

*
通天橋に向かう渡り廊下の左側は紅葉の庭になっていて、色彩豊かな樹々に観光客は足を止めている。
今日もまた素晴らしい紅葉の数々を見ることができそうだ。
その廊下を右に曲がると、本堂の一部が見えてくる。
さらに左に折れると、江戸中期の名園のある[普門院]へ入る。

*
その後は庭園に降りて、心ゆくまで紅葉の鑑賞となる。
[洗玉澗]の渓谷に降りて、紅葉の真っ直中の景観を楽しむことにする。
ここでも、何処を切り取っても絵になるようで、夢中でシャッターを切る。
ただ観光客が多いので、人影を避けて撮ることは極めて難しい。

*
次の画像は[洗玉澗]を渡る橋から[臥雲橋]と[通天橋]を見たものです。

*
[洗玉澗]から再び庭園に出て、紅葉三昧となりました。


*
最後に[経蔵]の前にある深紅の紅葉を撮って庭園を後にしました。

*
表通りへ出るまでの混雑は、一段と酷くなっている。
もっとも休日になると、境内を含めて一方通行になるというから、これでもまだ混雑度は低いということだ。
バスに戻りいざ出発という段階で、2人の方が乗っていないことが分かった。
麓添乗員が探しに行ったが、なかなか戻ってこない。
しばらくして、バスが動き出したので、どうしたことかと思っていると、ガイドの川上氏から、
「よその団体の後に付いて行っていたのを見つけたので、後からタクシーで追いかけますと、連絡がありましたので、出発しました。」と説明さ
れる。
年配者の多い団体のこと、恐れていたことが起こってしまったが、やはりグループの先頭と最後に係員がいてチェックしていないと、こんな結果
になることを改めて教えられた。
*
今日の昼食は、洛北の[大徳寺]境内にある[泉仙(いづせん)]へ。
今朝来た道を戻り七条通りで、本堂修理中の[東本願寺]を右手に見て、堀川通へ出ると左手に[西本願寺]が見られる。
さらに進むと左手に[二条城]がある。この時期は観光客も少なく、駐車場も空いている。
*
40分ほどで大徳寺駐車場に到着。
大徳寺も本堂修復中とあって、駐車場は空いている。
大徳寺
元応元年(1319)に宗峰妙超、後の大燈国師が建てた寺が始まり。
応仁の乱で荒廃したが、堺の商人らの援助を得て再興された。
総門から勅使門、三門、仏殿、法堂が直線に並ぶ伽藍配置。聚楽第の遺構と伝わる唐門は国宝。
秀吉が千利休に切腹を命じるきっかけとなった三門が知られている。
*
総門から境内に入り、塔頭の一つである[大慈院]にある[泉仙]に向かう。
境内には紅葉は少ないが、大慈院の中には目の覚めるような紅葉が見られた。

*
座敷に入ると、先ず抹茶とわらび餅が出される。
次いで料理についての説明があり、いわゆる精進料理で肉類などは一切使っていないこと、七種類使用する器は一つに纏められること、などを話
される。

*
「泉仙」の鉄鉢料理
鉄鉢とは、僧が食物を受けるために用いた鉄製のまるい鉢のこと。
遠くインドにはじまり、日本へは奈良時代に伝わり、托鉢の僧が用いたといわれています。
「泉仙」の鉄鉢料理は、この鉄鉢を形どった器に、四季折々の味覚を盛り込み、禅のこころと、京料理の伝統を現代に生かしています。 泉仙のパンフレットより
食事が終わり、器の大きい順に重ねて行くと、なるほど見事に一つに纏まった。
食器類の後片付けや、格納にも場所をとらず、合理的なものであることが分かった。
*
食後、大慈院の住職から、一休さんを中心とした法話を伺う。
飄々としたお話ぶりが、まさに一休さんを彷彿とさせるものがあった。
有遍路より 無遍路にいたる 一休(ひとやすみ) ・有遍路 : 迷の社会、無遍路 : 悟りの世界
雨ふらば降れ 風ふかばふけ


*
午後からはツアー最後の訪問地、♪ きょうとぉ~ お~はら さんぜんいん……♪ と歌われている[三千院]へ。
北大路通を東へ進み、賀茂川と高野川(この2つの川が合流して鴨川となる)を渡って、若狭街道を北へ40分ほどで到着。駐車場は観光バスで
溢れている。ここの拝観も混雑は覚悟の上のことだ。
ここも山の斜面を10分ほど登ることになる。右手には呂川の細い流れ、左手には土産物店が並び、
「帰りにお寄りやす !」と声がかかる。細い道は、登り降りの参拝客で溢れている。

*
境内の入口は階段になっおり、ここでも一般の観光客と団体の入口は別になっている。
その[御殿門]を潜り、靴を脱いで[客殿]から[宸殿]を拝観する。

三千院
三千院は、また梶井門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありましたが、中世以降、大原魚山
の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に政所を設けたのが前身です
明治になって三千院と公称するようになりました。
三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後
寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。
その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井
宮の政所であった現在の地を一時仮御殿とされたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原
町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。
元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれ
て以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。
妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡の一つとして歴代の天台座主を
輩出してきました。
およそ2600�の境内には往生極楽院をはじめ、本尊薬師如来(秘仏)・救世観音・不動明王(伝
・慈覚大師作)を祀る宸殿、明治画壇に活躍した下村観山・鈴木松年・竹内栖鳳・望月玉泉・
今尾景年・菊池芳文などの襖絵がある客殿、そして客殿の前には江戸初期の茶人として有名
な金森宗和が手がけたと言われる池泉鑑賞式の庭園・聚碧園、宸殿前の庭園・有清園があり、
四季折々の景観を楽しむことが出来ます。
宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」と書かれた伝教大師の言葉が掲げられています。
「修行僧は紅葉を見、青苔に接して、紅葉と和し、青苔に融け、一枚の散る紅葉を青苔とが一つになって同化し、自分の心にとけ込んでいく心境
づくりをするのであります」(小堀光詮門主)。
庭は心の修養の道場ということでしょうか。
三千院には春の石楠花、初夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の積雪がよく似合います。
【三千院ガイド】より
*

*
[宸殿]から庭に降りて[往生極楽院]へ向かう。

*
[往生極楽院]は、恵心僧都源信が父母の菩提のために建立したと伝えられているとのこと。
お堂に比べて大きい【阿弥陀三尊像】が安置されています。
右に観世音菩薩、左に勢至菩薩と、中尊の阿弥陀如来が、少し窮屈そうなお姿でおられるのを拝観しました。
*
その庭先に【わらべ地蔵】が何体かあり、カメラの被写体になっていました。

*
そこから斜面を登り、[金色不動堂]、[観音堂]を経て、庭園を一周する。
ここの紅葉は大半が最盛期を過ぎたようでしたが、まだ一部がそれなりの美しさを見せてくれていました。
下左の画像は、出口付近の[円融房]付近の紅葉で、最後に[円融蔵]で、極楽院の船底天井画の復元模写などを拝観して、三千院の外へ出る。

*
上右の画像は、境内の外側に沿って流れる律川にかかる紅葉です。
その先にある[後鳥羽順徳天皇大原陵]の紅葉を見て、引き返すことにする。
境内の外側には飲食店やお土産屋が並び、多くの観光客が足を止めていました。
中でも〈千枚漬〉の製造販売をしている店先は、大変な人だかりで、思わず中を覗いて、試供品などを口にしてしまいました。
*
2時間の自由時間を有効に使って、最後の紅葉見物を充分に楽しむことができました。
これで3日間のツアーは終了、天候にも恵まれ、京都各地で素晴らしい紅葉の数々を見ることができました。
バスは若狭街道から鴨川沿いの川端通りを経て、約1時間で京都駅に到着。
ベテラン現地ガイドの川上氏、ドライバーの笠原氏に感謝。
*
列車の出発時間まで自由時間となったまでは良かったが、集合時間になっても2人の方が見当たらず、麓添乗員があちらこちら駆け回っていた
が、結局発車10分前になって1人が姿を見せる。
どうやら食事をしていたらしく、皆さんの前に来ても謝りもせず、平然とした態度にこちらが呆れる。
後の1人は皆さんが改札に入りかけてから駆けつけて来たが、こちらも何の挨拶もない。
個人旅行を別にして、団体旅行では、グループの方々に迷惑をかけることのないように行動してもらいたいものだ。年配者でもこんな自分勝手
な、無礼な人間がいるのに情けない気持ちにさせられる。
*
改札後に夕食のお弁当を買うように、と麓氏から言われていた我々を含めた他の方々は、発車間際に慌てて購入する羽目になってしまった。
最後になって後味悪いツアーの思い出ができてしまった。
その嫌な思いが、東京近くになって強い雨が降り出したので、一層輪をかけることになってしまい、「終りよければ総て良し」にならなかった
のが少しばかり残念だった。
*
9時00分ホテル発(バス) → 9時20分東福寺10時50分 → 11時30分大徳寺・大慈院・泉仙(昼食・鉄鉢料理)… 大慈院住職・法話
… 13時00分 → 13時40分三千院15時30分 → 16時30分京都駅17時56分(ひかり482号)→ 20時40分東京駅着
【約18,000歩】
カーテンを開けると穏やかに晴れ渡っている。
今日は早くも京都の最終日だ。
例によって、早めにレストランへ行くと、今朝は準備が遅れている。
今朝も品数が多く、満足の朝食だった。
*
一人一個の荷物を宅急便で送ることができるとのことで、スーツケースと段ボール箱を宅配に依頼する。
今日のバスの座席は中程、小生は昨日と同じく後方の座席へ。
今日も予定を変更して、朝一番で[東福寺]へ行くことになる。
ガイドの川上氏によれば、とにかく最高に混雑するところなので、朝一番にしたとのことだ。
バスは河原町通から七条大橋を渡り、右手の三十三間堂と左手の国立博物館の前を通り、東大路通へ出て、東福寺の入口で止まる。
混雑のため駐車場が利用できないので、ここで降りて10分ほど歩くことになる。
この東大路通りに次々と観光バスが止まり、参拝客が一斉に歩きだすので、狭い道路は人で溢れている。
*

摂政・九条道家が嘉禎2年(1236)に祖父の菩提寺として建てられた。
聖一国師を開山として、実に19年もの歳月を費やし造営した。
京都五山の一つで、臨済宗東福寺派の大本山。
奈良の「東大寺」のように大きく、「興福寺」のように盛大を極めた寺にと、それぞれ東と福
の字を取り「東福寺」と命名された。
寺域内には本堂(仏殿)・禅堂・開山堂・鐘楼・庫裏・浴室・東司がある。
そのほか、周辺には龍吟庵など25の塔頭が点在する。 【東福寺パンフレット】による
*
いつの間にか途切れなく続く人波について行くと、亀山天皇御所の遺構とされる[月下門]か
ら境内に入る。
急に歩く速度が遅くなったのは、少し先にある[臥雲橋]から、渓谷・洗玉澗の紅葉と東福寺
名物の[通天橋]が 見えるためと分かった。この橋からの絶景をカメラに収めるため、立ち
止る人が多いのだ。
係員が「立ち止らないで、進んで下さい」と言っているが、それは無理と言うもの。
小生も隙間を見つけて、ビデオを回す。
ここから眺める紅葉は、やや盛りを過ぎているようだが、まだまだ見応え充分なのだ。
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■通天橋(つうてんきょう)
渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架かる本堂(仏殿)と開山堂をつなぐ廊橋。
聖一国師が中国から持ち帰った唐カエデ(三葉もみじ)も珍しい。
この通天橋の一帯は紅葉の見どころスポットとなっている。 【東福寺パンフレット】による
後ろからの参拝客に押されるようにして先へ進むと、[日下門]から[通天橋]の拝観受付へ出る。
ここは本堂の脇に当たる場所で、国宝の[三門]を通らず、また[本堂]の拝礼などもせずに、ただ境内の紅葉鑑賞をするだけのことになる。
通天橋 本 堂


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通天橋に向かう渡り廊下の左側は紅葉の庭になっていて、色彩豊かな樹々に観光客は足を止めている。
今日もまた素晴らしい紅葉の数々を見ることができそうだ。
その廊下を右に曲がると、本堂の一部が見えてくる。
さらに左に折れると、江戸中期の名園のある[普門院]へ入る。


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その後は庭園に降りて、心ゆくまで紅葉の鑑賞となる。
[洗玉澗]の渓谷に降りて、紅葉の真っ直中の景観を楽しむことにする。
ここでも、何処を切り取っても絵になるようで、夢中でシャッターを切る。
ただ観光客が多いので、人影を避けて撮ることは極めて難しい。



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次の画像は[洗玉澗]を渡る橋から[臥雲橋]と[通天橋]を見たものです。


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[洗玉澗]から再び庭園に出て、紅葉三昧となりました。






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最後に[経蔵]の前にある深紅の紅葉を撮って庭園を後にしました。


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表通りへ出るまでの混雑は、一段と酷くなっている。
もっとも休日になると、境内を含めて一方通行になるというから、これでもまだ混雑度は低いということだ。
バスに戻りいざ出発という段階で、2人の方が乗っていないことが分かった。
麓添乗員が探しに行ったが、なかなか戻ってこない。
しばらくして、バスが動き出したので、どうしたことかと思っていると、ガイドの川上氏から、
「よその団体の後に付いて行っていたのを見つけたので、後からタクシーで追いかけますと、連絡がありましたので、出発しました。」と説明さ
れる。
年配者の多い団体のこと、恐れていたことが起こってしまったが、やはりグループの先頭と最後に係員がいてチェックしていないと、こんな結果
になることを改めて教えられた。
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今日の昼食は、洛北の[大徳寺]境内にある[泉仙(いづせん)]へ。
今朝来た道を戻り七条通りで、本堂修理中の[東本願寺]を右手に見て、堀川通へ出ると左手に[西本願寺]が見られる。
さらに進むと左手に[二条城]がある。この時期は観光客も少なく、駐車場も空いている。
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大徳寺も本堂修復中とあって、駐車場は空いている。
大徳寺
元応元年(1319)に宗峰妙超、後の大燈国師が建てた寺が始まり。
応仁の乱で荒廃したが、堺の商人らの援助を得て再興された。
総門から勅使門、三門、仏殿、法堂が直線に並ぶ伽藍配置。聚楽第の遺構と伝わる唐門は国宝。
秀吉が千利休に切腹を命じるきっかけとなった三門が知られている。
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総門から境内に入り、塔頭の一つである[大慈院]にある[泉仙]に向かう。
境内には紅葉は少ないが、大慈院の中には目の覚めるような紅葉が見られた。


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座敷に入ると、先ず抹茶とわらび餅が出される。
次いで料理についての説明があり、いわゆる精進料理で肉類などは一切使っていないこと、七種類使用する器は一つに纏められること、などを話
される。


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「泉仙」の鉄鉢料理
鉄鉢とは、僧が食物を受けるために用いた鉄製のまるい鉢のこと。
遠くインドにはじまり、日本へは奈良時代に伝わり、托鉢の僧が用いたといわれています。
「泉仙」の鉄鉢料理は、この鉄鉢を形どった器に、四季折々の味覚を盛り込み、禅のこころと、京料理の伝統を現代に生かしています。 泉仙のパンフレットより
食事が終わり、器の大きい順に重ねて行くと、なるほど見事に一つに纏まった。
食器類の後片付けや、格納にも場所をとらず、合理的なものであることが分かった。
*
食後、大慈院の住職から、一休さんを中心とした法話を伺う。
飄々としたお話ぶりが、まさに一休さんを彷彿とさせるものがあった。
有遍路より 無遍路にいたる 一休(ひとやすみ) ・有遍路 : 迷の社会、無遍路 : 悟りの世界
雨ふらば降れ 風ふかばふけ





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午後からはツアー最後の訪問地、♪ きょうとぉ~ お~はら さんぜんいん……♪ と歌われている[三千院]へ。
北大路通を東へ進み、賀茂川と高野川(この2つの川が合流して鴨川となる)を渡って、若狭街道を北へ40分ほどで到着。駐車場は観光バスで
溢れている。ここの拝観も混雑は覚悟の上のことだ。
ここも山の斜面を10分ほど登ることになる。右手には呂川の細い流れ、左手には土産物店が並び、
「帰りにお寄りやす !」と声がかかる。細い道は、登り降りの参拝客で溢れている。


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境内の入口は階段になっおり、ここでも一般の観光客と団体の入口は別になっている。
その[御殿門]を潜り、靴を脱いで[客殿]から[宸殿]を拝観する。



三千院は、また梶井門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありましたが、中世以降、大原魚山
の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に政所を設けたのが前身です
明治になって三千院と公称するようになりました。
三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後
寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。
その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井
宮の政所であった現在の地を一時仮御殿とされたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原
町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。
元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれ
て以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。
妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡の一つとして歴代の天台座主を
輩出してきました。
およそ2600�の境内には往生極楽院をはじめ、本尊薬師如来(秘仏)・救世観音・不動明王(伝
・慈覚大師作)を祀る宸殿、明治画壇に活躍した下村観山・鈴木松年・竹内栖鳳・望月玉泉・
今尾景年・菊池芳文などの襖絵がある客殿、そして客殿の前には江戸初期の茶人として有名
な金森宗和が手がけたと言われる池泉鑑賞式の庭園・聚碧園、宸殿前の庭園・有清園があり、
四季折々の景観を楽しむことが出来ます。
宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」と書かれた伝教大師の言葉が掲げられています。
「修行僧は紅葉を見、青苔に接して、紅葉と和し、青苔に融け、一枚の散る紅葉を青苔とが一つになって同化し、自分の心にとけ込んでいく心境
づくりをするのであります」(小堀光詮門主)。
庭は心の修養の道場ということでしょうか。
三千院には春の石楠花、初夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の積雪がよく似合います。
【三千院ガイド】より
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[宸殿]から庭に降りて[往生極楽院]へ向かう。


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[往生極楽院]は、恵心僧都源信が父母の菩提のために建立したと伝えられているとのこと。
お堂に比べて大きい【阿弥陀三尊像】が安置されています。
右に観世音菩薩、左に勢至菩薩と、中尊の阿弥陀如来が、少し窮屈そうなお姿でおられるのを拝観しました。


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その庭先に【わらべ地蔵】が何体かあり、カメラの被写体になっていました。



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そこから斜面を登り、[金色不動堂]、[観音堂]を経て、庭園を一周する。
ここの紅葉は大半が最盛期を過ぎたようでしたが、まだ一部がそれなりの美しさを見せてくれていました。
下左の画像は、出口付近の[円融房]付近の紅葉で、最後に[円融蔵]で、極楽院の船底天井画の復元模写などを拝観して、三千院の外へ出る。


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上右の画像は、境内の外側に沿って流れる律川にかかる紅葉です。
その先にある[後鳥羽順徳天皇大原陵]の紅葉を見て、引き返すことにする。
境内の外側には飲食店やお土産屋が並び、多くの観光客が足を止めていました。
中でも〈千枚漬〉の製造販売をしている店先は、大変な人だかりで、思わず中を覗いて、試供品などを口にしてしまいました。
*
2時間の自由時間を有効に使って、最後の紅葉見物を充分に楽しむことができました。
これで3日間のツアーは終了、天候にも恵まれ、京都各地で素晴らしい紅葉の数々を見ることができました。
バスは若狭街道から鴨川沿いの川端通りを経て、約1時間で京都駅に到着。
ベテラン現地ガイドの川上氏、ドライバーの笠原氏に感謝。
*
列車の出発時間まで自由時間となったまでは良かったが、集合時間になっても2人の方が見当たらず、麓添乗員があちらこちら駆け回っていた
が、結局発車10分前になって1人が姿を見せる。
どうやら食事をしていたらしく、皆さんの前に来ても謝りもせず、平然とした態度にこちらが呆れる。
後の1人は皆さんが改札に入りかけてから駆けつけて来たが、こちらも何の挨拶もない。
個人旅行を別にして、団体旅行では、グループの方々に迷惑をかけることのないように行動してもらいたいものだ。年配者でもこんな自分勝手
な、無礼な人間がいるのに情けない気持ちにさせられる。
*
改札後に夕食のお弁当を買うように、と麓氏から言われていた我々を含めた他の方々は、発車間際に慌てて購入する羽目になってしまった。
最後になって後味悪いツアーの思い出ができてしまった。
その嫌な思いが、東京近くになって強い雨が降り出したので、一層輪をかけることになってしまい、「終りよければ総て良し」にならなかった
のが少しばかり残念だった。
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9時00分ホテル発(バス) → 9時20分東福寺10時50分 → 11時30分大徳寺・大慈院・泉仙(昼食・鉄鉢料理)… 大慈院住職・法話
… 13時00分 → 13時40分三千院15時30分 → 16時30分京都駅17時56分(ひかり482号)→ 20時40分東京駅着
【約18,000歩】