平成26年6月14日(土)
起床して部屋の窓から木曾川を見下ろす。今日も天気は良さそうだ。
ホテル前の芝生にはセグロセキレイやキジバト、ムクドリなどが餌を漁っている。
*

*
朝食は一階のレストランでバイキング・スタイル。
種類も豊富でつい食べ過ぎてしまう。
食後、出発するまでの間付近を散歩する。
ホテルの前にある『有楽苑』は、織田信長の実弟、織田有楽斎が建てた茶室・如庵があることで知られていま
すが、ここは午後に訪問することになっています。
*

*
今日は先ず刃物の町・関市へ向かうことになりました。
その 700年に及ぶ関鍛冶の技を伝えるという『関鍛冶伝承館』に着きました。
*

*
関鍛冶伝承館
鎌倉時代から受け継がれる関鍛冶の技を今に伝える施設。
1階は兼元・兼定などの重要刀剣をはじめとする日本刀や、その製造工程・歴史に関するさまざまな資料を展示。
2階はカスタムナイフ作家のコレクションや百徳ナイフをはじめ関の刃物文化が生んだ製品がずらりと展示されて
います。刃物まつりや一般公開日には、日本刀鍛錬や技能師の実演が行われるという。 【関観光協会】
*
刃物の直売所が近くにあるとのことで、行くことになる。
*

*
岐阜県刃物会館
刃物会館では、包丁、鋏、ナイフ、爪切、模造刀、彫刻刀、キッチン用品等、2,000点をこえる“関の刃物”を取
り揃えています。メーカー直販ですので、いずれも品質・価格共々おすすめできる品物ばかりです。
(市価の2割引程度)。 【関観光協会】
*
次いで長良川の支流・板取川沿いに進み、『美濃和紙の里会館』に到着。
第1展示室では美濃和紙の歴史や製造工程、紙すきに使う道具などを分かりやすく紹介しています。
また、全国各地の和紙が対比できるように展示しています。
第2展示室では日本の文化を支えてきた和紙、現代社会の中、多彩な形態で利用されている和紙の紹介や韓紙
工芸作品などを展示し、未来に向け和紙の可能性を発信しています。
*

*
企画展示室では、『紙がつむぐドラマ・太田隆司ペーパーアート展』が開かれており、二次元の“絵”でもなく、
360度から見える完全な立体でもない、そこでは人も動物もクルマも、光と影や時間の流れさえも紙だけで表現
される、17cmの奥行きの中に独特に世界をつくる、まさに紙の魔術師・太田隆司の世界が展示されていました。
*

*
美濃和紙の里会館
1300年余の伝統を受け継ぐ美濃和紙。明治・大正時代の最盛期には約四千戸余の家が手すき和紙に従事してい
ましたが、戦後、日本人の生活様式の変化と共に徐々に減り始めました。
昭和58年、販路拡大、品質向上、原材料の共同購入、後継者の育成などを目的に美濃手すき和紙協同組合を設立。
昭和60年に国の伝統工芸品として指定されました。
現在15戸の組合員と和紙職人を目指す若者たちが伝統を守りつつ、新たな和紙の魅力を引き出し、多種多様な和紙
製品を生み出して行こうとしています。 【美濃市観光協会】
*
うだつの上がる町並み
次いで美濃市の名物『うだつの上がる町並み』を見物することになりました。場所は美濃市のほぼ中央部にあり、
《国選定重要伝統的建造物群保存地区》という長ったらしい名称が付けられています。
そもそも『うだつ』とは、屋根の両端に作られた防火壁とのことです。
江戸時代、火事の際の類焼を防ぐためのものでしたが、当時の豪商たちがその富を競い合うようにそれぞれに立派
な『うだつ』を設けたということです。
*
*
上の画像は左から『小坂家住宅うだつ』 、鬼瓦を持たないうだつ軒飾りというのは珍しく小坂家だけの特徴
です。とりぶすま、二枚の破風瓦、簡素な懸魚で構成されています。
『松久家住宅うだつ』、旧今井家のうだつより少し発達したうだつ軒飾りです。屋号を表す鬼瓦が少し立派
になり、破風瓦の下に簡素な懸魚もついています。
『加藤家うだつ』、破風瓦が「人」という字ではなく、傘形となっていて、懸魚があっさりとしていて調和
のとれたデザインとなっています。
『平田家、古川家うだつ』、最も新しい形式の軒飾りとして、明治の初期につくられました。他の軒飾りと
比べ一段と装飾的にデザインされ豪華です。 【美濃市観光協会資料】
*
何れの家も瓦は新しく、見栄えのする『うだつ』の町並みを見ることができました。
*

*
*

*
今日の昼食は長良川沿いにある『美濃観光ヤナ』で鮎料理。
昨日の夜の鵜飼では鮎を採るのを見物しましたが、料理は今日という幹事の配慮があったようです。
*

*
その鮎料理は、鮎のフルコースで前菜 3種盛(鮎南蛮漬け・鮎甘露煮・うるか)、活鮎刺身、
*

*
活鮎塩焼、活鮎田楽、
*

*
活鮎フライ、鮎雑炊、香物という内容でこの店のこだわりは本当に美味しい鮎を味わっていただくために刺身・
塩焼き・フライはお客様がご来店されてから水槽より揚げ、ピチピチとはねる鮎を調理することにあるという。
なるほど新鮮で香魚という名に相応しい味わいでした。
*

*
満足の昼食の後はホテルへ戻り、ここで待ち受けていた地元のボランティア・ガイドの方の案内で先ず『有楽苑』へ。
*

*
ここの茶室・如庵は、茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室で、昭和11年に
国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構とのこと。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とと
もに、現存する国宝茶席三名席の一つとのことです。
波瀾に富んだ人生を送った織田有楽斎は、有楽の生涯を写すがごとく茶室如庵は各地を点々としましたが、
昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築され、『有楽苑』と名付けられたとのことでした。
*

*
明日裏千家東海地区の研修会があるとのことで、その参加者が次々に訪れており、落ち着いて見学することが
できませんでした。
*
次いで急坂を上って犬山城へ向かいました。城の付近は土曜日とあって大変な混雑です。
*

*
犬山城
木曾川の南岸にそそりたつ犬山城は天文6年(1537)織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存
する日本最古の木造天守閣です。
尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐ
るしく変わりました。
小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山
城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。
江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県の
ため、この城は愛知県所有となりました。
しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に
移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。 【犬山市観光協会】
*
天守閣へ上がる階段は急傾斜で狭いので待ち行列ができるほど、ようやく天守閣の廻縁に出ると、ここは身動きが
できないほど混雑していました。
係員から時計回りに歩くようにいわれましたが、立ち止っている時間が多く、しかも外側向かって傾斜がついてい
るので何とも不安定な状態で、木曾川へ吸い込まれそうな気分になりました。
*

*
西側からの展望は、木曾川の流れに『ライン大橋』が架かり、その奥に〈夕暮れ富士〉と呼ばれている伊木山
(173.1m)が眺められ、南側からは『ツインブリッジ犬山橋』や鵜飼の乗船場などが見えました。
*
今日の最後は大混雑の犬山城から犬山城下町へと向かいました。
*
*
犬山城下町
犬山城下町は総構えと呼ばれる、城と城下町の外周を堀で囲い込んだ城郭構造をそのまま残した、歩いて楽しい
町です。
車山蔵 : 町のあちらこちらには犬山祭に使われる車山をおさめた車山蔵があります。
また、車山で使われる『からくり人形』 の展示室もあります。
古い町屋 : 古い町屋やお屋敷も多くみられます。おみやげ、お買い物 : おしゃれな小物や伝統工芸
品を見たり、 買い物をするのも楽しみです。
グルメ : 田楽やお団子をほおばったり、町屋をそのまま改造したカフェやレストランでお茶 や食事
を楽しむことができます。
巨 樹・古木めぐり : 城下町の古いお寺や街角には巨木や古木もあります。
古井戸 : 昔ながらの古井戸もあちらこちらに残っています。
町名由来看板 : あちらこちらに町名由来看板があって、町の由来を教えてくれます。 【犬山市観光協会】
*

*
ボランティア・ガイドの方とはここで別れ、ホテルへと戻りました。
*
長い一日、日差しに照らされて汗ばんだ身体を温泉で癒し、夕食は昨日と同じく『日本料理・有楽』で今晩は
松葉蟹から始まり、お造り、
*

*
鯛の塩焼き、天ぷら、鱧鍋に、
*

*
蕎麦という料理に『女城主』『恋度』、それに『菊川』という銘柄の日本酒が加わり,充分に堪能しました。
*

起床して部屋の窓から木曾川を見下ろす。今日も天気は良さそうだ。
ホテル前の芝生にはセグロセキレイやキジバト、ムクドリなどが餌を漁っている。
*


*
朝食は一階のレストランでバイキング・スタイル。
種類も豊富でつい食べ過ぎてしまう。
食後、出発するまでの間付近を散歩する。
ホテルの前にある『有楽苑』は、織田信長の実弟、織田有楽斎が建てた茶室・如庵があることで知られていま
すが、ここは午後に訪問することになっています。
*


*
今日は先ず刃物の町・関市へ向かうことになりました。
その 700年に及ぶ関鍛冶の技を伝えるという『関鍛冶伝承館』に着きました。
*


*
関鍛冶伝承館
鎌倉時代から受け継がれる関鍛冶の技を今に伝える施設。
1階は兼元・兼定などの重要刀剣をはじめとする日本刀や、その製造工程・歴史に関するさまざまな資料を展示。
2階はカスタムナイフ作家のコレクションや百徳ナイフをはじめ関の刃物文化が生んだ製品がずらりと展示されて
います。刃物まつりや一般公開日には、日本刀鍛錬や技能師の実演が行われるという。 【関観光協会】
*
刃物の直売所が近くにあるとのことで、行くことになる。
*


*
岐阜県刃物会館
刃物会館では、包丁、鋏、ナイフ、爪切、模造刀、彫刻刀、キッチン用品等、2,000点をこえる“関の刃物”を取
り揃えています。メーカー直販ですので、いずれも品質・価格共々おすすめできる品物ばかりです。
(市価の2割引程度)。 【関観光協会】
*
次いで長良川の支流・板取川沿いに進み、『美濃和紙の里会館』に到着。
第1展示室では美濃和紙の歴史や製造工程、紙すきに使う道具などを分かりやすく紹介しています。
また、全国各地の和紙が対比できるように展示しています。
第2展示室では日本の文化を支えてきた和紙、現代社会の中、多彩な形態で利用されている和紙の紹介や韓紙
工芸作品などを展示し、未来に向け和紙の可能性を発信しています。
*


*
企画展示室では、『紙がつむぐドラマ・太田隆司ペーパーアート展』が開かれており、二次元の“絵”でもなく、
360度から見える完全な立体でもない、そこでは人も動物もクルマも、光と影や時間の流れさえも紙だけで表現
される、17cmの奥行きの中に独特に世界をつくる、まさに紙の魔術師・太田隆司の世界が展示されていました。
*


*
美濃和紙の里会館
1300年余の伝統を受け継ぐ美濃和紙。明治・大正時代の最盛期には約四千戸余の家が手すき和紙に従事してい
ましたが、戦後、日本人の生活様式の変化と共に徐々に減り始めました。
昭和58年、販路拡大、品質向上、原材料の共同購入、後継者の育成などを目的に美濃手すき和紙協同組合を設立。
昭和60年に国の伝統工芸品として指定されました。
現在15戸の組合員と和紙職人を目指す若者たちが伝統を守りつつ、新たな和紙の魅力を引き出し、多種多様な和紙
製品を生み出して行こうとしています。 【美濃市観光協会】
*
うだつの上がる町並み
次いで美濃市の名物『うだつの上がる町並み』を見物することになりました。場所は美濃市のほぼ中央部にあり、
《国選定重要伝統的建造物群保存地区》という長ったらしい名称が付けられています。
そもそも『うだつ』とは、屋根の両端に作られた防火壁とのことです。
江戸時代、火事の際の類焼を防ぐためのものでしたが、当時の豪商たちがその富を競い合うようにそれぞれに立派
な『うだつ』を設けたということです。
*


*
上の画像は左から『小坂家住宅うだつ』 、鬼瓦を持たないうだつ軒飾りというのは珍しく小坂家だけの特徴
です。とりぶすま、二枚の破風瓦、簡素な懸魚で構成されています。
『松久家住宅うだつ』、旧今井家のうだつより少し発達したうだつ軒飾りです。屋号を表す鬼瓦が少し立派
になり、破風瓦の下に簡素な懸魚もついています。
『加藤家うだつ』、破風瓦が「人」という字ではなく、傘形となっていて、懸魚があっさりとしていて調和
のとれたデザインとなっています。
『平田家、古川家うだつ』、最も新しい形式の軒飾りとして、明治の初期につくられました。他の軒飾りと
比べ一段と装飾的にデザインされ豪華です。 【美濃市観光協会資料】
*
何れの家も瓦は新しく、見栄えのする『うだつ』の町並みを見ることができました。
*


*


*


*
今日の昼食は長良川沿いにある『美濃観光ヤナ』で鮎料理。
昨日の夜の鵜飼では鮎を採るのを見物しましたが、料理は今日という幹事の配慮があったようです。
*

*
その鮎料理は、鮎のフルコースで前菜 3種盛(鮎南蛮漬け・鮎甘露煮・うるか)、活鮎刺身、
*


*
活鮎塩焼、活鮎田楽、
*


*
活鮎フライ、鮎雑炊、香物という内容でこの店のこだわりは本当に美味しい鮎を味わっていただくために刺身・
塩焼き・フライはお客様がご来店されてから水槽より揚げ、ピチピチとはねる鮎を調理することにあるという。
なるほど新鮮で香魚という名に相応しい味わいでした。
*


*
満足の昼食の後はホテルへ戻り、ここで待ち受けていた地元のボランティア・ガイドの方の案内で先ず『有楽苑』へ。
*


*
ここの茶室・如庵は、茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室で、昭和11年に
国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構とのこと。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とと
もに、現存する国宝茶席三名席の一つとのことです。
波瀾に富んだ人生を送った織田有楽斎は、有楽の生涯を写すがごとく茶室如庵は各地を点々としましたが、
昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築され、『有楽苑』と名付けられたとのことでした。
*


*
明日裏千家東海地区の研修会があるとのことで、その参加者が次々に訪れており、落ち着いて見学することが
できませんでした。
*
次いで急坂を上って犬山城へ向かいました。城の付近は土曜日とあって大変な混雑です。
*


*
犬山城
木曾川の南岸にそそりたつ犬山城は天文6年(1537)織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存
する日本最古の木造天守閣です。
尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐ
るしく変わりました。
小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山
城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。
江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県の
ため、この城は愛知県所有となりました。
しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に
移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。 【犬山市観光協会】
*
天守閣へ上がる階段は急傾斜で狭いので待ち行列ができるほど、ようやく天守閣の廻縁に出ると、ここは身動きが
できないほど混雑していました。
係員から時計回りに歩くようにいわれましたが、立ち止っている時間が多く、しかも外側向かって傾斜がついてい
るので何とも不安定な状態で、木曾川へ吸い込まれそうな気分になりました。
*


*
西側からの展望は、木曾川の流れに『ライン大橋』が架かり、その奥に〈夕暮れ富士〉と呼ばれている伊木山
(173.1m)が眺められ、南側からは『ツインブリッジ犬山橋』や鵜飼の乗船場などが見えました。
*
今日の最後は大混雑の犬山城から犬山城下町へと向かいました。
*


*
犬山城下町
犬山城下町は総構えと呼ばれる、城と城下町の外周を堀で囲い込んだ城郭構造をそのまま残した、歩いて楽しい
町です。
車山蔵 : 町のあちらこちらには犬山祭に使われる車山をおさめた車山蔵があります。
また、車山で使われる『からくり人形』 の展示室もあります。
古い町屋 : 古い町屋やお屋敷も多くみられます。おみやげ、お買い物 : おしゃれな小物や伝統工芸
品を見たり、 買い物をするのも楽しみです。
グルメ : 田楽やお団子をほおばったり、町屋をそのまま改造したカフェやレストランでお茶 や食事
を楽しむことができます。
巨 樹・古木めぐり : 城下町の古いお寺や街角には巨木や古木もあります。
古井戸 : 昔ながらの古井戸もあちらこちらに残っています。
町名由来看板 : あちらこちらに町名由来看板があって、町の由来を教えてくれます。 【犬山市観光協会】
*


*
ボランティア・ガイドの方とはここで別れ、ホテルへと戻りました。
*
長い一日、日差しに照らされて汗ばんだ身体を温泉で癒し、夕食は昨日と同じく『日本料理・有楽』で今晩は
松葉蟹から始まり、お造り、
*


*
鯛の塩焼き、天ぷら、鱧鍋に、
*


*
蕎麦という料理に『女城主』『恋度』、それに『菊川』という銘柄の日本酒が加わり,充分に堪能しました。
*
