平成28年1月26日(火)
薄暗い6時過ぎに起床、早速朝風呂へ。冷気がだらけた身体に刺激を与えてくれる。
のんびり浸かって部屋へ戻ると、汗が止まらない。外を見ると青空が広がり、陽光が眩しい。どうやら大寒波は去ったようだ。
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部屋での朝食は具沢山、小カレイの干物の他で今朝も満腹。食べ過ぎが続き胃の調子が良くない。
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今朝も9時30分とゆっくり出発。バスは快晴の柴山潟を左手に望みながら、片山津 I .C.に入り北陸道を金沢へと向かう。
昨日までの積雪の風景が一変、日本海の海の青が見違えるほど美しく目に入る。
*
金沢西 I .C.から一般道へ降り市内へ入ると、こちらも積雪のため道路状態が余り良くない。
今日の最初の観光は『長町武家屋敷跡界隈』にある『野村家』の見学。バスは長町観光駐車場に停車、そこから徒歩で向かう。
途中、武家屋敷跡が立ち並ぶ風情が見物だ。特に昨日までの雪が残り、日差しを浴びて一段と見栄えがする。
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加賀藩1,200石の野村家の見学は座敷に上がるため、靴を脱いだり履いたりするのに手数が掛かるので上がるのは遠慮して、玄関先の様子をカメラに収め、その後は街中を散策することにする。画像左は、野村伝兵衛が着用した鎧・兜。
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野村家前の四つ角の直ぐ先に『長町武家屋敷休憩館』があったので、パンフなどを頂く。
その資料によると、
『長町界隈は、かっての藩士が住んでいた屋敷跡であり、土塀の続く街並の中では今も市民生活が営まれています。石畳の小路を散策すれば、当時の雰囲気が偲ばれます。』とあります。
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『薦掛け』は、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され、“ 金沢の冬の風物詩 ” となっています。
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観光客は若い年代の方が多く、中には外国(韓国 ?)の方も見えていました。
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細い路地に入ると遥か昔の俤が残っており、雪のために一段と風情のある景観になっていました。
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これで午前中の観光は終わり、昼食場所の富山県・氷見へと向かいました。
素晴らしい好天に、北陸道では白山が車窓右手に見えていましたが、バスが小矢部・砺波JCTから能越道に入る手前から北アルプス立山連峰の白い山並が見えてきました。ガイドさんも今時にしては珍しいと云ってました。
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能越道からは昨日まで降った大量の雪景色が続き、氷見 I .C.で一般道へ降り街中に入ると、除雪が済んでいない狭い道路に車がすれ違うのに時間がかかっていました。
昼食場所の『割烹・秀月』に入るショッピングセンターの駐車場では除雪の最中で、やっとの思いで駐車ができました。
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今日の昼食は、富山湾で獲れた『寒鰤』のミニ会席です。私どもは一階のカウンター席で頂くことになりました。
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渇いた喉に生ビールを流し込んで、先付で戴いたのは『寒鰤の握り鮨』、口の中で蕩けるような甘味のある味に言葉が出ない。
次いで『鰤大根』、飴色に輝く大根の鰤の旨味が炊き込まれての一品、云うことがありません。
次は『刺身』、鰤を含め甘海老、ホタルイカなどと一緒に盛り合せて出されたが、本命は勿論『寒鰤』。
氷見の寒鰤は、沖じめにしてすぐに漁港へ運ばれるため鮮度抜群、脂がたっぷりと乗っています。
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『寒鰤の塩焼き』を戴いている間に『寒鰤のしゃぶしゃぶ』の準備ができ、もう夢中で口の中へ。
この後寒鰤の入ったあら汁とご飯が出されたが、もうお腹は一杯、あら汁を戴いてご飯は遠慮しました。
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これで今回の『美食紀行』は終わりましたが、ここから富山まで行く間に何カ所か立寄りました。
先ず、直ぐ近くにある『道の駅・氷見』へ。言うまでもなくここは氷見漁港からの魚介類が目玉になっています。また、ここには北アルプスの展望所があるとのことでもう一つの楽しみもあるとのこと。
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ここで妻が富山県氷見産の『こずくら開き』という鰤の幼魚を購入しました。
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富山湾の王者・氷見寒鰤
鰤は、スズキ目アジ科ブリ属の回遊魚で、寿命は7~8歳。体長120cm程度まで成長します。
日本海では春から夏にかけて北上し、晩秋から初冬にかけて南下、ブリ群は、富山湾へ来遊します。
3~5月、九州付近で産卵。卵はモジャコと呼ばれる稚魚となって流れ藻に付着し、エサをとりながら成長します
このモジャコの生存率は、1年に産むといわれる300万粒の卵のうちわずか0.1%、3000尾といわれています。
*
また鰤はその成長によって呼び名が変わっていくため、めでたい出世魚としても親しまれています。
富山県では、モジャコから、当歳魚のツバイソ・コズクラ・フクラギ、そしてガンド(1歳魚)、ニマイズル(2歳魚)、ブリ(3歳魚)へと成長。それからサンカブリ(4歳魚)、オオブリ(5歳魚)と呼ばれるようになります。
富山湾では8月頃から全長20cmたらずのツバイソ、冬にかけてフクラギ、ガンドがとれます。
そして11~12月、いわゆる「鰤起し」という雷鳴をともなった大シケがくるとブリ漁の最盛期が幕開けします。
【氷見観光情報サイト】より
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もう一つの楽しみ、北アルプスの展望所へと行ってみましたが、何と昨日までの雪で階段に多く積っており、危険のため展望所は閉鎖されていました。
仕方なく建物の外へ出て、低い位置からカメラで収めたのが下の画像です。右は望遠で撮ったものです。
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バスは氷見市内から富山湾沿いの道を進み、『能登半島国定公園』内の『雨晴海岸』で北アルプスの絶景を観ることにしていましたが、ここでも積雪のため駐車場に入ることができず、残念ながら車窓から眺めることになりました
ここでは『雨晴観光協会』の画像と解説を載せることにしました。
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右の画像は北アルプスを眺めるためにストップした『道の駅・新湊』の画像です。ここでは樹木が邪魔をして良く観られませんでした。
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雨晴海岸
万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。
雨晴海岸は、岩礁、白い砂浜、青松がつづく景勝地です。ことに、浜から眺める岩礁、そして富山湾越しに見る、3000メートル級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美しさです。 【雨晴観光協会】
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かくして二泊三日の『厳冬期 北陸美食紀行』は大満足のうちに終わりました。
新装なった富山駅から北陸新幹線で帰京しました。
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9.30.ホテル発 → 10.30. 武家屋敷野村家・見学 11.30. → 12.40. 氷見・割烹秀月(昼食・寒鰤ミニ会席) 14.00. →
14.05. 道の駅・氷見 14.40. → 15.30. 道の駅・新湊 15.45. → 16.10. 富山駅 17.08. (はくたか572号)→
19.54. 上野駅着
薄暗い6時過ぎに起床、早速朝風呂へ。冷気がだらけた身体に刺激を与えてくれる。
のんびり浸かって部屋へ戻ると、汗が止まらない。外を見ると青空が広がり、陽光が眩しい。どうやら大寒波は去ったようだ。
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部屋での朝食は具沢山、小カレイの干物の他で今朝も満腹。食べ過ぎが続き胃の調子が良くない。
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今朝も9時30分とゆっくり出発。バスは快晴の柴山潟を左手に望みながら、片山津 I .C.に入り北陸道を金沢へと向かう。
昨日までの積雪の風景が一変、日本海の海の青が見違えるほど美しく目に入る。
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金沢西 I .C.から一般道へ降り市内へ入ると、こちらも積雪のため道路状態が余り良くない。
今日の最初の観光は『長町武家屋敷跡界隈』にある『野村家』の見学。バスは長町観光駐車場に停車、そこから徒歩で向かう。
途中、武家屋敷跡が立ち並ぶ風情が見物だ。特に昨日までの雪が残り、日差しを浴びて一段と見栄えがする。
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加賀藩1,200石の野村家の見学は座敷に上がるため、靴を脱いだり履いたりするのに手数が掛かるので上がるのは遠慮して、玄関先の様子をカメラに収め、その後は街中を散策することにする。画像左は、野村伝兵衛が着用した鎧・兜。
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野村家前の四つ角の直ぐ先に『長町武家屋敷休憩館』があったので、パンフなどを頂く。
その資料によると、
『長町界隈は、かっての藩士が住んでいた屋敷跡であり、土塀の続く街並の中では今も市民生活が営まれています。石畳の小路を散策すれば、当時の雰囲気が偲ばれます。』とあります。
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『薦掛け』は、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され、“ 金沢の冬の風物詩 ” となっています。
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観光客は若い年代の方が多く、中には外国(韓国 ?)の方も見えていました。
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細い路地に入ると遥か昔の俤が残っており、雪のために一段と風情のある景観になっていました。
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これで午前中の観光は終わり、昼食場所の富山県・氷見へと向かいました。
素晴らしい好天に、北陸道では白山が車窓右手に見えていましたが、バスが小矢部・砺波JCTから能越道に入る手前から北アルプス立山連峰の白い山並が見えてきました。ガイドさんも今時にしては珍しいと云ってました。
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能越道からは昨日まで降った大量の雪景色が続き、氷見 I .C.で一般道へ降り街中に入ると、除雪が済んでいない狭い道路に車がすれ違うのに時間がかかっていました。
昼食場所の『割烹・秀月』に入るショッピングセンターの駐車場では除雪の最中で、やっとの思いで駐車ができました。
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今日の昼食は、富山湾で獲れた『寒鰤』のミニ会席です。私どもは一階のカウンター席で頂くことになりました。
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渇いた喉に生ビールを流し込んで、先付で戴いたのは『寒鰤の握り鮨』、口の中で蕩けるような甘味のある味に言葉が出ない。
次いで『鰤大根』、飴色に輝く大根の鰤の旨味が炊き込まれての一品、云うことがありません。
次は『刺身』、鰤を含め甘海老、ホタルイカなどと一緒に盛り合せて出されたが、本命は勿論『寒鰤』。
氷見の寒鰤は、沖じめにしてすぐに漁港へ運ばれるため鮮度抜群、脂がたっぷりと乗っています。
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『寒鰤の塩焼き』を戴いている間に『寒鰤のしゃぶしゃぶ』の準備ができ、もう夢中で口の中へ。
この後寒鰤の入ったあら汁とご飯が出されたが、もうお腹は一杯、あら汁を戴いてご飯は遠慮しました。
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これで今回の『美食紀行』は終わりましたが、ここから富山まで行く間に何カ所か立寄りました。
先ず、直ぐ近くにある『道の駅・氷見』へ。言うまでもなくここは氷見漁港からの魚介類が目玉になっています。また、ここには北アルプスの展望所があるとのことでもう一つの楽しみもあるとのこと。
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ここで妻が富山県氷見産の『こずくら開き』という鰤の幼魚を購入しました。
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富山湾の王者・氷見寒鰤
鰤は、スズキ目アジ科ブリ属の回遊魚で、寿命は7~8歳。体長120cm程度まで成長します。
日本海では春から夏にかけて北上し、晩秋から初冬にかけて南下、ブリ群は、富山湾へ来遊します。
3~5月、九州付近で産卵。卵はモジャコと呼ばれる稚魚となって流れ藻に付着し、エサをとりながら成長します
このモジャコの生存率は、1年に産むといわれる300万粒の卵のうちわずか0.1%、3000尾といわれています。
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また鰤はその成長によって呼び名が変わっていくため、めでたい出世魚としても親しまれています。
富山県では、モジャコから、当歳魚のツバイソ・コズクラ・フクラギ、そしてガンド(1歳魚)、ニマイズル(2歳魚)、ブリ(3歳魚)へと成長。それからサンカブリ(4歳魚)、オオブリ(5歳魚)と呼ばれるようになります。
富山湾では8月頃から全長20cmたらずのツバイソ、冬にかけてフクラギ、ガンドがとれます。
そして11~12月、いわゆる「鰤起し」という雷鳴をともなった大シケがくるとブリ漁の最盛期が幕開けします。
【氷見観光情報サイト】より
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もう一つの楽しみ、北アルプスの展望所へと行ってみましたが、何と昨日までの雪で階段に多く積っており、危険のため展望所は閉鎖されていました。
仕方なく建物の外へ出て、低い位置からカメラで収めたのが下の画像です。右は望遠で撮ったものです。
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バスは氷見市内から富山湾沿いの道を進み、『能登半島国定公園』内の『雨晴海岸』で北アルプスの絶景を観ることにしていましたが、ここでも積雪のため駐車場に入ることができず、残念ながら車窓から眺めることになりました
ここでは『雨晴観光協会』の画像と解説を載せることにしました。
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右の画像は北アルプスを眺めるためにストップした『道の駅・新湊』の画像です。ここでは樹木が邪魔をして良く観られませんでした。
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雨晴海岸
万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。
雨晴海岸は、岩礁、白い砂浜、青松がつづく景勝地です。ことに、浜から眺める岩礁、そして富山湾越しに見る、3000メートル級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美しさです。 【雨晴観光協会】
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かくして二泊三日の『厳冬期 北陸美食紀行』は大満足のうちに終わりました。
新装なった富山駅から北陸新幹線で帰京しました。
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9.30.ホテル発 → 10.30. 武家屋敷野村家・見学 11.30. → 12.40. 氷見・割烹秀月(昼食・寒鰤ミニ会席) 14.00. →
14.05. 道の駅・氷見 14.40. → 15.30. 道の駅・新湊 15.45. → 16.10. 富山駅 17.08. (はくたか572号)→
19.54. 上野駅着