nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

厳冬期 北陸美食紀行 3

2016-02-04 21:50:54 | 旅行記
平成28年1月26日(火)
 薄暗い6時過ぎに起床、早速朝風呂へ。冷気がだらけた身体に刺激を与えてくれる。
 のんびり浸かって部屋へ戻ると、汗が止まらない。外を見ると青空が広がり、陽光が眩しい。どうやら大寒波は去ったようだ。
     *
 部屋での朝食は具沢山、小カレイの干物の他で今朝も満腹。食べ過ぎが続き胃の調子が良くない。
     *
 
     *
 今朝も9時30分とゆっくり出発。バスは快晴の柴山潟を左手に望みながら、片山津 I .C.に入り北陸道を金沢へと向かう。
 昨日までの積雪の風景が一変、日本海の海の青が見違えるほど美しく目に入る。
     *
 金沢西 I .C.から一般道へ降り市内へ入ると、こちらも積雪のため道路状態が余り良くない。
 今日の最初の観光は『長町武家屋敷跡界隈』にある『野村家』の見学。バスは長町観光駐車場に停車、そこから徒歩で向かう。
 途中、武家屋敷跡が立ち並ぶ風情が見物だ。特に昨日までの雪が残り、日差しを浴びて一段と見栄えがする。
     *
 
     *
 加賀藩1,200石の野村家の見学は座敷に上がるため、靴を脱いだり履いたりするのに手数が掛かるので上がるのは遠慮して、玄関先の様子をカメラに収め、その後は街中を散策することにする。画像左は、野村伝兵衛が着用した鎧・兜。
     *

     *  
 野村家前の四つ角の直ぐ先に『長町武家屋敷休憩館』があったので、パンフなどを頂く。
 その資料によると、
 『長町界隈は、かっての藩士が住んでいた屋敷跡であり、土塀の続く街並の中では今も市民生活が営まれています。石畳の小路を散策すれば、当時の雰囲気が偲ばれます。』とあります。
     *
 
     *
 『薦掛け』は、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され、“ 金沢の冬の風物詩 ” となっています。
     *
 
     *
 観光客は若い年代の方が多く、中には外国(韓国 ?)の方も見えていました。
     *
 
     *
 細い路地に入ると遥か昔の俤が残っており、雪のために一段と風情のある景観になっていました。
     * 
 
     *
 これで午前中の観光は終わり、昼食場所の富山県・氷見へと向かいました。
 素晴らしい好天に、北陸道では白山が車窓右手に見えていましたが、バスが小矢部・砺波JCTから能越道に入る手前から北アルプス立山連峰の白い山並が見えてきました。ガイドさんも今時にしては珍しいと云ってました。
     *
 能越道からは昨日まで降った大量の雪景色が続き、氷見 I .C.で一般道へ降り街中に入ると、除雪が済んでいない狭い道路に車がすれ違うのに時間がかかっていました。
 昼食場所の『割烹・秀月』に入るショッピングセンターの駐車場では除雪の最中で、やっとの思いで駐車ができました。
     *
 今日の昼食は、富山湾で獲れた『寒鰤』のミニ会席です。私どもは一階のカウンター席で頂くことになりました。
     *
 
     *
 渇いた喉に生ビールを流し込んで、先付で戴いたのは『寒鰤の握り鮨』、口の中で蕩けるような甘味のある味に言葉が出ない。
 次いで『鰤大根』、飴色に輝く大根の鰤の旨味が炊き込まれての一品、云うことがありません。
 次は『刺身』、鰤を含め甘海老、ホタルイカなどと一緒に盛り合せて出されたが、本命は勿論『寒鰤』
 氷見の寒鰤は、沖じめにしてすぐに漁港へ運ばれるため鮮度抜群、脂がたっぷりと乗っています。
     *
 
     * 
 『寒鰤の塩焼き』を戴いている間に『寒鰤のしゃぶしゃぶ』の準備ができ、もう夢中で口の中へ。
 この後寒鰤の入ったあら汁とご飯が出されたが、もうお腹は一杯、あら汁を戴いてご飯は遠慮しました。
     *
 
     *
 これで今回の『美食紀行』は終わりましたが、ここから富山まで行く間に何カ所か立寄りました。
 先ず、直ぐ近くにある『道の駅・氷見』へ。言うまでもなくここは氷見漁港からの魚介類が目玉になっています。また、ここには北アルプスの展望所があるとのことでもう一つの楽しみもあるとのこと。
     *
 
     *
 ここで妻が富山県氷見産の『こずくら開き』という鰤の幼魚を購入しました。
     *
富山湾の王者・氷見寒鰤
 鰤は、スズキ目アジ科ブリ属の回遊魚で、寿命は7~8歳。体長120cm程度まで成長します。
 日本海では春から夏にかけて北上し、晩秋から初冬にかけて南下、ブリ群は、富山湾へ来遊します。
 3~5月、九州付近で産卵。卵はモジャコと呼ばれる稚魚となって流れ藻に付着し、エサをとりながら成長します
 このモジャコの生存率は、1年に産むといわれる300万粒の卵のうちわずか0.1%、3000尾といわれています。
     *
 また鰤はその成長によって呼び名が変わっていくため、めでたい出世魚としても親しまれています。
 富山県では、モジャコから、当歳魚のツバイソ・コズクラ・フクラギ、そしてガンド(1歳魚)、ニマイズル(2歳魚)、ブリ(3歳魚)へと成長。それからサンカブリ(4歳魚)、オオブリ(5歳魚)と呼ばれるようになります。
 富山湾では8月頃から全長20cmたらずのツバイソ、冬にかけてフクラギ、ガンドがとれます。
 そして11~12月、いわゆる「鰤起し」という雷鳴をともなった大シケがくるとブリ漁の最盛期が幕開けします。
                                  【氷見観光情報サイト】より
     *
 もう一つの楽しみ、北アルプスの展望所へと行ってみましたが、何と昨日までの雪で階段に多く積っており、危険のため展望所は閉鎖されていました。
 仕方なく建物の外へ出て、低い位置からカメラで収めたのが下の画像です。右は望遠で撮ったものです。
     *
 
     *
 バスは氷見市内から富山湾沿いの道を進み、『能登半島国定公園』内の『雨晴海岸』で北アルプスの絶景を観ることにしていましたが、ここでも積雪のため駐車場に入ることができず、残念ながら車窓から眺めることになりました
 ここでは『雨晴観光協会』の画像と解説を載せることにしました。
     *
 
     *
 右の画像は北アルプスを眺めるためにストップした『道の駅・新湊』の画像です。ここでは樹木が邪魔をして良く観られませんでした。
     *
雨晴海岸
 万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。
 雨晴海岸は、岩礁、白い砂浜、青松がつづく景勝地です。ことに、浜から眺める岩礁、そして富山湾越しに見る、3000メートル級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美しさです。 【雨晴観光協会】
     *
 かくして二泊三日の『厳冬期 北陸美食紀行』は大満足のうちに終わりました。
 新装なった富山駅から北陸新幹線で帰京しました。
     *
 
     *
 
     *
  9.30.ホテル発 → 10.30. 武家屋敷野村家・見学 11.30. → 12.40. 氷見・割烹秀月(昼食・寒鰤ミニ会席) 14.00. →
 14.05. 道の駅・氷見 14.40. → 15.30. 道の駅・新湊 15.45. → 16.10. 富山駅 17.08. (はくたか572号)→
 19.54. 上野駅着

厳冬期 北陸美食紀行 2

2016-02-04 14:25:12 | 旅行記
平成28年1月25日(月)
 夜半過ぎて風の音がしていましたが、起床してカーテンを開けると一面の雪景色になっていました。やはり雪が降っていたのだ。
 それにしても風景は一変、これが厳冬期なのだと改めて認識させられました。
     *
 
     *
 朝食は一階のレストラン『梅一輪』で、水月湖の雪景色を眺めながら戴く。
 ランチョンマットに料理の説明が書かれているのが珍しい。
 ・若狭名物一 塩鯖の焼き物と、イカ刺身で、朝から感じる若狭の風
 ・料理長自慢のあったかお味噌汁と、ごはんにぴったり味付け海苔
 ・新鮮野菜が体にしみこむ、食物繊維も豊富な朝サラダ
 ・海の幸と山の幸のハーモニー、しらすおろし雲丹しいたけ
 ・若狭町宮川さんちの卵は、だし巻卵でうまさひきたつ
 ・若狭町今井さんちのお豆腐は、煮豆腐で味わう大地の恵み 
 ・厚揚げ消費日本一の福井県民、陶板ステーキで地元の味を楽しむ
 ・肉厚濃厚、優勝力士贈呈の西田梅
 ・若狭町のコシヒカリを美味しくふっくらと炊きあげました
     *
 名物の焼鯖、厚揚げステーキが美味、梅干しは塩味が濃い目でした。それにしても種類が多く総てを食べることができませんでした。
     *
 
     *
 朝食後も水月湖半の雪景色を楽しんで、9時にホテル従業員の見送りを受けて出発する。
     *
 
     *
 昨日とは一変した三方五湖の雪景色を眺めながら進むと、湖面には時折カモの姿が見られる。マガモが多いが、その他ハシビロガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ、そしてカイツブリなど、上空にはトビが舞っていました。
     *
 バスは若狭三方 I .C.から舞鶴若狭道へ入り、敦賀JCTから北陸道へ。この辺りからまた雪が散らつきだし、所によっては視界が閉ざされるようになる。強力な大寒波は未だ抜けていないようだ。これで雪国での降雪をたっぷりと味わうことになりました。
     *
 途中、南条 S .A.でトイレ休憩。ここで若狭名物の『へしこ』を購入。
 へしことは魚の糠漬けのことで、糠(ぬか)をつけたまま軽く炙ると、独特の風味と、香ばしさが口の中いっぱいに広がります。そのまま、ちょっと辛口の日本酒を含めば、さらに旨さが膨らみます。
 お茶漬けで楽しむのも良し。刺身でも、お寿司のネタにも、またスパゲティやピザの具などにも使われています。
 へしこはその昔、魚の腐敗を防ぎ、長期保存するための保存食として作られていました。その歴史は深く、江戸時代の中ごろにはすでにへしこ作りが始まっていたそうです。           【福井県漁連協同組合連合会】
     *
 
     *
 バスは福井 I.C.で一般道へ降り、今日の最初の目的地『一乗谷朝倉遺跡』へと向かいました。
     *
 戦国大名・朝倉孝景から五代 103年にわたり越前を支配した朝倉氏。五代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川軍と激突。1573(天正元)年の刀根坂の戦いで大敗後、義景は自害。朝倉家繁栄もここで幕を閉じました。  
 文化人としても優れていた義景の時代に、一乗谷文化も花開き栄えました。義景が住んだ館跡や館跡庭園など、一乗谷朝倉氏遺跡は見どころ満載です。国指定特別史跡・特別名勝では当時の繁栄を偲ぶことができます。
                                【朝倉氏遺跡管理事務所パンフより】
     *
 足羽川の支流、一乗谷川沿いにある遺跡群の中、復原町にある武家屋敷や庶民の町家が復元されている処を、現地ガイドの案内で見物することになりました。
 一乗谷川を隔てたところには朝倉義景の墓などがあり、その入口の唐門が遠く望むことができました。
     *
 
     *
 入口の建物にはこの復原地区の街並の模型がおいてあり、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が形成されていた様子がリアルに再現されています。
 相変わらず雪は降り続いており、ダウンコートを着て傘を差しての煩わしい見物となりました。
     *
 
     *
 下の画像は、武家屋敷のモデルと武家屋敷跡の様子です。
     *
 
     *
 遠く一乗寺城跡を望むところと、町並みの裏手。
     *
 
     *
 大甕を並べた紺屋をはじめ、数珠屋、鋳物師、檜物師、刀砥ぎ師などの職人の家や坪庭のある医者の家が建ち並ぶ町家。
     *
 
     *
 ガイドさんの説明を聞く方々と遺跡の入口。
 この頃になってどうにか雪も止み、青空が覗いてきました。
     *
 
     *
 遺跡の見学が終わり、近くにある『一乗ふるさと交流館』で、一乗谷に伝わる伝承料理『朝倉膳』の昼食を戴くことになりました。これは朝倉氏が五代にわたり栄華を極め、戦国時代屈指の城下町であった一乗谷。足利義昭をもてなしたとされる祝いの膳です。今日は地元の婦人会の方々の手作りによる朝倉膳とのことでした。
     *
 
     *
 本 膳
 ・あえませ(めかぶ、するめ、山芋、煎り酒)・黒豆ごはん(黒豆、うるち・もち米、梅干)
 ・ごまころ(里芋、黒ゴマ)・ぜんまいの白和え(ぜんまい、大豆)・呉汁(丸大豆、ねぎ)
 ・麩の辛子和え(角麩、きゅうり、地辛子)・でんがく(こんにゃく、味噌)
 ・しのだ巻(鶏挽肉、薄揚げ、しめじ、まめ、人参、ブロッコリー)
 ・水ぶきとにしんの炊き合わせ(水ぶき、にしん、人参、まめ)
 弐の膳
 ・手打ちそば(手打ちそば、花鰹、ねぎ)・てんぷら(舞茸、南瓜、大葉)・きゃらぶき(山ふき、山椒)
 ・お漬物(大根)・お菓子(水ようかん)・お土産(手作りあられ)
     *
 心の籠もった、色彩豊かな料理の数々を楽しみながら、美味しく戴きました。手打ちそばは、ご当地名物『越前そば』でした。
 ふるさと交流館と付近の案内図。
     *
 
     * 
 バスは福井 I .C.から北陸道へ戻り、次の目的地『永平寺』へと向かいました。
 最初の予定では『白山平泉寺』(霊峰白山への登り口として西暦717年・養老元年に泰澄大師により開かれた霊場)へ行くことになっていましたが、大寒波による大雪のためバスでの通行が出来ず、急遽『永平寺』へと変更になりました。
 この時期の旅では止むを得ないことでした。
     *
 永平寺は、寛元二年(西暦1244年)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。
 境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に大小七〇余りの建物が並んでいます。
 現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の源となっています。    【永平寺パンフによる】
     *
 バスは福井北JCTから中部縦貫道に入り、永平寺 I .C.で一般道へ降り、積雪の多い道路を永平寺門前町の中にある駐車場に入りました。
 ここから緩やかな坂道を歩いて永平寺へと向かいます。道路上には雪が残っているので、皆さんも慎重に歩みを進めています。
     *
 
     *
 参道の入口に永平寺の案内人が待っており、坂道の途中にある案内図で境内の参拝順路を説明する。
 階段を上がって上履きに履き替え、案内が始まったが、直ぐに階段を上ることになるので躊躇していると、車椅子利用の方はエレベーターでという案内があるので、係の方に申し出ると早速車椅子を用意して下さる。
 『車椅子ご利用の方』の案内図を頂いて、早速エレベーターで二階へ上がる。
 ところが、その先がよく分からず見物客が来る方へ行ってみると、そこは『大講堂』。境内の案内のビデオを上映中で、僅か数人の方しか見当たらない。
 兎に角元へ戻ろうとすると、若い僧侶の方が通りかかったので、現在位置を伺い先程のエレベーターの場所から反対方向へ行ってみる
 そこは『祠堂殿』で、特別志納の方々による全国 各地の位牌が祀られ、追善供養等の法要も行われる場所とのこと。
     *
 
     *
 どうも案内図とは異なる方向へ来てしまったようで、元のエレベーターの所へ戻ると、ツアーディレクターに会い、改めて案内図に従って同行して頂くことになりました。
 どうやら次のエレベーターに乗る場所を通り過ぎていたようです。
 着いたところは『傘松閣』。一五六畳敷の大広間で、別名『絵天井の大広間』。この天井絵は昭和五年当時の著名な画家一四四名による二三〇枚の花や鳥を中心に描かれた美しい色彩画です。
     *
 
     *
 
     *
 絵天井を拝見した後は、緩やかな廊下を上がり『山門』へ。残念ながら外から観ることができませんでしたが、永平寺最古の建物で、三解脱門(さんげだつもん)とも称せられ、仏の世界に入る関門です。福井県の文化財になっています。                                   【永平寺パンフより】
     *
 それでも山門の内側にある仏教の守護神である四天王を拝観することができました。
     *
 
     *
 また、山門から見上げた場所にある『中雀門』の雪景色を観ることもできました。
 中雀門は、山門と仏殿の中間に位置する入母屋造銅板葺の腰屋根を持つ二重門で、下層に幹唐破風を付し、彫刻装飾も多い。
 ここで時間となり、参道へ出ると、多数の若い僧侶が雪掻きをしていました。どうやら散らついていた雪も止んできたようです。
     *
 
      *
 これで今日の見学は終わり、今夜の宿のある山代温泉へと向かいました。
 バスは往路の永平寺 I .C.から福井北JCTをへて北陸道は加賀 I .C.で一般道へ降り、15時過ぎ『瑠璃光』に到着しました。
 早めに旅館に着いたので、のんびりと温泉に浸かり、夕食の蟹会席『風の舞』を楽しむことにしました。
     *
 
     *
 夕食は部屋で戴きました。
 先ず『食前酒』 白山の天然水を使った身体にやさしい〈さんざし酒〉
         苺を想わせる華やかな香りと甘ずっぱい味わい。
 『旬菜』(冬景色)・蟹味噌豆腐 加賀蓮根重ね、雪化粧 三つ葉、枸杞の実 美味出汁。
          ・自家製鱈の蒸しと白菜の豆乳クリーム仕立て 青菜 人参 黒胡麻。
          ・鮟鱇の霙酢 焼葱 パプリカ。 
     *
 
     *
 『割鮮』 蟹 寒鰤 鮪 甘海老 あしらい  
 『進肴』 面付き津和井蟹姿盛り 梅酢大根 レモン
      これが石川県沖で水揚げされたことを証明するタグ付ブランド蟹、11月から3月頃が旬といわれ、
      ふっくらとした身はジューシー、上品な甘味が広がり、刺身はとろけるようでした。
     *
 
     * 
 『羹』  寒鰤と大根煮 青菜
 『替り鉢』~瑠璃光の地下水を使った~(水煙蒸し)
       国産柔らかポークと冬野菜の熱々「いしる」バーニャカウダ仕立て
     *
 
     *  
 『焜炉』 面付き蟹すき鍋 野菜盛り
 ここまでくると、お腹はほぼ満杯で、最後の雑炊も無理矢理流し込んだ感じでした。 
     *
 
     *
 『食事』 蟹雑炊
 『香の物』 盛り合せ
 『水物』 季節のデザート
     *
 
     *
 21時から一階ホールで『加賀一向一揆太鼓』の実演があると云うので、お腹ごなしに観に行きました。
 五人ほどの演者が代わる代わる演奏しましたが、能登の御陣乗太鼓と同じような内容に思われました。
一向一揆太鼓の由来
 加賀の中世史は、一向一揆の歴史と言われています。室町時代後期当地の守護職富樫氏の圧政に苦しむ農民達は、越前と加賀の国境吉崎の地に居を構える蓮如上人とその一向宗教に救いを求めました。
 それを由とせぬ富樫政親は、二千の軍勢を以て一向宗教や農民達を弾圧せんと兵をあげました。それに対し農民達は手に鍬・鎌・竹槍等を持ち「鬼面人を脅かす」の故事に倣い、太鼓を打ち鳴らしながら二千の軍勢に立ち向かったと云われています。
 この時の太鼓の音こそ、以後百年にも及ぶ農民戦争、加賀一向一揆の幕開けでした。 500年前の一向一揆のエネルギーが爆発するステージ。五感に響く勇壮で迫力のある魂の叫びを存分にお楽しみください。 【旅館の案内より】
     *
   
     *
 寝る前に外を伺うと、どうやら大寒波は今日がピークで、少しづつ天候が回復しているようでした。
     *
      
     *
 7.00.朝食 …9.00.ホテル発 → 10.30.一乗谷朝倉遺跡 11.50. → 11.55.一乗ふるさと交流館・昼食(朝倉膳)12.50. →
 13.15. 永平寺 14.50. → 15.20.山代温泉・瑠璃光 泊
     *
山代温泉
 江戸時代の温泉場は、共同浴場を中心として、街がつくられていました。共同浴場の周りに温泉宿が立ち並び、湯治客は共同浴場に通ったり、ときには自然の中を散策しながら長逗留していました。この共同浴場が「総湯」です。そして、総湯を中心とした周囲の街並みを「湯の曲輪(ゆのがわ)」といい、北陸特有の呼び方となっています。
 山代温泉には、同じ地にあっても微妙に違う三つの泉質があります。1300年の昔から人々に知られた多彩な効能も、山代の湯に身体をあずける気分でゆったりおくつろぎください。         【山代温泉観光協会】