平成13年5月14日(月)晴 28℃
朝食は1階レストランでビュッフェスタイル。2日目のこととて料理の配置も分かり、効率よく食べることができました
今日は『エカテリーナ宮殿』の観光で、ホテルを8時半に出発しました。天気予報によると今日は暑くなりそうです。
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バスは宮殿近くまでは入れないため、手前に路上駐車し、そこから宮殿まで歩くことになりました。
バスを降りて新緑の映える道を歩き、左折するとお年寄りのバンドがいて、我々を見て何と『君が代』を演奏してくれま
した。
その先の左手の林の中に『プーシキン』の銅像があり、近くには白い桜が咲いていました。
エカテリーナ宮殿の設計者建築家ラストレッリの像、エルミタージュ宮殿も彼の設計。
入場門前に到着し、開場時間まで少々待たされましたが、その間ここにもバンドがいて『カチューシャ』などを演奏して
くれました。
入場すると、左手に全長310mのロシア・バロック調の華麗な宮殿と裏庭が展開しています。
右手には広大な芝生が広がり、目に優しい景観となっています。
我々が一番先に入場したので、人影もない宮殿前を正面入口まで建物などを眺めながら歩いて行きました。
入場すると、セキュリティゲートがあり、靴カバーを受け取って着用し、いよいよ各部屋の見物となります。
まず目に入ったのは、豪華な部屋の調度品です。
右の画像は青の部屋です。
部屋の装飾も見事ならば、天井画も見ものです。
豪華な食堂です。
大広間(玉座の間)です。
美しい天井画が目を引く長さ47m、幅17mの大広間、左右に大きな窓、窓の間に配された鏡、磨かれた床が光っていま
す。
大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁し、帰国の許可を得たのもこの大広間です。
大黒屋光太夫
1782年、嵐に遭いロシア領アリューシャン列島に漂着した、伊勢国白子港を拠点とする廻船の船頭。
カムチャッカ半島を経てシベリアを横断、数年かけて首都ペテルブルグに辿り着いた。エカテリーナ宮殿で、エカテリー
ナ2世に拝謁し、帰国許可を嘆願。
日本との通商を希望していた女帝の思惑もあり、1792年帰国を許可され,遣日使節ラクスマンに同行して帰国を果たし
た。
井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」で彼の生涯が描かれている。
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正面玄関の階段です、壁には伊万里焼や時計がありました。
有名な琥珀の間の一部。撮影禁止なので隣の部屋から一部を撮影しました。
琥珀の間
琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られましたが、1979年から始まった復元作業に
より、2003年に完全に復元されました。
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当時の衣装を展示した部屋、肖像画もありました。


絵画の間 壁一面が絵画によって埋め尽くされています。
宮殿内部の見学を終わり、宮殿の外にある美しい庭園を歩いてバスの駐車場まで行くことになりました。
右の画像は池の岸辺に建つ小宮殿グロットです。グロットは、ラストレッリの手による建築です。




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エカテリーナ宮殿( Екатерининский дворец)
サンクトペテルブルク 中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在する、ロシア帝國時代のロコ
コ建築の宮殿。
宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 - 1727年)に由
来する。
エカテリーナがドイツの建築家 Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせた
のが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じ増築させた
第6代ロシア皇帝となったエリザヴェータ(在位:1741年 - 1762年)は、母のエカテリーナが建築させたものが時代遅
れで不便であるとして抜本的に作り直すことを決定、壮麗・壮大なロココ調建築に入れ替えるよう、既に冬宮殿建設に関
わっていた宮廷付き建築家バルトロメオ・ラストレッリに命じた。建設は1752年5月から4年の歳月をついやし、1756
年7月30日に全長325mの現行規模の宮殿が完成した。
とりわけ「琥珀の間」(en: Amber Room)が有名である。
琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたが、1979年から始まった復元作業により
2003年に完全に復元された。
1791年、日本人の漂流民・大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 - 1796年)に謁見した
場所としても知られる。
一般に夏の間過ごしたことから「夏の宮殿」とも呼ばれる。
名称として冬宮殿と対になる「ペテルゴフ宮殿」( Ле́тний дворе́ц )は、サンクト・ペテルブルク中心部から30km
離れたペトロドヴォレツの100以上の噴水があることで著名なペテルゴフにピョートル大帝時代に建設されたものである
が、冬宮殿と同じく壮麗なロココ建築のエカテリーナ宮殿の完成以降、実質的に本宮殿が夏の宮殿として用いられた。
現在は、両宮殿とその周辺は世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に登録されている。
【Wikipedia】